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第一章 胎動

 潮風が優しく吹き抜ける。

 汽船の音とカモメの鳴き声を乗せた潮風。海は穏やかで、遠くに望む山並みは青くそびえ、大地の雄大さを物語る。

 中型旅客船の左舷デッキに出ていた少女は、デッキの柵に手を掛け、じっと前方を見つめている。

 まだ十代も前半といった背格好の少女は白いワンピースに身を包み、青みがかった長い髪を風に揺らしている。その髪はまるで白金のような光沢を放つ銀白色で、美しさをも通り越して恐怖すら感じさせるほどだった。

 さらりと流れるように麗しい長髪の右こめかみあたりには、青く透き通った素材でできた髪飾りが光っていた。

 デッキを行き交う乗客は多いが、その誰もが彼女に目を奪われていた。彼女の恐ろしいまでに輝く銀髪に目を引かれ、次いで、まだ幼いその体が織り成す美しさが風にそよぐワンピースで強調された姿は、一度見た者の目を離させなかった。

 彼女自身は年齢が年齢である故に自分がそれほど美人であるという自覚はなかったが、絶えず注がれる周囲の視線にはさすがに少し恥ずかしさを感じざるを得なかった。

と、船の中から少女を呼ぶ女性の声がした。

「お嬢様、デッキの柵に寄り掛かられますと危ないですよ」

「うん、大丈夫」

 心配性なこの女性はこの航海の間中ずっと、少女がデッキに出るたびに心配し続けていた。しかもそれは周囲の視線のことではなく、少女が海に落ちないだろうかという心配である。いくらなんでももう少女は巫山戯て柵を乗り越えたり走り回って迷子になったりするような歳ではないのだが、船に乗るのは初めてではある故にこの女性の存在は心強いと言えば心強い。

 船に乗るのが初めてというより、少女の故郷であるあの大きな街から外へ出るということ自体、少女にとっては初めての経験であった。行き先は国内ではあるものの、我が国は大きな半島を領土としている為、東海岸から海路で反対の西海岸へ向かうのは結構な長旅になる。だが、少女はそれを楽しみたかったのか、わざわざ内陸を走る鉄道ではなく客船での旅を選んだ。

 やがて青い海と青い山の境界に、緑の森と白い街並みが見えてきた。小さく白い灯台が見え、それに続くようにたくさんの漁船が姿を現し始めた。

「もうすぐですね。お嬢様、下船のご用意を」

「ええ」

 国内二番の魔法都市『エルガロード』の港は、もうすぐだ。



『今こそ魔法使いは再び世界の覇権を握るべきである!』

 ポストにはそんなくだらない文句が書かれた紙が入っていた。どうやら、魔法使いは世界を掌握すべき存在らしい。

 ……そんなはずがない。

 西暦一九一七年。科学が発展し、超常的な能力……つまりは魔法の地位はたしかに失墜した。このビラは魔法使いの組織が仕事欲しさにばら撒いているのだ。

 僕はビラをくずかごへ捨てて、もう一つポストに入っていたものを手にして店内へ戻った。

 ここはエルガロードの街中から少し離れた商店街。僕はレイ・ルイーネという、この商店街の一角で小物修理屋『ルイーネ堂』を経営している二十二歳の男である。

 僕の店、ルイーネ堂はもともと代々続く修理屋だ。時計、眼鏡、装飾品などの修理を行ってきた。それは今でも変わらず、僕も日々細かい作業を続けている。

 もうひとつ、これは僕の曽祖父の代からであるが、ルイーネ堂でも小規模ながら小物の製作販売をしていた。先に挙げたような、眼鏡や装飾品などである。

 しかし祖父からこの店を継いだ僕は、修理の腕にはある程度の自信があったが小物の製作は不得手だった。なので今は製作販売をしていない。

 そのかわりに、僕はもうひとつ事業を起こすことにした。まだ経験が浅いうちに店を継いだこともあって、修理業だけではこの先心許ない部分もあったし、前々からやってみたいと思っていたことでもあるのだ。

