SHADOW FORCE#2
ボリビアの天空都市でエックス−レイと協力者達はあの空港にいた男を追跡開始した。最新の機器で追跡するものの、男には何やら異様な力があった。更には偽警官が現れ…。
登場人物
アメリカ陸軍
―マウス…アメリカ陸軍特殊部隊シャドウ・フォース、エックス−レイ分隊の分隊長。
―ロコ…同上、エックス−レイ分隊の隊員。
―ロッキー…同上、エックス−レイ分隊の隊員。
―アーチャー…同上、エックス−レイ分隊の隊員。
ブラジル陸軍
―ビディオジョーゴ…ブラジル陸軍の詳細不明部隊の隊員。
―ドゥーロ…同上、通信とサポート担当。
二〇三〇年二月二六日、午後五時九分(現地時間):ボリビア、ラ・パス市街
一行を乗せた車は通りを南下し、このすり鉢状の都市の目立たないエリアへと差し掛かった。夕暮れに差し掛かった空はオレンジとピンクに染まり、晴れているからこのままなら明日の明け方は放射冷却でかなり冷え込みそうであった。
時折吹く風は寒々としており、陽気な南米のイメージを覆す寒さに対し、車内の男達は車という移動手段がある事と、寒冷地での行動も含む今までの辛く厳しい訓練に感謝していた。
高地で栄える国ボリビアは一年を通して夜の気温がそれ程高くないため、むしろ二月の夜などはまだましであった。
「一応飲むかい?」
ビディオジョーゴは自分の隣に置いていた黒いバッグからカプセル薬の入った小さなボトルを取り出した。ボリビアの有名な製薬会社が製造している、高山病用の薬であった。
エックス−レイのメンバーは口々にもらうよと答えたが、唯一アーチャーだけはそれを断った。
「タフなアーチャー様にも弱点アリか?」とロコが軽くからかったが、アーチャーは左の口角を吊り上げて顔の下半分だけで笑顔を作りながら答えた。
「婆ちゃんがメキシコシティに住んでるからな。婆ちゃんっ子の俺は休暇の際によく向こうへ遊びに行って、そこでトレーニングしたりしてる。何故かって? 以前この薬を飲んだら数時間吐き気に襲われたもんでな、頼らずに高所で活動できるようになりたかったのさ」
「ここに比べればメキシコシティの標高なんてマスター・ヨーダの身長みたいなもんだ。だが普段エリートぶってるロッキーよりもよっぽどワーカホリックだな」
軽く笑いながらマウスがそう言うと、右隣に座っていたロッキーがむすっとした表情で腕を振り上げて殴るポーズを取り、マウスは半笑いで腕を掲げて顔を庇う仕草をとった。
遮光されたガラス越しに見える市街はきらきらと輝き、段々高層ビルが少ないエリアに入って行っている事もあってかこの高山都市の全容が見易くなった。
左右両側には斜面に作られた住宅街が見え、尾根の辺りまで家々が散りばめられていた。都市の向こうに聳えるイリマニ山の積雪を被った雄姿は今も変わらずあり続け、旧市街の景観は中心街と比較してよいアクセントになっていた。
市街の最も低い場所でさえ、富士の霊峰の山頂と同じぐらい高所にあるラ・パスはこの国で最も勢いのある都市であり、近代的な街並みが形成される中心街は壮観であった。
前衛的なデザインのビルもあり、十二年前に建造されたアンデス・タワーはその木の葉のような形状により観光客からも人気のある複合ビルであった。
この国のトップ達が仕事をしたり生活したりしているラ・パスの高層ビル群はこの国の発展と合わせて『新世紀の空中都市』と評されていた。
ガレージの中は埃っぽく、あまり清潔とは言えなかったが寒々しい外よりはましであった。
エックス−レイの四人はマウスが眼鏡を、ロコがティアドロップ型の薄い青のサングラスを、ロッキーはシャープなフォックス型のサングラスを掛け、そしてアーチャーはマウスと同じく眼鏡を掛けた。
全員が眼鏡やサングラスを左腕に装着しているグレーのロール型ATD(先進的戦術デバイス、軍用の携帯端末)と同期させ、リンク完了のアイコンが表示された。
