第六章 始動
「街の中心部、教会の鐘楼から狙撃可能」
「市場にある最高品質の銀全てを掌握。指示のあった貴金属および宝石類の調達完了」
「市民の避難に備え、各列車は最優先でエルガロードへ回送可能」
「国土西部各軍港より、全艦艇および航空機の出撃準備完了。メートヒエンより一等戦艦メタトロン率いる第一艦隊、一等戦艦ミカエル率いる第三艦隊が出撃準備完了」
ルイーネ堂の電話はさっきから鳴りっぱなしである。狙撃や避難の準備から、万一失敗した場合に備えての全面戦争――あるいはそれに見せかけた陽動――の用意などなど。
作戦内容と狙撃地点が決定した後、僕は作戦の基地として自分の店を提供した。シアスもここなら落ち着けるし、狙撃地点となった教会は市庁舎から距離があるが、この店からならば目と鼻の先だ。建物としてもあまり目立たないだろうし、僕とシアス、ミーク、イーリスが一緒に入って行っても不思議ではないので、仮に街にスパイがいても作戦には気付かれにくいと判断したのだ。
しかし提供したのはいいのだが、その結果ルイーネ堂はおそらくこの街で一番落ち着かない場所になってしまった。
現在、店の奥の工房にはアサギさんとイーリスがいる。アサギさんは連絡を受けると直ちに銃身作成に取り掛かってくれた。
銃身への要求性能は、三万メートルというあり得ない距離を飛び、魔法防壁を突き破ってなお敵中枢を破壊するほどの大威力を備えた弾丸に耐え、その三万メートル先というあり得ない距離でも命中精度を保つこと。
当然、普通の銃身ではとてもじゃないが不可能な話である。かといって、戦艦や列車砲を使うには数百数千もの人手を必要とする。秘密裏に作業が行える小銃でないと逆に危ないのだ。それに、目標は相手の魔力の中枢を断ち切ることなので、何も戦艦を沈める必要まではない。おおかた魔力の中枢は宝石と相場が決まっているので、銃弾が当たれば普通に砕ける。つまり、魔法防壁を突破する威力さえあれば、あとはほとんど精度の勝負なのである。新鋭戦艦の装甲は堅牢だが、物理法則などあったもんじゃない魔法防壁を突破できるような弾ならば、鋼鉄の装甲なぞパンのようなものだ。
そこで、僕は名刀工であるアサギさんに精密かつ堅固な銃身の作成を依頼し、それをイーリスの技術でさらに強化することを思いついた。同時にイーリスの魔法で弾丸の威力と命中精度も底上げする作戦だ。まあ、思いついたというより、どう考えてもこうするしかないだろう。
弾丸の方も火薬を強化しているが、それ以上に弾頭に気を使っている。こちらも魔力で補わないと作戦が成り立たないので、弾の先っぽは敵のシールドを破るために銀でなければならない。しかし全部銀製だとこちらの魔法も打ち消されてしまうおそれがある。
その旨をジュエルに伝えると、彼女はきょとんとした声でそれがどうしたと言わんばかりに答えた。
「え? じゃあ先っぽは銀で、根本は別の素材にすればいいんだよね? あ、あと内部に魔力を込めた宝石を入れようよ。うっわ贅沢ー。少し手間だし高くつくけど、決行の時間までに五発くらいなら作れるにゃ。うん、薬莢は別に何でもいいか。あーいや、そこんところはシアスちゃんにも訊かなきゃね。うーんやっぱシアスちゃんはかわいいよねー。あのおっぱい、一度生で触れ合ってみたいんだよねー。弾のことも体で訊いちゃおうかな? ……あははははは! 冗談よー、うふ」
話しているうちに製作意欲が湧いてテンションが上がってきたのか、ジュエルは最終的に大声で「はにゃー」とか「うにゅー」とかばっかり言いながら電話を切った。頭がおかしくなったように見えなくもないが、彼女にとってはそっちの方がデフォルトなのだからむしろ好都合だろう。
