雪の想い
私は雪。あなたと出会って、寄り添いたいと願った。でも、決して叶わない。私は人に触れると溶けてしまうから。
「でも、あの人に触れたい。想いを伝えたい。」
何度も願った。あの人に触れたいと何度も願った。でも、それは決して叶わない想い。あの人は私がわからない。私はずっと見ているのに、あの人は私を見てくれない。
「ねえ、私はここにいるよ。どうして見てくれないの。」
届かないとわかっていて、それでも私はあの人に声をかける。ほんの一瞬で構わない。一目、私を見てくれれば、私はそれでいい。でも、神様はそれすらも叶えてくれない。私には時間がないのに。春になったら、消えてなくなっちゃうのに。
「お願い。一度だけでいいの。一度だけでいいから、私を見て。」
一度だけでいいから。私を見て。
「今日は、雪がきれいだな」
あの人が、私の方を見ながらひとり呟く。でも、私の方を見ていても、その目は私を映していない。私がどんなに語りかけても、私の声はあの人に聞こえない。それでも、
「僕、雪が好きなんだ。春の陽気も好きだけど、雪は僕を見てくれている気がするから。」 「はい。私はあなたを見ています。」
聞こえないとわかっていて、それでも私はあの人に返事をする。
「本当は雪の中で遊びたい。でも僕は、体が弱いから。」
「なら、私がそちらに行きます。」
私の声はあの人に聞こえていない。そんなことはわかっている。それでも、私は楽しかった。あの人と話していると考えるだけで、嬉しかった。
「不思議だな。一人ぼっちのはずなのに、こうして雪を見ながら話していると、傍に誰かいてくれているような気がするんだ。」
「はい。私は傍にいます。あなたは一人なんかじゃありません。」
そうあの人に伝えたい。でも、どんなに頑張ってもあの人に言葉は伝わらない。
「僕はそろそろ部屋に戻るよ。もし、誰かが僕を見てくれているなら、僕はまた話しかけるよ。」
「はい。私はずっと、あなたを見ています。私は、あなたが好きだから。」
あの人の姿が見えなくなるまで、私はずっとあの人の背中を見つめていた。
そんな風に、私はあの人を見つめ続け、時に語り合った。確かに私の声は聞こえないけど、それでも私は幸せだった。でも、ある日を境に、あの人は顔を出さなくなった。
「どうして、会いに来てくれないの。寂しいよ。」
寂しさに耐えきれなくて、一人泣き言を呟く。あの人との時間はあっという間に過ぎていくのに、あの人と会えない時間は永遠のように感じられた。
「会いに行こうかな。」
もし、会いに行ったらどうなるのだろう。あの人の居場所はきっと暖かい。そんなところに行ったら、私は消えるかもしれない。それでも、今はあの人に会いたかった。あの人の声を聞きたかった。
「えっと、あの人の部屋は……ここだ。」
あの人の部屋の前まで行き、窓から部屋の中に入る。部屋に入ると、あの人は布団に横たわって、なにもない空間を見つめていた。
「僕、もうすぐ死ぬのかな。」
そう呟いたあの人の声は悲しげで、切なくて、私の胸を強く締めつける。
「そんな…死なないで下さい。私は、あなたに生きていてほしいです。」
そっと、この人の手を握る。その手は暖かくて、溶けてしまいそうだけど、それでも握らないといけない気がした。
「…そっか。君だったんだ。君がずっと傍にいてくれたのか。僕は一人ぼっちじゃなかったのか。」
今、彼が私に気づいてくれた。そのことがすごく嬉しくて、溶けてしまうと思うほど胸が熱くなる。
「はい。私です。ずっと、あなたを見つめていました。」
たぶん私の声は聞こえていない。それでもいい。きっと、気持ちは伝わっているから。
「ありがとう。傍にいてくれて。誰かに看取ってもらえて、僕は幸せだよ。」
死なないで。そんな言葉が再び喉まで出てきそうになり、慌てて引っ込める。この人は、そんなことを望んでいないとわかったから。
「私はずっとここにいます。あなたが死ぬまでここにいて、あなたと一緒に消えます。」
だったら、私もこの人と一緒に逝こう。この人がいない世界を生きるより、今、この人に寄り添おう。そう思った。
「ありがとう。ずっと傍にいてくれて。君のおかげで、僕は寂しくなかった。楽しかった。姿は見えないけど、声も聞こえないけど、それでも、君の優しさは伝わった。僕には、それで十分だよ。」
そう言う彼の瞳はとても優しかった。
「私も嬉しいです。あなたが私に気づいてくれたから。だから、私も悔いはありません。」
私の体はもう限界らしく、私の意識は少しずつ薄れていく。それでも、私は彼の手を握り続けた。
「最後にお願いがあるんだ。聞こえないことはわかっている。それでも、最後に僕の名前を呼んでほしい。義文って。」
そう言いながら彼は私の手を握り返してきた。私の手を、感じていないはずなのに。
「わかった。義文。」
そっと、彼の名前を呼ぶ。聞こえていないはずなのに、彼は嬉しそうに微笑んだ。そして、それっきり彼は動かなくなった。
「おやすみなさい。義文。」
そう言い、動かなくなった彼の頬をそっと撫でる。次は私の番だった。
「私も、すぐに逝きますから」
そっと、動かなくなった彼の唇に唇を重ねる。それは、最初で最後の別れのキス。
「一回くらい、私を見てほしかったな。」
でも、これでいい。私を見てくれなかったけど、最後に私の存在に気づいてくれた。それだけで、私は幸せだった。
「気づいてくれてありがとう。義文。」
最後にそう呟くと、私は薄れていく意識を手放した。
数少ない、義文との思い出を抱きながら。
ゆきのまち幻想文学賞落選作です