「終わったか?」とマウスは分隊に鋭く問い、全員が短く肯定の意を述べた。
「よし、こっちのシステムとも接続された。いつでも行けるぞ。それと、大したもてなしもできなくてすまない。時間がそんなに無いんでね」
机に座っているデータ処理とアナウンス担当のドゥーロがロール式のタブレットPCでタイピングしながら答えた。ドゥーロというのは、騒音で彼の名前を聴き間違えた戦友が付けたものらしい。
彼の浅黒い肌はこの気候だというのにじんわりと汗をかいており、彼だけ半袖であった。時折、時間を気にしているように見えた。少しせっかちであるらしかった。
ロコがポルトガル語で「お気になさらず」と言うとドゥーロも笑ってくれた――ロコが下ネタも付け加えたからだ。
ドゥーロに頷いたビディオジョーゴは向き直り、恐らく散弾ではない弾丸を装填したジャッジ・リボルバーの改良型を上半身のハーネスに備えたホルスターに収納した。
このリボルバーは一部の散弾も使用可能な変わったモデルであり、艶消しの黒に塗られたその銃身は逆に妖しい魅力を放っているように思えた。
エックス−レイの面々もベレッタその他のカスタム品を各々仕舞い、ビディオジョーゴを含めた五人は上から防寒及び銃を隠す目的の、わざと古びて貧乏そうに見える上着を羽織った。
ビディオジョーゴは更によれよれのニット帽をも被り、彼だけは裸眼であった――曰く眼球をインプラント手術しており、視界に直接HUDを出現させられるらしい。
装備や武器などが置かれた机の一角が空いており、ビディオジョーゴは閉じたネットワークにのみ接続された擦り傷の多い無骨なホロフォン――実体画面を持たない、完全にホログラム画面のみのタイプ――を起動し、二次元投影された映像には市場で発見された男の他の映像が表示された。
「生憎この国はそこまでプライバシーの侵害をしないらしい。ボリビア国内の前科者リストや要監視者リストには載っていないそうだからこいつがどこの誰かまではわからないけど、他のチームが既に様々な情報を掴んでくれた。こいつの宿泊先、これまでの行動、そして現在地も」
陽気そうな男はその陽気さを残したまま、どこか不気味な雰囲気を既に纏いながらブリーフィングを先導した。マウスは内心ビディオジョーゴに対して不安、というより恐ろしさを感じた――まるでこのまま一緒にいると殺されそうな。
そしてこの男は実際、命令とあれば誘拐でも暗殺でも人懐っこい笑顔のままで実行できる。だがマウスは、己自身もビディオジョーゴと同じぐらい怪物の一歩手前である事を忘れていた。
話の流れからして、恐らくボリビアはブラックハットへの警戒レベルがかなり低いのであろう。
UNASUR(南米諸国連合)内の機密度の高い会議でブラックハットについて話し合っており、アメリカでの爆破未遂事件などからして連中が何をするかを知らないわけではなかろうが、連中のボリビアでの活動は少ないのかも知れなかった。
それからマウスが口を挟んだ。この東欧系の男は切り替えが早く、然るべき時の確固たる態度には分隊の三人も素直に従った。彼のリーダーシップはまだまだ完成形ではないものの、それでも彼らは多くの作戦を成功させてきた。
「他のチームはどこに? 全員が監視?」
ブラジル側の特殊部隊は別の班か分隊か小隊か、それは明かされなかったが他にもまだいるとビディオジョーゴが事前に説明していた。
「監視以外の任務を請け負っているチームは既に色々と工作している。大まかに説明しようか?」
それを聞いてマウスは分隊のメンバーを見渡し、それから答えた。吐く息は白く、今夜も結構冷え込むはずだ。
「ああ、頼む」
それから彼らは何分か意見を言い合い、手順を確認した――準備完了。
二〇三〇年二月二六日、午後五時三一分(現地時間):ボリビア、ラ・パス、エルナンド・シレス競技場周辺
