内緒話の誘いと敗北の白旗
艶やかな長い髪をサラリと胸に垂らしたスウィンが、不満そうに口を尖らす。
「こら、可愛い雛鳥を餌付けするところなんだから、邪魔しないで」
「毒牙にかけるの間違いじゃないのか?」
「言ってくれるわねー。ただの砂糖菓子よ。疲労回復にあげるくらいいいじゃないの」
「寄こせ。私が毒味する」
「うわ、そこまでする? 私ってどれだけ信用ないの」
押し問答の末、スウィンはレイノルズに小瓶を放り投げた。
レイノルズは小瓶の中身を確かめて、「問題ない」とライジーアに手渡す。
「あたりまえでしょ。神経質すぎる男は嫌われるわよ」
「もう嫌われてる。私は席を外すが、君はここにいろ。いま茶を淹れてくる」
素っ気なく答え、レイノルズはスウィンに書類を差し出した。手早く道具類を片付け、それからライジーアに視線で「動くな」と釘を刺して、一階に下りていく。
強引なレイノルズの態度にスウィンは呆れ果てた顔をして、お手上げ、という身振りをする。
「可愛い女の子に頭ごなしに命令するとか、ないわー。あんな横暴男とはとっとと別れて正解よ」
だがライジーアは、ちょっと考えてから首を横に振って言った。
「命令とは少し違うような……わかりにくいけど、疲れたなら休んでおけってことだと思う。それに別れたわけじゃなくて、わたしが一方的に振られたの」
「……へぇ?」
不意に背筋がぞくりとするような低音の声が耳に届いて、ライジーアはビクッとした。ほんの一声だけど鋭くて、怖かった。思わず動揺してしまい、キョロキョロと周囲を見回す。
そんなライジーアを怪訝に思ったのか、スウィンが「どうしたの?」と訊いてくる。
「や、あのね、今すぐ近くで男の人の声が聞こえなかった? ……わたしの幻聴かな?」
ここにいるのはスウィンと女性の側仕えが二人だけ。疑わしい人物が見当たらない。
ライジーアが耳をトントンと叩く仕草を見て、スウィンがクスッと笑う。スウィンは優雅にレイノルズの席に座りながら、長い足を組み、机に肘をついて顎をのせる。
「ライジーアって、面白いわ。そう思わない?」
スウィンが同意を求めたのは、背後にひっそりと控える側仕え二人。一人は人を見る眼が厳しそうな美人で、もう一人は常に周囲へ注意を払っている美人。顔で側仕えを選んだと説明されても頷けるほど、高水準だ。目に毒なほど色っぽくて美しくて華やかなスウィンと並ぶと、眼福である。
そんな美人二人が、交互に相槌を打つ。
「気に入られたのでしたら、持ち帰りましょう。ご命令があれば、すぐに梱包しますよ」
「面白いというより珍しいですね。多少の天然ボケを修正すれば、よい伴侶になるかと」
側仕えの意見を聞いて「うんうん」と頷きながら、スウィンが色気ダダ漏れの溜め息を吐く。
「でも困ったことに、お手付き物件なのよねー。残念だわー」
……なにが?