 それは、街の職人が作る数少ない工芸品の委託販売である。

 僕がこの商売を始めようと思うに至った経緯を説明するには、まずこの街、エルガロードについて話す必要があるだろう。

 エルガロードは国内では二番目の規模を誇る通称『魔法都市』だ。

 魔法都市とは、街を支える産業の基幹が魔法によって支えられていた都市のことだ。しかしながら今はもう魔法全盛の時代ではないので、基幹産業が魔法である都市は存在しない。だが、魔法は科学では補えない部分を補完するのに都合が良いため、まだ一定の需要を保っている。

 エルガロードは海浜都市であるため漁獲量が豊富で貿易も盛ん。さらに背後には雄大な山々を連ねたレニエルン山脈があり、銀が産出されていた。北側には広大な森が広がっている。陸路交通こそやや不便ではあったがとても住み心地の良い気候も相まって、中世から栄えていた都市だったのだ。

 そして、銀鉱と森がそばにあってなおかつ住み心地の良い大都市となれば、魔法使いの間では一番の憧れの土地として挙げられるほど、エルガロードは魔法研究にもってこいの場所だった。街の発展と共に人が集まるにつれて魔法使いも集まりだし、多くの研究機関や魔法工房がひしめき合う魔法都市となっていった。

 街の地区を大まかに分けると、海の近くで漁港、貿易港や倉庫がある海浜地区、海から少し入って街の心臓部が集まる中心地区、さらに山の方に向かうと店舗や工房、住居が立ち並ぶ商業住宅地区、住宅がまばらになって鉱山地帯となる山岳地区、北側の森林地区、そして南の平原地区となる。多くの魔法使いは商業住宅地区に住み、農家は平原地区に多い。銀鉱山は現在一か所を除いて全て閉山しているが、マジックアイテムの宝庫である山岳地区にはトレジャーハンターの類がいくらか住んでいる。

 僕の店で扱っているのは、そういったトレジャーハンターたちが探してきた魔法材料をもとに、街の小さな工房で職人や研究者が手作業で作り上げた魔法の道具だ。それらの作品も彼ら自身で直接販売するか、きちんと市場に乗せるのが普通だが、まだ小さい工房や無名の魔法使いでは店を開くだけの余裕もないし、市場に乗せるほどの数も作れない。職人と言ってもそれだけで食べているわけではなく、他の仕事との兼業職人も数多い。

 そこで、そういった人たちでも気軽に委託して販売ができる場所として僕はルイーネ堂を提供しようと考えたのだ。

 説明が長くなってしまい申し訳ないが、そんな魔法都市エルガロードと僕の店に、新たな潮風が吹き抜けようとしていることを知らせようとした手紙が、くだらないビラと共にポストに入っていたのであった。


 昼前。ルイーネ堂は客足が途切れる時間帯である。ちなみに修理作業は専ら夜の閉店中に行うので、昼間の仕事は基本的に店番である。

 さて、そろそろジュエルが来る頃だが、と思っていたら、店のドアが明るい音を立てて開いた。

「たっだいまーっ! レイにゃん元気してたー?」

 巨大な声が響き渡る。店の入り口からこちらへ向かって大きな箱が歩いてくる。

 ……そんなはずがない。

 この箱が動いているのは箱を抱えている人物がいるからであって、その人物こそ『黄金の銀鱗』の二つ名を持つ錬金術師、ジュエル・ナズュールである。

 彼女は商業住宅地区の北のはずれ、森の近くで自分の工房を構え、いつも不思議な錬金術を使って究極の金属を作る研究をしている。研究はなかなかうまくいかないようで、生活の足を確保する為に銀製の道具類を作って定期的にルイーネ堂に持ってくる。あふれんばかりの巨乳の持ち主で、いつもスカートはとても短い。