エルナンド・シレス競技場は去年改装されたばかりで、ちょうど一時間程度前に地元サッカーチームの試合が終わったばかりであった。
FIFAとボリビア側のこの競技場を巡る論争――ここはあまりにも標高が高過ぎるのである――はほぼ終わったが、未だに他国からはここで戦う事の過酷さに対する抗議の声も出ていた。
ビディオジョーゴはその辺の事情に関して思うところがあるらしいが、南米諸国に比べて男子サッカーで後塵を拝しているアメリカ人のエックス−レイ達はそれ程熱心にこの件を見ていなかった。
既にビディオジョーゴとエックス−レイ分隊は前方にターゲットを確認しており、三〇ヤードの距離を空けて追跡していた。ビディオジョーゴとマウスとアーチャーが纏まってそれらしい三人を装い、ロコとロッキーは別れて別行動を取った。
彼らは別の通りを通って標的を監視し続けた。回線によれば別行動中のブラジル側のチームは最低限の監視を残し、既に予想される男の行き先へと先回りした。
人通りが混み合う中、男はペットボトルで水を一口飲むとヒーローズ・デ・パシフィコ街を外れて暫く北上しサン・サルバドールへと入り、東へと向かっていた。
このまま行くとブスチュ街に出る。競技場周辺の繁華街を離れてブスチュ街に向かい、それから一端ホテルに帰るつもりなのであろう。
男の宿泊先はアンデス・タワー内のホテル・アメリカ――ジェームズ・ボンドが目的地にしそうなふざけた名前だ――であり、ホテルのクラスからすると随分羽振りがいいように思えた。その理由は大体想像できたものであった。
行き交う人々はあまり外国人に感心が無いようで、訪れた先での交流が好きなロコや陽気なビディオジョーゴには不満かも知れなかった。もっとも彼らはすっかり任務を達成するための機械と成り果てていたが。
タンゴはまた水を口に含み、そのままブスチュへ行くと思われたが、直前で右折して合衆国通りに入って南下した。
そしてすぐにまた左折し、東にあるブスチュ通りの方へと向かい始めた。三人とも既に男の振る舞いが怪しいと気付いており、様々なシナリオの中から男の行動について考え、やはりどう考えても尾行がばれていると結論付ける他無かった。
そして路肩でタクシーを拾うと、男はそのまま通りから消えた。マウスはブラジル側に内通者がいるのではないかと一瞬考えたが、証拠が無いためそれを脳内で却下しつつドゥーロにATDで連絡を入れた。
「エックス−レイ1からバナナ・ホテルへ、目の前でタンゴがタクシーを拾った。多分バレてるな」
『こちらバナナ・ホテル、俺も把握してるぜ。すぐに市内のカメラ映像をそっちに回す。タグは消えたが大丈夫だ』
タグ機能はHUD越しの視認でも制御下のカメラ映像でも何でも構わないので、映っている映像から顔認識やその他の画像認識技術によって指定された目標物の位置を表示し続けるシステムである。
情報共有しているネットワーク内ならリアルタイム共有が可能で、誰かが視界内に入れていれば視界内に入れていない他の人物のHUDやモニターにも方角や距離が表示される。
欠点はデータリンクしている全ての機械から目標物が視界外に消えるとタグも三秒程度で消えてしまう点である。
バナナ・ホテルことドゥーロはマウスからタクシーの大まかな行き先や方角、車のナンバーや特徴を伝えられた。三〇秒後、案の定ブスチュ街を北上しながら渋滞に捕まっている対象車両を発見し、制御下にある市内の監視カメラ映像を回してくれた。
既に車両にはタグが付けられ、各々が予め好みで設定したタグ表示でタクシーがデジタル的に強調されていた。
この都市の中心街に立てられた環境都市的高層ビルとて、所詮はその周囲に通常の市街が広がっている以上は渋滞を解消するには至らなかったらしかった。