こうして、作戦の準備を進める僕らは、決行を午後五時と決めた。夜になればまた何が始まるかわからないからだ。敵も交渉と睨み合いに疲れて気が緩みかけているであろう薄暮の攻撃開始に向けて、僕らの気は張りに張っていた。
そんな中で、作戦の中心人物であるはずの女性の姿がさっきから店内にない。店の窓から外を見てみると、教会の鐘楼に人影があった。
「何してるの?」
教会の方を見ていた僕の背後で店のドアが開き、シアスが入ってきた。
「こっちの手配は完了したわ。弾も六発用意できた。今も一応七発目を作ってもらってるけれど、そんなにあってもしょうがないでしょうね。狙撃眼鏡も作ったわよ。敵の魔力中枢の位置も割り出した。あとは武器と射手だけ」
「……」
シアスの報告を聞いて、僕はしばし唖然としてしまった。
こんな背の低い巨乳少女が、これほどのことをさらっとやってのけるとは、天才というものは真に恐るべきものである。
しかしながら、肝心の射手の姿がルイーネ堂には無いことをシアスは見て取って、僕の隣へ歩いてきて窓から外を見遣った。
「……ふーん」
さも所在なげにシアスは頷くと。カウンターの前にある椅子に腰かけて、僕のカップで紅茶を飲み始めた。間接キスだった。やったー。
と思っていると、シアスは誰に向けてともなく口を開いた。
「……行かないの?」
「は?」
「ああいうとき、幼馴染の男性がそばに行ってやるもんなんじゃないの?」
「…………」
「行きなよ。ここは私が持つから」
シアスはカップを持ったまま、魔法で店のドアを開けた。
「……ありがとう」
僕は小さく頷くと、魔法で開いた店のドアを出て、手でドアを閉めた。
「…………まあまあかっこいいよね、やっぱり」
小さくぽそりと呟いたはずのシアスの声が妙にはっきりと聞こえたが、幻聴だろうか。
鐘楼からはエルガロードの街が一望できる。
そんなに高さがある建物ではないが、他に背の高い建物もなく、海の方へ向けて勾配のある商業地区に立地するので見晴らしが良い。今日は凪いだ海がよく見え、潮の香りを含んだ風が心地よい。
ミークはその風に髪を靡かせながら、じっと海の方を見ていた。
「…………」
かっこいいとまで言われて颯爽と飛び出してきた僕だったが、こんなとき何を言えばいいのかまるでわからなかった。ただ、何か余計なことを言うよりは何も言わない方がいいだろうということだけは正解だと思った。
そのうちに、ミークがふっと微笑んで口を開いた。
「レイ君、前に訊いてたよね? 私が軍を辞めた理由」
「……ああ」
僕は頷いた。
「そりゃあ私としてはメイドの仕事の方が安全でいくらか楽だし、軍がお世話になっているブルーマーリンの娘を護衛するということで軍への義理も立つ。そして私自身、イーリスお嬢様を愛しているわ」
普段の会話なら「その愛とはどういう意味だ?」と訊きたくもなるが、今は違う。今なら僕だって、イーリスを愛している。そう言える自信がある。
「でもね、本当は私、軍を離れたいって思ってたの。メイドにならないかって話をもらう前からね」
「そうなの?」
ミークは頷いた。
「そう思っていたからこそむしろ……私は喜んで引き受けたってわけ」
「でも、なぜ……?」
ミークの顔から微笑が消えた。彼女は顔を伏せながら言った。
「私が対魔法テロリスト部隊で狙撃手として従事していたのは知ってるよね? その配属の時に行われた射撃適性のテストで、なんだか知らないけど私が出したスコアはぶっちぎりで歴代最高記録だったらしいの」
その話はシアスから少し聞いたことがある。五百点満点のテストで四百九十六点を取った伝説の女性スナイパーの名を、親衛軍少将であるシアスが知らないはずはない。ミークは何も語らなかったが、僕がミークと同棲していると知ったシアスが、世間話の一つとして教えてくれたのだ。
「それで、私は狙撃の名手として特殊部隊に配属されて、その初陣が……あの作戦だったの」
