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三月白書【新装版】  作者: 小林汐希
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1話 午後の教室で…



【1】




 秋の運動会も終わって、校庭に植えてある桜の赤い葉っぱもだいぶ落ちてしまった季節の夕暮れ。


 教室で一人残って考え事をしていたわたし、葉月(はづき)真弥(まや)は教室に戻ってきた先生に、だれにも内緒にしてきたことを話すことにした。


「先生。わたし、笹岡を受験したいんです……」

「葉月さん?」


 先生は驚いたようにわたしを見る。

 

 驚いて当たり前なんだよ。学校で口に出したのはこの時が初めてなんだもの……。




【2】



「分かったわ。ちょっとゆっくり話を聞かせてもらえる?」


 そして、教室の中に誰もいないことを確認して、教室のドアを前と後ろ両方を閉めてから、親子面談の時のように机を4つ付けてテーブルのようにしてから、わたしに座るように声をかけてくれて、先生もその前に座って時間を作ってくれた。


「どうしたの、突然? 葉月さんが受験するっていうのは先生聞いていなかったけど、なにか心変わりするようなことでも見つかったの?」


 先生も驚いたと思うよ。これまでにもクラスの中では中学受験をするって公言したり、そのために塾に行っている子がいることも知っている。


 そんな、どちらかと言えば目立つ方のクラスメイトとは真逆で、クラスの中でも目立たないどころか存在感すらほとんどない……理由はいろいろあるんだけど……、わたしがいきなり受験組に加わるなんて、普通じゃ考えつくこともないと思うよ。


 でも、わたしも自分ででここ数週間考えた結果だから。今日だって、どういうタイミングで話せばいいか考えていた。



 きっと先生は忘れ物か何かを取りに戻ってきたのだと思う。時間だってもう夕方になって、連絡を入れなければ家族が心配してしまうような時刻を時計の針は指しているのだから。


 そこにわたしひとりだけがぽつんと机に座っていて、黙って外を見ていたんだもの。先生だって何かあるとは思ったとは思うけれど、それがいきなり「受験します」だもんね。


 だから、驚かせてしまったことを素直に謝ってから本題に行くことにした。

 

「まだ、間に合いますよね……。願書の締め切りまで……」

「うん。まだ十分に間に合うけれど……。葉月さんは突然どうしたの?」


 先生はわたしが突然の発言に至った理由を知りたいようだった。


 そうだよね……。だって、わたしは思いつきだけでそういうことを言えるような子じゃないって、もう3年も担当してくれている先生は分かっているだろうから……。




【3】



「笹岡かぁ……」


 先生はわたしが言った学校の名前をもう一度呟いた。


 わたしが言った私立の笹岡学園は中高一貫校。わたしの家からも歩いていける距離にある。校風も比較的自由で、わたしたち小学生の間でも憧れる学校。でも、その一方で学力レベルが高いから、難関校として有名になってしまっている。


 うちの小学校からも、毎年十人以上が受験をしてきているけれど、合格率はすごく低くて、毎年一人か二人というのがやっとというのが現実だから、先生は余計に心配になったんだと思う。


「それは……」


 表向きの理由ならいくらでも思いつく。でも、それを言ったところで、きっと先生には通用しないよね。


 言葉に詰まってしまったわたしの様子を見ても、先生は首を横に振ることはなかった。


「そうね……、あそこならね……。葉月さんには今よりはずっといい環境になることは間違いないと思うのよね」


 逆に、わたしの心の中の声を代弁するかのように、先生はうなずいてくれたくらいなのだから……。


「葉月さんも、それを理由の一つにはしているんでしょう?」

「はい……。それもあります」

「そうよね……。先生も、それは間違っていないと思う。もし入学試験がないなら葉月さんにはそっちのほうがいいなって思ってはいたけれど、私立校だからどうしても受験ということになってしまうけど、それでも頑張れる?」


 窓の外の光が弱まっていくにつれ、教室の中も少しずつ暗くなっていく。そんななかで、先生とわたしは少しずつ答えを出しつつあった。




【4】



 わたしは生まれつき、心臓に病気を持っている。毎日お薬を飲むことを忘れるわけにはいかないけれど、それで普段の生活を送れているのだから。


 でも激しい運動はできないから、体育の授業は見学だし、いろいろと不便なことも仕方ないとあきらめているところがあった。


 それ以上に嫌だと思うのは同級生からの視線なんだよね……。ひそひそ声でいつも何かを言われていることも知っている。もしかしたらわたしの自意識過剰って言われてしまうかもしれないけれど、それをわざわざ聞くだけの勇気もないし。