マウスはありがとうと言いドゥーロとの通信を繋いだまま、今一緒にいる二人及び便乗して聞いていたロコとロッキーに、直接及び間接的に呼び掛けた。
「よし。渋滞を神に感謝する日が来るとはな。奴が足止めされている間にロコ達はなんとか先回りしろ。俺達はプランBで行く。やれ」
強盗タクシーはここ半世紀でめっきり姿を消し、恐らくしぶとい犯罪者は他の手口に移行した。追われている男は遅々としてなかなか進まないタクシーにはうんざりしていたが、プロの掃除屋ないしは誘拐屋に追われているというのに随分落ち着いていた。
市街はネオンが輝き、車の明かりも混ざって到底街が眠る事はないように思われた。
予めブラジル側の残りのチームは考えられるターゲットの行き先を把握しており、それ故新情報で男がタクシーに乗ったと知っても簡単に対処できた。
通りの低い建物に登り、そこから光の洪水を成す車の群れを見下ろした。まるでアフリカ南部で草食獣が一個の生物のように大群を成しているかのようであった。
ブラジル陸軍特殊部隊のこの男は相棒と共に建物の屋上の低いへりにブラジル軍制式ライフルであるIA2A6の狙撃用ヴァリアントのバイポッドを置き、銃身を宙に投げ出す形で構えていた。
市街地は発射距離が限られ、この距離なら連射可能でリカバリーも効くアサルトライフルの簡易狙撃用ヴァリアントの方が取り回しで優れるとこの男は踏んでいた。
男は背の低い相棒を伴っており、ライフルに装着された電子システムが対象との距離を計算してくれていた。
狙撃任務におけるスポッターの役割はこうしたシステムを導入した部隊では変化しており、計測器の故障などが無い場合はスコープを見続けて視界が制限されるスナイパー本人に変わってより広い視野で状況を確認・報告するという通常通りの役割に加え、スナイパーの護衛や周囲の危険察知などに対してより精力的になっていった。
スナイパーの男は母方の家系がイギリス及び華人の血を引き、父親はメスティーソと日系の血を引いていた。父は彼の十六歳の誕生日に病気で亡くなり、以来母のために彼は頑張ってきた。
年々縮小し治安が改善されつつあるリオのファヴェーラで危険や暴力に囲まれて生きてきたが、軍で新たな仲間を得てからは性格も明るくなった。
だがどうしても彼はアウトローな世界で生きていた頃の名残りを持っており、特に任務中は冷たいナイフの刃のように静かな殺気を纏っていた。
タグ付けされた対象車両へ対処する事を既にドゥーロに伝えており、後はアメリカ人とビディオジョーゴらがなんとかするらしい。他にも別働隊がいるからカバーは二重三重であった。
アメリカ人が優秀かどうかは知らなかったが、あの国が国外へと少数送る連中は大抵ある種の怪物であるから、放っておいても仕事をするであろう。
それ故このスナイパーもまた、与えられた仕事をすればよい。風は東からほんの少し吹き、タクシーはほとんど止まって、たまに低速前進している。
男はスコープの情報に従って射角を修正しつつタイミングを測った――じりじりと胸を焦がす焦燥感を握り潰すように口角を吊り上げ、その時が来た瞬間最小限の力でトリガーを引いた。
消音された情けない銃声は車の騒音に飲み込まれて掻き消えた。というのも、電気自動車や燃料電池自動車の黎明期、それらの騒音があまりにも小さいため困惑したまま轢かれたり脳の反応が追い付かず轢かれる事故が多発したのである。
そのためわざと騒音を走行時に出す車や録音された人工的な騒音を出す車を作るよう大抵の国では法律で義務付けられており、ラ・パスの帰宅及び帰社ラッシュもまたそうした騒音の洪水からは逃れる事ができず、銃声すらも掻き消したのだ。
スポッターの男は効果を確認すると満足した様子で軽くスナイパーの男の肩を叩き、彼らは銃その他を分解しつつ改造したギターケースに仕舞い始めた。
