間話
ブラックフォードにいる女の子の話です。
主人公は、出てきません。
ブラックフォード。それは最大の国であり、街でもある。また最も技術力の優れた街として『道具の街』と評される。世界最大の技術と選りすぐり職人たち。門外不出の技術を得る為に、様々な職人が集まる。集まったとして、その面接や適性試験などは厳しく、合格には程遠い。
かくいう私も、ブラックフォードに憧れてこの街を訪れた。職人なら誰でも憧れる街だから。でも、私は受からなかった。
女だからという理由で。ハッキリ言って腹が立った。女だからなんだってのよ!私だって鍛えればどんな技術だってやりきってみせる!
そりゃ、力仕事は確かに不向きかもしれないけど、でも女ってだけで門前払いって酷い。むかつくむかつくむかつく!
それなら私の実力が分かればいいんじゃないかしら?そう思って、私は全財産を使って店を構えた。正直、立地的には良くない所だけど、お金がないんだからしょうがない。これでも窯と道具が揃えられただけマシだと思いたい。
「来ないわね……」
ぽつんと小さな声が零れてしまった。立地が悪いせいか、客が全く来ない。前を通る人はいつも柄が悪そうな連中ばかり。怖いので、いつも奥の方から店頭を眺めている。店員なんて雇う余裕なんてない。もう殆どのお金は使い果たしたんだから。
店頭に並べた商品はガラス細工だ。私は元々『ガラスの街』出身で、両親がステンドグラスの職人なのだ。それほど有名な職人って訳じゃない、普通の、中の下の職人。私はそれを昔から見ていたので、やり方は知っていた。
大きくなってからは手伝いもして、それなりの出来栄えになった。でも、私が作りたいのはステンドグラスではなかった。
私は子供の頃に見たフライパンに衝撃を受けた。あんなもの見た事がない。真っ直ぐに整えられ、綺麗な円を描く。あれでお肉も焦げ付かない。魔術師にでもなった気分が味わえる代物。だから、フライパンを作りたくて『道具の街』に来たってのに……なんでガラス細工なんて作ってるのかしら。本末転倒ってこういう事を言うのね。
反対してた両親を押し切ってここまできたのに、情けない。はぁーっと海よりも深い溜息をついていると、店頭で物音がした。
泥棒か、と思ってそーっと覗くと、ガラス細工を熱心に見ている男がいた。手に取って、じっくり眺めて、置いて……を繰り返している。
なんだ客か……き、客!?なんて珍しい!
驚いて二度見してしまった。その男は、かなり顔立ちのいい男だった。あの綺麗な容貌、もしかしたら貴族のご子息かもしれない。でも、着ているローブは破れていたりと、かなり質素で、判断に困る。
私が声を掛けるのを躊躇っていると、男は溜息をついて首を振った。そしてそのまま離れて行ってしまう。ああ……貴重なお客が。首を振ったという事は、ダメだった、って事かしら。
その事実に涙が溢れて来た。立地が悪いせいじゃない。ただ単に私の作品がダメなのだろう。たぶん、不合格になったのも、それを見抜かれたから。なんて無様なんだろう。
その日は布団にくるまってひたすら泣いた。
両親の事を舐めていた。自分はもっと出来ると勘違いしてた。それが恥ずかしかった。甘い技術でこの街まできて、この有様。
両親は凄い職人だったのだ。毎日毎日お客も来ていたし、常連もいた。それに比べて私はどうだ?この閑散たる状況。あまりにも惨めじゃないか。
もういい、もう帰る。この冬が終わったら、帰ろう。この家と道具を売れば、帰りのお金くらいは賄える。
そう考え、ただぼんやりと日々を過ごした。
そんなある日、また客がきた。