あの作戦。
今海の彼方で、巨大な船と砲を擁して僕らを急がせているあの連中の、その幹部が逮捕あるいは射殺された事件。
犯人らは人質を取って山小屋に立て籠もったが、軍属の狙撃手の活躍で人質の救出に成功し、各方面から大絶賛された事件であった。その事件自体は有名なので僕も知っているが、その解決の立役者である狙撃手の名前などはもちろん知らない。そんなものを広めてしまえば、犯罪組織からの復讐や、犯罪者の人権保護を訴える人々から糾弾されてしまう。
だが、ミークの口振りからして。
「……君なのか?」
「ええ」
ミークは静かに頷いた。
「私よ。あの連中のリーダーで、人質のすぐそばにいた男を射殺した狙撃手は」
俯き加減に目を閉じたまま語り、そしてほんの少しだけ笑ったように見えた。
「スコープ越しに男が死ぬ瞬間を見て、ああ、私の人差し指があいつを殺したんだなってはっきり意識したの。それからしばらくの間は、それが私の仕事であり、上官の命令であり、人質のためである行為だと論理的に考えてたからなんともなかったけどね」
「何か、酷いことを言われた?」
冷徹だとか、無慈悲だとか。
しかしミークの答えは存外あっけらかんとしていた。
「ううん、何も。みんな手放しに誉めてくれたわ」
やはり、軍隊とはそういうところなのだろう。そもそもそんなことで引き金を引けない者は実戦に出られないに違いない。
「でもね」
ミークは顔を伏せながら、言った。
「私の戦果はそれだけだったの。もう、私は人を撃てなくなって……それで、もう……」
泣き出しそうな声になりながら、それでも気丈にミークは言う。
「だからね、レイ君」
「……ああ」
「この作戦……私には自信がないの……」
「……ああ」
撃つのは敵の魔力の中枢となっている宝石であって人ではない。しかし、彼女は人を撃てなくなったことで、自信をも失ってしまっているのだ。
「でも、今回撃つのは人じゃない」
僕は最低限の反対意見を述べてみた。かえって逆上させるかもしれないとは思ったが、僕はシアスが思うほど、心優しく語彙力のある人間ではない。
……そんなことだから。
「っ」
僕はミークの震える肩を、そっと抱いた。彼女が息を飲んだ音が、僕の耳にもはっきりと聞こえた。
「ごめん、何も良い言葉が思いつかない……物理的にしか支えてあげられない」
「ううん……ありがとう」
ミークはいくらか落ち着いた声を取り戻していたが、その肩はまだ震えている。
不安など、そう簡単に拭い去れる物ではない。多くの助けや、時間も必要になるだろう。
しかし今は、時間など無い。
僕が何か、ミークの不安を吹き飛ばせる言葉を持っていたなら良いのだが、僕の頭はぐるぐると同じ所を回るのみだった。
幼馴染である僕が、こんなことでどうするのだろうか。
「レイ君……ありがとう」
ミークは僕の手から離れようとした。声がまた震え始めている。肩の震えは当然治まっていない。僕はミークを抱く腕に入れる力を強めた。
「ミーク、ダメだ」
「……?」
幼かった幼馴染の体は、華奢でありながら女性としての美しさを主張している。僕の腕が肩を抱き、手首は胸に触れ、ミークの腕が絡み、手首は胸に触れ、彼女の指が僕の指に触れ、手首は胸に触れ、さらに手首は胸に触れていた。
「ミーク……」
温かな肩と柔らかな胸の感触を確かめながら、ミークの優しい香りの髪に軽く口付けをして、僕は言った。
「結婚してほしい」
ミークは魔法テロリスト射殺の功績で叙勲されており、今でも目立たないように勲章を佩用している。人を撃てなくなったことを理由に一度剥奪されそうになったが、作戦時に彼女の部隊を補佐していた後方部隊の伝令兵が、上層部へ掛け合い剥奪を阻止したことがある。しかし、そのことはミークには知らされていない。
彼の話は、いずれまた。