追い回されている男は少々焦っていた。もうそろそろこの『入れ物』を使える時間は過ぎる。余程適応率が高くない限り三〇分もすれば意識体は霧散してしまい、コントロールは喪失される。
それでもその後暫くは話し掛けられるが、この肉体は特に適応率が低いのか既に肉体の持ち主に権限が移りつつある。
しかも先程、連中はタクシーのタイヤを狙撃してきた。ブラジルより厳しい銃規制が敷かれたこの国でやってくるとは。運転手は何が起きたのかもわからず、肉体をコントロールする実体は料金を投げるとそのまま車を降りて徒歩で逃げた。
まだ監視されているから、なんとしてもタワーまで逃げてホテルの部屋に逃げ込む必要がある。警察に頼るのは論外だ。この男は逮捕歴が無い代わりに以前偽警官の斡旋を請け負っており、しかも性格上は警察の前で絶対にぼろを出す。
それ故、ホテルの部屋に逃げ込み、そこで時間を稼ぐ必要がある。コントロール権が戻りつつある今、いきなり口封じに自殺させるのは不可能だが、後で薬物を服用させて一時期に再度コントロールし易くすれば問題無い。
その前に部屋の中のブラックハットに繋がりそうなものを全て処分すれば完璧だ。付近に使えそうな連中がおり、憑依している実体はその力を行使した。
ロコとロッキーは先に回り込んでおり、タグ機能で車の波を掻き分けて移動しているタンゴが見えた。彼らはアステカ・タワー側の歩道で待ち伏せていたが、タンゴが車線中央へ差し掛かったところで怪しい連中が彼らに接近した。
人数は五人で、早口のスペイン語で何やら捲し立てて彼らの任務を妨害した。タンゴは斜め前方、すなわち北西向けて前進しているのがタグの視界外補正機能で彼ら二人にも理解できたが、やたらと高圧的な謎の男達のせいで集中力が途絶えた。
『エックス−レイ1、聞こえるか? エックス−レイ2だ』
「エックス−レイ2、どうぞ」
「ああ、俺達ちょっとファンに囲まれちまってよ。悪いが問題解決にあと三〇秒から一分くれ」
大声で何かの喚きが聞こえ、トラブルである事は通信越しにもわかった。視界共有させてもらおうとかと思ったが、二秒悩んだ末に辞めた。
「アーハー、四五秒でどうだ」
エックス−レイ2ことロコは溜め息を吐いた。
『はいはいわかったよ』
ロコとの通信を切り、マウスは他の二人と共に先を急いでいた。
近くにいざという時用のバイクを用意しており、マウスとアーチャーが二人乗りしてアーチャーが運転し、ビディオジョーゴは彼らの後ろを同じくバイクで追走していた。
彼らは排水口に溜まった塵芥のような大量の車の中を縫うように進み、あちらこちらに隙間を見付けてその間を通った。時折クラクションを鳴らされたがそれどころではなかった。
手順の確認や情報整理にはっきりと覚えていないが二分、手順を確認後中古のべクトリックスとカワサキを取りに行って発進するまでに二分掛かった。
計四分前後の遅延が生じ、そして既にタクシーから降りたターゲットはロコ達の更に向こうまで移動している。
ブラジルの別働隊に任せるべきかと考えながら彼らは片側だけで六車線あるこの広大な通りを縦断する事を決め、ビディオジョーゴにそれを提案すると彼は自分だけロコ達と合流すると述べた。
彼は先程の通信を聞いてロコ達を助けようと思ったらしく、何をするかを簡潔にマウスに伝え、マウスは三秒考えてそれを承認した。
今回の合同任務でエックス−レイ5と暫定的に呼称される事となったビディオジョーゴは、一瞬の車の隙間を狙って急加速した。
そこを通り抜けるとクラクションを背後から浴びながら中央の植え込みを強行突破してその向こうにある反対車線へと突撃し、再び隙間をすいすいと移動してロコ達の方へと向かった。
登録されている味方はタグ機能でその位置が簡単にわかるため、現代の軍人はそれら文明の利器を駆使して任務を全うするのであった。