しかも前回来ていた茶色の髪の男前だ。何故また来たのだろう。疑問に思いつつ、今度は声を掛ける。客への応対はハッキリ言って苦手だった。火の番をしていた方が楽で、好きだった。
「い―――げほげほぉっ!」
しばらく声を発していなかったせいか、盛大に噎せた。声を出さないと、こんな風になってしまうなんて知らなかった。全く声が出なくてビックリしたわ。
「お、おい……大丈夫か」
男前は困惑しきった顔で私の背を撫ででくれた。すると、スッと喉のひきつくような痛みが取れ、体も軽くなった気がする。
その不思議な感覚に、首を傾げて男を見上げる。私の身長もそれなりに高いけれど、この男はそれよりも高かった。キスをするのに、丁度良い高低差だろう。まぁ、私には関係ない話だけど。
男は曖昧に笑っている。この男は顔が良いどころか、声もイイらしい。体格もスラッとしている。
それでもって、何日も水浴びすらしていない私に気軽に触れて心配してくれる優しさ。この男、女たらしだ。絶対そうだ。そう思って警戒心を強める。
「これ、君の作品?」
彼は私の作品を手に取ってニッコリ笑う。どこか良い香りもするなこの男。どこまで完璧になれば気が済むのだろう、ちょっと腹が立って来たわ。
「ふん、だったらなんだってのよ?」
馬鹿にしにきたのだろうか?これだからお貴族様ってのは困る。でもまぁ、ここまで完璧を演じる男だから、こういう寂れた場所の店を困らせたいのだろう。ストレス発散と言う奴だ。完璧なヤツなんていない。どこか欠点があるから人間ってもんだ。どんなに良い奴でも……いや、ニコニコと笑顔で擦り寄ってくる奴ほど警戒しろ。それが父の教えだった。父の直感は良く当たる。面倒そうな客はいつも父が引き受けるのだ。それで私の家の経営は安泰。今さらながら両親の素晴らしさを実感して来た。
「そうか……買うよ」
「えっ!?」
冷やかしなのかと思っていたのに、思わぬ発言にビックリする。
驚いて男をマジマジと見てしまう。その男は、とても優しい表情で私の作品を見つめていた。その表情にドキッとする。
な、なんて顔で見てんのよ!この男―――!
無駄に心臓に悪い男である。私の作品を優しく見ているから、まるで私に向けられた笑顔のように感じられた。ううわ、私ってばこんな思考する奴だった!?
年頃の女の子たちの話題にはいつもついていけなくて、職人として頑張っていた私がまさかこんな考えを持つなんて、思ってもみなかった。
これが、男前の実力って奴ね、恐ろしいわ。無駄に色気をまき散らしてんじゃないかしら。
ドギマギしながら男の顔をみる。どれだけ見ても完璧な作りをしている。やっぱり、良いとこのご子息なんだろうな。
作品を見ていたその瞳がふ、とこちらに向いてドキリとする。な、なに見てるのよ。こいつ……つか、あんまりみないで欲しいんだけど。私の恰好は、とても汚いのだ。煤にまみれているし、服はかえてないから汗が滲んでる。今さらだけど、恥ずかしくなってきた。
「……いくら?」
「へっ!?」
いくら?って、なに?
私の顔をみた男はククク、と喉を鳴らせて笑った。この男、何をしても様になる。笑われているのに、嫌味じゃない。その嫌味でないところが腹立たしい。まるで「清廉潔白」を地で行ってますという態度が腹立たしい。完璧なの?この男、ほんとむかつく。
「値段だよ、この……作品の」
「えっ!……あっ!?ぎ、銀貨3枚よ!」
い、いくら、って値段聞いてたのか!私ったらボケるのもいい加減にして欲しい。いくら客が来なかったからって、お金を忘れるなんて。
しかし、言われた男は眉を寄せた。顎に手を当ててしばらく考える。その値段が不満だったのだろう。値下げはききませんから!
