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桜〔上〕

 いつからだろう、私は桜の虜だった。

それは物心ついた時とかそんなレベルではなく、生まれた時から、いやそれ以前からずっとそうなのだという感覚に付きまとわれている。

春を迎える度に心は穏やかさを失いサワサワと何かに急かされ、桜に対する恋心は年々膨らんでいくのだった。


何故、私はこんなにも桜に恋焦がれるのだろう……。



 高校の修学旅行の時に出会った瞬間それは分かった。

季節は秋で葉一つ付いていないこの桜の木こそが思いの対象であり、私の魂の一部がこの桜の中に在るからなのだと感じた。

同級生の列から離れ、桜の木肌にそっと手を当てる。

すると、手のひらから腕を伝い前世の残留思念が身体全体に流れ込んできた。


「母様、私が死んだら、どうか、どうか、あの桜の木の根元に埋めてください」


 私の桜……私自身……。

生まれた時から、心臓が弱く外にも出られず、庭先の草木が話し相手だった前世の自分がいた。

その中でも小さな池の畔に佇む桜は私にとって特別で、美しく儚く散りゆく姿に、短い生涯となるであろう自分自身を重ねていた。

身体の弱い私は篠笛を上手く吹けることだけが自慢だったが、外出できない身体ゆえに人に聞いてもらう機会もなく桜に聞かせていた。


音色に合わせて桜は答えた。夏には葉を揺らし、秋には葉を散らし、冬は枝に風を渡らせ、そして春には桜も笛を吹けるのだということを知った。幹から枝から澄んだ笛の音が私の耳に届く。桜に合わせ夢中で笛を吹いた。

私と桜の演奏に合わせて花びらが次々と開き咲き誇り、そして艶やかに散っていった。


初潮を迎える年齢になり床に着く日が多くなり、それでも気分の良い日は庭に出て桜の前で笛を奏でるのだった。だが、同じ年頃の娘が次々と嫁に行く頃には心の臓の病に加え肺まで患い、最後の時を迎えようとしていた。

そして医師の見立て通りに十八歳で散り、希望通り桜の根元に埋められたのだった。


前世の記憶に眩暈を感じながら、あの頃よりずいぶん大木になった桜の木に寄りかかる。

自分の身体が養分となりこの桜の一部になっていることを感じ、待ちわびた恋人に抱かれているような幸福感に包まれた。


遠くから呼ぶ声で我に帰る。


奏春(かなは)なにしてるのー? 迷子になるよー!」


 同級生に呼ばれた私は桜の木にまた必ず会いに来るからと誓い列に戻って行った。



*****



 高校を卒業し事務職に就いた私は、かつての自分の屋敷だった公園の桜の前に立っていた。

大学に行くことを両親に勧められたが、この地で就職を探し住まいも決めた。

これからは、毎日私の桜に会いに来れるのだ。



私の桜はいつの間にか夢鏡桜(むきょうざくら)と呼ばれるようになっていた。

咲き誇る桜が池の水面に映り込んで夢のように美しくこの名がついたということだ。

夢鏡桜には天女と見間違う美しい男神(おとこがみ)が宿り、桜吹雪の降り注ぐ水面に降り立ち笛を吹くという伝説があるらしい。

開花の季節には、花見スポットとして有名らしく大勢の人達が夢鏡桜を見物に訪れるそうなのだ。


私だけの桜が、いつの間にか皆の桜になったことにどうしようもない嫉妬心を感じ、もう一度私だけのものにしたいという欲がフツフツと湧き上がるのだった。

桜は後二三日で開花するのだろう、ぷっくりと膨らんだ蕾たちを私は見上げる。


ヒヨォーーー、ヒヨォーーオー


微かな笛の音が聞こえる……ような気がした。


「もう、すぐ開花だわね……」

「そうだね、ハル」


 私を前世の名前で呼んだのは、夢鏡桜にもたれて立つ美しい男神だった。


「……え? 桜?」

「そうだよ、忘れたのかい? 君と一緒に笛を吹いたじゃないか。でも名前は桜じゃないよ、桜佐須良咲多彦(おうさすらさくたひこ)


 美しい……。桜に宿っていたのは、淡い桜色の薄絹を纏った輝くほど美しい男神だった。中性的なその容姿に加え華奢な肢体はまさしく天女のようである。


「……あの頃は、お姿は見えませんでした」

「ああ、霊力が弱かったからね、今は古木になりつつあって僕の霊力が上がってきたので開花前だけど見えるだろう?

僕はこの桜からハルを輪廻に送り込んだんだけど、僕の霊力がまだ弱くてハルの魂が桜に少しだけ残っちゃったみたいでさ……

ハルは桜の中にいたかったんだろうけど、ここには元々僕がいたからね。

桜に二人は入れないんだよ……」


 神らしからぬ親しげな喋り方に、前世でもこんな感じだったのかしら?と記憶をまさぐる。


「それにしてもさぁ、ハルが埋められた時は参っちゃったよ。 根っこの近くに埋めるもんだから……ハルが腐って強烈なアンモニアが発生しちゃってさ、根っこが枯れちゃうかと心配したよ。 まあ、養分にはアンモニアも必要なんだけど、いかんせんキツすぎるよ……今度はハルの養分はいらないからね! どうせなら腐葉土にしてくれない? 

あぁ、臭わないからホームセンターに売ってる粒剤の方がいいな……

タンパク質が腐る臭いは酷くて我慢ができなかったよ。しかも、ハルの魂が桜に入ってきちゃうしさ、窮屈だったんだよ」


「…………」


…………私の桜に宿る神……が……こんな……嘘でしょ……。


「ねぇ、長い付き合いってことでハルにお願いがあるんだけどいいかな?」


 神様のお願いなら聞かないとならないでしょうけど、恋い焦がれていた桜に宿りし神が軽いノリのコイツ、じゃなかったこのお方?

久しぶりに会ったというのに私に対する愚痴を言い、ロクに話もせず、お願いをするとはなんと失礼な神様なのだ。そもそもお願いをするのは人間の方からでしょう……。

今まで淡々と前世と現世の心境を語ってきた私の立場が無いではないか。


「僕さ、この桜の周り二百メートル位しか行動範囲がなくて数百年いるだろ。退屈なんだよねぇ……人間の世界は面白いことが沢山あるっていうじゃないか、だから覗いてみたくてさ、ちょっと桜の主を交換してくれない?」


「……私が留守番をするということですか?」


「うん、桜が散るまでには戻ってくるからさ。花が散りきってしまうと桜が閉じてしまうから戻れなくなってしまうんだ。だから必ず帰って来るよ。

信用できるハルだから頼むんだよ、ね、お願い!」


 桜佐須良咲多彦(おうさすらさくたひこ)は私が神様であるかのように手を合わせた。




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