ライジーアは自分をじーっと見つめる美女たちの熱い視線に恐れ戦く。なぜか肉食獣が獲物を狙って様子を窺っているような危険な気配を、ビシバシ感じる。
……梱包とか修正とか伴侶とか、意味がわからないんですけど。
若干腰が引けているライジーアを前に、スウィンがニコと微笑み、ちょいちょいと手招く。
「よかったら、就寝前に少し二人でおしゃべりしない? レイには内緒で」
「……なんで内緒なの?」
「もちろん、レイには聞かれたくない話をするからよ」
軽い口調とは裏腹に、スウィンの眼は真剣だった。雄弁にも、「大事な話だから、逃げたら見切る」とはっきり告げている。話の内容は見当もつかないが、レイノルズの幼馴染みとして、元婚約者として、現在彼の恋人であるスウィンから逃げるわけにはいかない。
……女同士、腹を割って話したいってことだよね。
綺麗で気さくで親切で、レイノルズを「レイ」と呼べるほど厚く信頼を寄せられているスウィン。ライジーアが太刀打ちできる要素は一つもない。話し合いに出向けば、傷つくかもしれない。メチャクチャに凹まされる可能性は多分にある。
それでも、とライジーアは気を奮い立たせ、手の中の小瓶を握りしめた。
……なにを言われてもいい。その代わり、わたしも一つ約束してもらうんだから。
「レイノルズを大事にして」って、これだけは譲れない。
ライジーアはスウィンを見返し、ためらうことなくコクリと頷いた。
スウィンは満足そうに微笑み、ライジーアの耳元に魅力的な唇を近づけ、小声で囁く。
「ありがとう。じゃあ私の側仕えが迎えに行くから、部屋で待っていて。あ、先に言っておくけど、勝手に動かないでね。ライジーアの部屋の扉が開くと、もれなくレイもついてくるのよ。だから私がレイの注意を惹いておく隙に、こっそり脱け出して来ること。どう、できそう?」
「うん。でもどうしてわたしの部屋の扉が開くとレイノルズが出てくるの?」
「番犬よ。ご主人様に夜這いをかけるアホな輩をとっちめようって腹なの。毎日ド派手に威嚇されてちゃ、誰もそんな命知らずな真似するわけないでしょうに」
寝耳に水の話にライジーアはびっくりして眼を瞠る。
そこへお茶の準備を整えたレイノルズが大きなトレイを手に戻ってきた。茶器とお菓子は二人分あり、そつのない手つきでライジーアとスウィンの前に白いレースのクロスを敷く。
「……なにを話していた?」
スウィンがニヤニヤしながら答える。
「野暮ねぇ。こんな可愛い子が目の前にいるのよ? 口説いていたに決まってるでしょ」
「え!?」
「ふふ。その素直な反応。かーわいー」
ちょん、と鼻の頭を突かれる。
頬杖をついて眉尻を下げ、甘く笑うスウィンがあまりにも色っぽくて、眼のやり場に困ったライジーアは、純粋に照れて俯いた。
「レイってば、怖い顔しないで。嘘よ、冗談。ただ雑談していただけ。そうよね、ライジーア」
「う、うん。そう」
ライジーアは相槌を打ち、上目遣いでチラッとレイノルズを見た。
ただの冗談なのに、レイノルズは明らかに真に受けて不機嫌になった。棘のある眼でスウィンを睨むと、固く口を閉ざしたまま、完璧に蒸らしたお茶を淹れて、そのまま上階へと去っていく。
その背中を眼で追いながら、スウィンが教えてくれる。
「あれ、ライジーアの部屋の掃除にいったのよ。そんなこと側仕えにさせるって言ってもきかないの。私がやる、の一点張り。食事も毒味は必ず自分でするし、湯浴みの時間帯は外で見張り。他の男と二人きりにならないように注意しまくって、あの通りよ。健気で一途で笑っちゃうでしょ」
「レイノルズは優しいから」
「口は悪いけどね」
スウィンが嬉しそうにふっと笑い、パチリと片目を瞑る。
輝かしいスウィンの笑顔に、胸の奥がズキッと痛む。大人のスウィン。心が広いスウィン。
……わたしだったら、自分の恋人が他の女の子に優しいなんて許せないと思う。
信頼の差なのか、度量の差なのか。
愛されている自信があるためか、愛しているからなのか。
……全部かもしれない。スウィンならそれも頷ける。
憎らしいくらい素敵な人。とっても悔しいけれど、お似合いの二人だ。
何度目かの敗北の白旗を掲げて、ライジーアは不器用に笑う。
それから部屋に一人きりになるまで、ライジーアは涙を堪えて過ごした。夕食の最中もずっと作り笑顔でいたら、レイノルズにはあっさり見抜かれて、変に心配させてしまった。「なんでもない」とごまかしたけど、気懸りそうなあの顔は納得していなかったような気がする。
スウィンの側仕えの女性がライジーアを呼びに来たのは、深夜だった。
味のしない夕食を食べ、惰性で湯浴みをして、寝巻きに着替える。泣き疲れてウトウトと浅い眠りについていたライジーアは、控えめなノック音を聞いて、ハッとして飛び起きる。慌てて肩布を羽織って扉を開けると、冷徹そうなシュッとした顔の美人が立っていた。