フェンダーが錆びたカワサキと別れてから、運転担当のアーチャーはビディオジョーゴと同じように反対車線へと向かい、中央車線を渡る際にがたがたと揺れたため彼とマウスは同時に『ホーリー…』と悪態を吐いたため、一瞬後で一緒に少し笑った。
彼らが乗る黒いべクトリックスは人工的なわざとらしい駆動音を響かせてタグ目掛けて突き進んだが、そこで面倒な事が起きた――立ち往生している大量の車と無数のライトに遮られていたタンゴはタグ機能でデジタル的に視認が可能であったが、残念ながらそのタグが急に加速して高速移動を始めた。
反対車線を渡り切って歩道へと乗り入れた彼らは、殴り倒された地元のライダーと、歩道を強引に走り去るバイクのテールライトの輝きが見え、落下したタンゴのペットボトルは蓋が緩まっていたのか、中身がきらきらと反射で輝いた。
人集りが作られ始め、ロコは英語でロッキーに話し掛けた。
「ったくこいつら噂の偽警官だな。ボリビアには数日しか来た事が無かったから今回が初体験だけどよ。風の噂じゃ下火だって聞いたんだけどな、まあいい。ロッキー、お前が上司役をやってくれ」
「何の話か知らんが合わせる」
フィリピン系の軍人家系に生まれたロッキーは真面目だが見栄っ張りでエリート思考っぽいところがあり、それをよく分隊にからかわれた。
偽警官の一人が更に接近してスペイン語で捲し立てた。
「麻薬捜査中だ! 大人しく従って付いて来ないと痛い目見るぞ!」
私服警官のふりをしているのであろうが、実際の私服警官は階級が高い者しかおらず、まさか街中で巡回や捜査などしているはずがない。
ロコはロッキーに短く頷き、それから大声を出してスペイン語で言い返した。
「我々はアメリカのNY市警から交流に来ている! さっさとバッジを見せろ!」と言いながらロコはその巨体で威圧した。ロッキーはその後ろから腕を組んで横柄かつ威圧的に偽警官達をじろっと睨め付けた。
偽警官の先頭にいた男はたじろいだが、反論しながらバッジを出した。
するとロコは有無を言わせずそれをひったくり、反論させる間もなく「今から照会する、ペルーから偽警官のシンジケートが来てるという情報が入ったからな!」と怒鳴り、左腕のATDで照会しているふりをした。
そして五秒後にまた怒鳴った。
「リストに該当者無し! さては貴様、偽警官だな!」
その瞬間先頭の男はパンチを繰り出したが、ロコはその体格を活かした合気道を中心とした格闘訓練を積んでおり、相手のパンチを捌きながら胴に重たい拳を叩き込ませた。
そしてそこからの連携技で手を捻り上げ、そちらに注意が向いて痛がる相手をそのまま地面に投げて転がした。
恐れた他の偽警官が衆人環視の中襲い掛かったが、素早い動きでロコの背後からすうっと現れたロッキーが目にも止まらぬ速さで次の相手の顎を殴打し、一撃で失神させた。周囲が歓声に沸いた。
残りの三人は怯えて降参し、そこにビディオジョーゴが色褪せた中古のカワサキに乗って現れた。
「派手にやってるな。じゃあちょっとそこの五人に話がある」
それを聞くとロッキーは失神している男の顔をぺちんと叩いて無理矢理起こした。
「君達にこいつの情報を提供して欲しい。他にも仲間がいるだろ? 前金をまず渡すが…もし頑張ってくれたら…?」
ビディオジョーゴは中古のスマートフォンのリサイクル品であるプリペイド携帯を取り出して画像を見せ、それから現像した写真を彼らに渡し、プリペイドの番号も教えた。
万が一またタグが外れてもリカバリーできる可能性がある。犯罪者にも使い道はあるのだ。
ロコとロッキーは巧みにぺらぺら喋るビディオジョーゴの親しみと狡猾さに満ちたやり口こそが本場のジェイチーニョ(ブラジル流の処世術)だと悟った。
同時に、威圧的な己らのやり方に苦笑した。なるほど確かに、ダウンタウンで揉め事に巻き込まれたくないのであれば、例えば洒落たブガッティの高級四輪などには乗らず古いカワサキに乗って現れるのも一つの手であろうと思われた。