 そのことはもちろん先生たちも知っているし、何かあればすぐに報告してほしいともいわれているよ。でも、そのことで学年の中での雰囲気を余計に悪くしてしまわないか……。そんなことが頭をよぎってしまうから、これまでにいろいろあったのは確かだけど、それを報告するということはしてこなかった。


 少しでも早く大人になりたいって思って、服装や髪形を少しずつ変えてきてはいるけれど、かえって「葉月のくせに」って言われてしまう。正直どうしたらいいのか分からなくなった時もたくさんあった。



 先生たちも、このまま公立の中学校に進学することは、今の状況がまた3年間続いてしまうという心配もあって、新しい友達を作るには私立校の方がいいかもしれないという話は前々からあったんだよ。



「でも、葉月さん。笹岡は難しいわよ?」

「分かってます……。今の成績じゃ行けないってのは……」


 そうなんだよ。わたしの今の成績では合格ラインにはまだほど遠いことくらい自分でもわかっている。


「他の私立では考えていないわけね?」

「はい……」


 他の学校じゃ意味がない。笹岡にこだわる理由というのは別のところにあるから……。


「お姉ちゃんと一緒に通えるんです……。それに……」

「そっか……。お姉さんも笹岡だったわよね。そうか、そこか……」


 先生も思い出してくれた。私のお姉ちゃんもこの小学校を卒業して、今は笹岡学園の中等部の3年生。高等部への進学もほぼ問題ないと言っていた。


「そう。それじゃ他は考えられないわね」


 3年前まで、一緒にこの学校に通っていた時のことを先生は知っているから、「葉月さんがそう考えるのも自然なことね」と納得してもらえた。




【5】



「葉月さん、今日の放課後に昨日の話の続きをしてもいいかしら?」

「はい。教室で待っていればいいですか?」


 言われたとおりに、放課後の教室で先生を待っていると、ファイルや書類を職員室から先生が持ってきてくれた。


「遅くなってごめんなさいね。先生もいろいろ調べてみたから、その報告をしなくっちゃと思ってね」


 昨日と同じように机を並べ替えて、同じように座ったけれど、今日はいろいろな資料が先生の手元に置かれているのが違っていた。


「葉月さんが笹岡を受験したいって気持ちは十分に分かった。そして、笹岡ならお姉さんのこと以外でも十分にフォローしてもらえることも分かったわ」


 先生は資料を開いて、わたしにも分かりやすいように説明してくれた。


 お姉ちゃんも多分知らないことだと思うけれど、笹岡学園ではわたしのような病気を持っていたり、体が多少不自由であっても、学校が問題ないと認めてさえくれれば、普通の学級にも入れる。そういった市内でのモデル校になっているくらいだから、学校全体でも受け入れ態勢ができているってこと。


 少し難しくて全部を理解できたかと言われれば微妙なところもあるけれど、学校の仕組みとしては先生も十分に納得できるということだって。


 でも、先生が学校に聞いてくれた話だと、入学試験自体は易しくなるわけじゃないから、体育の成績が低いわたしは他の教科で頑張らなくちゃいけない。


「わたしも……今のままじゃ無理だって……、分かってます。でも、やってみたいんです」


 もともと、わたしはいつも「クラスのお荷物」なんだもん。結果はどうなるか分からないけれど、やれることはやってみたいって思った。


「ご家族は? 反対はされなかった?」

「はい。結果は分からなくても、やりたいならやってもいいって」


 昨日の夕ご飯の時に、学校で先生に相談したことを家族に話したら、「真弥が頑張るというのなら、家族みんなで応援する」と言ってくれた。


 これは3年前のお姉ちゃんの受験の時もそうだった。だからといって特別のことをするわけでもないし、いきなり塾に通いだすということでもない。


 もし、不合格だった時には普通に他のみんなと同じ中学校に進学すればいいだけの事なんだ。


 もともとお母さんは、わたしたち姉妹が生まれる前は学校の先生をしていたというのだから、お家で勉強を教えてもらうこともできるし、そのお母さんが反対しなかったというのは、今のわたしでもまだ間に合わせられるということなんだと思う。



「葉月さん、お家の方もそう言ってくれているなら。先生たちも協力する。やれるだけのことをやりましょう」


「はい。無茶苦茶言ってごめんなさい。頑張ってみます」


 その日の話し合いはそこで終わって、昇降口まで送ってくれた先生は、わたしが校門を出るまでその場で見送ってくれたんだ……。


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