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桜〔中〕

 神様が私に手を合わせて拝んでいる、どうなっちゃってるのだろう……。

咲多彦は中国から飛んでくる汚染物質に侵されちゃったのかしら? それとも、元々こんな神様なの?

とりあえず、相手は神様なのだからここは丁寧に敬語で会話を続けるとしよう。


「留守番なら構いませんが、私は咲多彦様が帰って来るまで桜の中で何をすれば良いのですか?」


「ああ、ハルにだったら簡単だよ、この笛を吹けばいいのさ。 笛の音は花を咲かせ美しく散らせるための活力剤みたいなもんだからね。

あと忘れちゃいけないのが魑魅魍魎たちの駆除ね」


「えっ? ち、魑魅魍魎ですか……そのような恐ろしい輩を、私がやっつけ、いや、駆除ですね……出来るのでしょうか?」


「簡単簡単! 池の中央に立って激しい曲調の笛の音を聞かせるのさ、春になると緩んでしまう黄泉の門から桜に誘われて魑魅魍魎たちが毎年脱走するんだ。

でもあいつらバカだから笛を吹くと浮かれて踊りながら集まって来てこの池で溺れるのさ。

毎年同じ手にひっかっかるんだ笑っちゃうだろ? この池の底は黄泉に繋がっているから、吸い込まれてお仕舞さ。

あいつらさ、なんでも食っちゃうんだよ。桜の生気まで食うからしっかり駆除しておかないとね」


 気味の悪い魑魅魍魎の姿を見るのは嫌だが、安全で簡単ならいいかもしれない……。


 「そしてこの笛がね、桜の主となる鍵の役割も果たすんだよ」

 

 咲多彦は塗りに金泥で桜の蒔絵を施した持ち主に負けていない美しい笛を両手で差出し、にこやかに微笑んでいる。


軽薄な喋り方で頭の悪そうな咲多彦だが、自分を信用して桜を預けてくれることが嬉しい。

そしてなにより恋焦がれていた私の桜に開花時期に入り、一体となれる誘惑に負けたのだった。私はこれから務めなければならない会社を捨てる覚悟を決め、快く笛を受け取った。


咲多彦から笛を受け取ると眩暈のような感覚に襲われたちまち魂が身体から抜け、意識体だけになり桜の幹に吸い込まれた。

一旦は吸い込まれたものの意識を外に向けると桜から抜けられるようだ。

空になった私の身体には咲多彦が入っていく……。私の身体は咲多彦に合わせて美しい男に変化していった。


束の間の自由を手に入れた咲多彦は、池を鏡代わりにし身だしなみチェックに余念がない。

そのように念入りに整えなくても十分に美しいのに……。


「あ、あのう。咲多彦様は人間になって、先ず何をなさりたいのですか?」


「コンパとナンパっ!

じゃあ、行ってきます。 ハル、後はよろしくねー!」


 こちらを振り向きもせず、手をヒラヒラと振って嬉しそうに去って行った。



「…………クズだ…………」



 あんな神が私の桜の主とは我慢がならない。

美しいのは姿形だけ、頭はカラッポで神の威厳もプライドも無いじゃないか。

決めた! 決めた! 決めた! 戻って来ても私の桜を咲多彦に渡すものかっ!

私の身体はくれてやる。その身体が朽ちるまで一生コンパでもやっていろ!


この桜は私の大切な桜、私が夢鏡桜むきょうざくらの主となり守って見せる。



笛に口に当てると心は穏やかになり、唇は自然に息を吹き込む形になる。

そして、息を吹き込んだ。


ヒョーーーッ


ああ、身体が吹き方を憶えているものなのだな、懐かしい音色……。

久しぶりに奏でる旋律に自分で酔いつつ夢中になり吹き続けた。

桜が嬉しがっているのが魂となった身体に伝わり、蕾はポンと弾けてゆっくりと花弁を開いていった。



私の桜よ、咲多彦より美しく咲かせて見せましょう。


ヒョーーーヒョーーーゥーーーォーーー


想いを乗せて笛の音が桜を愛でる。


それに答えるように桜は次々に開花し花見客を楽しませた。

今年の夢鏡桜はいつもより綺麗だねという声が聞こえる。

皆の桜になってしまったことに嫉妬を感じていた自分はもういない、今の私は桜と一体であり皆に見られて褒められるのは嬉しいものだ。

魑魅魍魎たちも毎日地の底から湧いてきたが、桜から出て池に降り立ち笛を吹けば咲多彦が言った通り容易く駆除できるのだった。


もはや、咲多彦は必要無い。私の方が夢鏡桜の主に相応しいのだ。





 葉桜になり、一陣の強い風でも吹けば花は全て散るであろう頃に、のこのこと咲多彦は帰って来た。


「ハル! ただいまー、楽しかったよー。僕が手を握って笑いかけるとさ、女の子達は簡単についてきちゃって家に泊まらせてくれたんだ。

あ、そうだ桜にお土産あげなくっちゃ!」


 その美貌で話かければ、そりゃ女にモテたでしょうよ。

おい、咲多彦よ。桜には土産があって、私には労いの言葉も無いのか?

先ずは留守番ご苦労様じゃないの?


そんな私の心中など察しもぜず、ホームセンターの袋から粒剤の肥料を桜の根元に撒いている。


「有機酸がたっぷり入った肥料だよ、来年も綺麗に咲いてね。ハルみたいに臭くないから美味しくお食べ……僕の桜……」


 何度も私が腐った時の話を持ち出すんじゃない!

……咲多彦、許さん!


「それじゃハル、笛を僕に渡してね入れ替わるから」

「ふ、ふふふ……ハハハッ……ワハハハハッ!」


「どうしたのさ、ハル? 頭がおかしくなっちゃたのかい?」

「おかしいのは、咲多彦お前だ! お前のような神は私の桜に相応しくない。立ち去れ!」


「何言ってるのさ、これは元々僕の桜だよハルのじゃない!」

「私がこの笛を持っている以上、私の桜だ!」


「笛を返せ! ハルっ!!」

「返すものかっ!! 咲多彦!!」


 咲多彦は笛を奪い返そうと地面を蹴って飛びかかってきた。

私は直前まで動かず、咲多彦の身体が傾いて手が笛に触れた瞬間、左手で咲多彦の腕を受け力を抜きながら腰を低くした。

瞬時に右手で中段に拳を入れたが当てずに止めてやり、体をかわした。


バランスを失った咲多彦はざんぶりと池にはまる。

四つん這いになり、意外だという素振りでこちらを振り返った。


「私は前世の病弱だったハルと違うのよ! 現世の私はいたって健康なの、運動神経もいいのよスポーツは何でもやったわ特に空手はずっとやっていた、黒帯でなかなかの腕前なのよ残念だったわね」


 咲多彦はずぶ濡れの身体を起こし態勢を立て直した。


「次は、寸止めはしないわよ」

「……人間の分際で僕に逆らうとは……いいのかなぁ? 知らないよ……僕、怒っちゃうけど!」


「私は、すでに本気よ! この桜の主になると決めたの!」

「本気なんだね? じゃあ僕も本気で怒っちゃおーっと」


 ニヤリと笑った咲多彦の手には小枝が握られている。


先の尖った折れた方を自分の首につき立て力を込めた。





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