二〇三〇年二月二六日、午後五時五〇分(現地時間):ボリビア、ラ・パス
暫く身を潜めていたはずなのにすぐ発見された事に男は焦った。既にコントロールはほぼ移行し、男本来の人格に対して『捕まりたくないなら従え』と憑依者が指示を出していた。
表通りを外れてバイクで疾走したが、既に背後からはあのヴェクトリックスのコンビが迫り、途中で何度も不自然なぐらい邪魔な車に行く手を遮られ、別のルートを取らされた。
暫く走って撒こうかと思っていたが到底無理であり、前方で滑るように止まったカワサキの男を見た瞬間、やはり逃げ込む以外無いと考えた。
彼は再びブスチュ街へ戻り、歩道でバイクを乗り捨ててそのまま人々を押し退けながら疾走した。息が絶え絶えになり、何故自分がこんな目に遭うのかという悪態と共に肉体の本来の持ち主は走った。
エレベーターに乗り込み、高速で駆け上るガラス張りのそれが酷くゆっくりに思えて苛々し、そして長い三〇秒後の果てにホテル・アメリカの階に来た。逃げるように最も部屋代の高い自分の借りた部屋に逃げ込もうとした。
ちょうどその区画は隔離されたような位置にあり、カメラが寂しそうに監視していた。そして憑依者は男にさっさとロック解除しろと告げた。
わかってるよと焦りながら男はナンバーを入力したが、しかしエラー音が鳴ってナンバーが違うとディスプレイに表示された。タッチパネルの押し間違いかと思って四回繰り返した。
虚しく鳴り響く廊下の人口滝の音が嘲笑っているかのようであった。焦りながらも指紋認証があった事を思い出して右手を翳した――またもエラー音。
生体IDスキャンも試したがそれも無駄に終わったところで、袋小路になっているこの廊下に清掃員が四人現れた。
「お客様の登録情報は現在無効となっております」
憑依者は相手がブラジル人だと気が付いた。終わりであるらしかった。
尋問はスムーズに行われた。割れたガラスを持ち込んだブラジル側の別働隊がそれを男の口に無理矢理入れ、殴るポーズをとった瞬間に男は話すからやめてくれと泣き喚いた。
ここは防音でありホテル内のカメラは全てドゥーロが制御していた。映像が意図的に擦り替えられ、異変が判明した頃にはもうアメリカ人もブラジル人も消えている。
一段落の後、マウスが呟いた。
「日焼けの仕方からして普段は肉体労働者だな。腕の雑な刺青消し手術を見るに以前はしょっぱい犯罪組織にいた」
清掃員に化けている一人がそれに答えた。
「傷の形からして元偽警官絡みだな。警察に頼らなかったんじゃない、このアホは犯罪歴の露見を恐れて頼らなかった。余程隠し通す自信が無かった」
ビディオジョーゴは腕を組み、状況を静観した。一時期とは言え今回参加していた全員が揃っていた。部屋は白と青を基調にしつつ青系のLEDでそれらを照らし、洒落たバーのような清潔感と気品があった。
一番広い客間の中央にある円卓は、その真ん中に頂点から水が流れ落ちるイリマニ山を模した白一色の彫刻があり、床や壁に埋め込まれた照明はリモコン操作でイルミネーションとしても使えた。
壁ではこの都市の歴史を伝える二次元ホログラムが次々と姿を変えて輝いていた。
無論この男は予想通り妙な連中から金をもらってアメリカに現れた事を白状し、アメリカの空港で記録媒体を受け取るだけで大金が得られると聞いて快諾したのだ。
尋問が終わり、絞れるだけ絞った男を気絶させて全員が姿を消した。報告する必要はあるが、ビディオジョーゴを含めたエックス−レイの次の目的地は決まったようなものであった――コロンビアだ。
翌日未明、身元不明の遺体がラ・パスの山側で発見された。それが恐らくブラックハットの仕業である事を知る者は、一部のアメリカ人とブラジル人に限られた。