 一見すると危ないお姉さんといった印象を与えるジュエルなのだが、その作品は意外にも高い評価を受けている。

 僕と同い年の二十二歳にしてその筋ではかなりの有名人であり、本人にとっては内職のようなものだという銀の道具類も、通の間では一種の高級ブランドとなっている。だが、研究の妨げになるという理由からこれを本職に自分で店を構えることはしないのだとか。

 正直、非常にもったいない。

 しかし、おかげさまで僕が自分の店でブランド品を販売することができているというのも事実である。さらにジュエルはよくここで品物を買ってくれるし、彼女が研究に使う道具の修理もほとんど僕が請け負っている。まさに大口契約先でお得意様。僕としては全く頭が上がらない人物なのである。

「あれれー? おっかしいぞー? レイにゃんの姿が見えないなー? お店開けたままお散歩ですかー?」

「ジュエルさん、前が見えないなら箱置いたら? あと『ただいま』って言われてもここ僕の家ですから」

「てへっ」

 ……よって、自称お茶目のジュエルがこんな感じにやりたい放題振舞っていても、たとえそれがどれだけ面倒臭くても、僕は何も言えない。いつもツッコミを入れるのが精一杯である。

 もっとも、彼女も彼女で僕がいなければ委託販売ができなかったり、道具の修理が捗らなかったりするので、僕にはかなり遠慮してくれている。金銭的な交渉が生じても結構譲歩してくれるし、今日のようなおふざけも今たまたま他の客がいなかったからやっただけであって、客がいた場合は全くこんなことはしない。

 故に、ジュエルは客が少ない時間帯を狙って委託品を持って来ているのだが。

「はい、じゃあこれ委託品リストね」

「えーっと、スプーン十本にナイフが十五、ネックレスが二十五でカップが五ですね。だいたいいつも通りですか」

「うん。で、レイにゃん、先月分は?」

「はい、先月も完売です。いつもありがとうございます」

「やほ、給料だ。これで生き長らえられる」

 ジュエルは封筒を手に跳ね回り始めた。

 先月委託された分の売上から僕の儲け分を引いたそれがジュエルの給料なのだ。商品の数こそ少ないが一個一個が高級品なので、ジュエルが持っている封筒にはかなりの額が入っている。大半は研究費用に消えていくらしいが、彼女はなかなかどうしてしっかり者で、少しずつながらも毎月貯金をしていると言っていた。生活もきちんとしているようで、毎日三食きちんと食べて早寝早起きを心掛けているとのこと。こんなにも良い人なのに結婚したがる男性はいないのだろうか。もちろん、そんな男性がいたとしてもジュエルの眼鏡には適わないのかもしれないが。

 僕はさっそくジュエルの作品を棚に並べた。主力商品なので目立つところへ。

「よし、レイにゃんありがとね! じゃあ今日はこれで」

「こちらこそ。またいつでもいらしてください」

「ええ、それじゃ」

 ジュエルは敬礼と同時にウインクしながら店の外へ元気よく出て行った。

 店に客こそいないが、ジュエルの開けたドアの向こうではそろそろ買い物客も増えているようだ。商人の姿もあれば近所の主婦の姿もある。宿に戻る前に何か買って行こうとしているらしい観光客もいれば、お菓子を求めてか子どもが駆けて行くこともあった。

 いつも通りの街の姿だ。

 いつも通りに賑やかで、平和で、楽しい街なのだ。エルガロードは。

 しかし、今日ばかりは僕にも懸案事項がある。

 そんな懸案事項を僕にお与えくださった手紙は、いま店のカウンターの上にある。

この物語は架空の国であるロリガニア帝国を舞台としている。

大きな半島を国土とし、温暖な気候に恵まれた地方である。国土東方は平野で、西方は比較的急峻。国土南岸はリアス式海岸が続き、北側で隣国と陸続きに接している。

年代設定はおよそ西暦1920年。

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