「……それ、安すぎるぞ?」
「……へ?」
予想外の男の答えにぽかんとする。
男は優しくクスリと笑って説明した。
銀貨3枚は確かに『ガラスの街』の相場だが、『道具の街』ではそうではない。この街でガラスの原材料を手に入れる為にはかなりの高い値段が必要らしく、銀貨3枚では採算が取れない。
……原材料の値段なんて、知らない。ここでガラス買って、少し高いかもと思ったけど……『ガラスの街』にいた時は両親が仕入れをしていたから『ガラスの街』の仕入れ価格を知らないのだ。
「くく、そんな事やってたら赤字ですぐに店が閉まるぞ?」
「い、いーのよ!どーせもうすぐ閉めるつもりだったんだから!見ての通りあんた以外の客なんて来た事ないし!」
「へぇ……こんなに綺麗なのに、勿体ない」
「!!」
作品を優しく撫でながらそんな事を言うもんだから、かぁっと顔に熱があがった。恥ずかしくて、思わず足が出てしまった。ガスッと脛を蹴る。
「いたっ!?え、なんで!?」
「なんでもないわよこの女たらし!」
私の暴挙にビックリしている。そりゃそうだ、私も驚いた。それだけ私が動揺してしまったという事だ。
蹴られたというのに、男はびっくりするだけで、怒りもしない。顔よし、体格よし、声よし、物腰柔らか、性格穏やか、知識豊富。この男、ほんと性質が悪い。完璧な人間って存在するんだわ。父さんの説が揺らぐほど完璧な男だ。
「……なぁ、提案があるんだけど。いいか?」
「…………なに」
その男の提案は驚くものだった。私の作品が気に入ったから、常に買わせて欲しいというものだ。
ついでに住む家がないから、住まわせて欲しいというもの。確かに、部屋は狭いが、空いているといえば空いている。
彼はネーヴェという名で、冒険者をしているらしく、用心棒にもなると主張してきた。商品の適正な値段も教えてくれるという。
とても美味しい話だ。常に買って貰えるなら店をしめなくてもいいし、まだブラックフォードにいて職人の面接に行ける。お金の計算も私は得意じゃないから助かるし、正直用心棒はもっと助かる。柄が悪い男がうろつくところなので、凄く安心できる。
だが、美味しい話には裏があるというもの。やはりこの男、何か企んでいるらしい。
「はは、企んでいる方が良いか?たとえば……体目当て、だとか」
疑る視線を向けると、ネーヴェは私の胸を見てそう言った。かぁっと顔が熱くなって思わず手が出た。彼は防ぐ事もせずにただ殴られた。はっきり言って効いていないはずだ。冒険者として戦っている男に女が殴ってもまるで歯が立たない。
暴れる私をネーヴェはあっさりと腕を掴んで止める。腕は痛くないのに、でも何故かその腕が暴れても外せない。もしやこの男、魔術師なのだろうか。
「ご、ごめんごめん。冗談だ、冗談……単に君の作品が気に入ったからだよ。それだけじゃ……ダメか?」
ぐっ……!この男、ずるい。そんな風に言われて作った私が喜ばない訳がない。何もかも計算尽くしなのだとしたら、私にはとてもではないが対抗できない。
良い事づくめのこの男の提案に、私は頷いた。
ネーヴェは本当に約束を守る男だった。
私に手を出す事もしないし、用心棒としても役立ってくれる。作品を高く買ってくれるし、お金の計算もしてくれる。
近頃じゃ、ネーヴェの評判を聞いた女の子が、私の作品を見て買って行ってくれることもあった。良い事しかない。むしろ良い事しかなくて困る。
私がネーヴェに提供している事と言えば、部屋を貸している事だけだ。
どうやらネーヴェは私の作品を見て首を振ったのは、お金がなかったせいらしい。私の作品が気に入らなかったんじゃなく、むしろ気に入り過ぎたという。素面でサラッいうものだからまた蹴ってしまった。
でもちょっと困った事はある。ネーヴェのファンだ。ネーヴェはあの通り恰好良く、冒険者としても強く、優しい。そりゃ熱狂的なファンも出来るというモノ。たまに私の店に乗り込んできて、私を殴ってくる子もいる。嫉妬だった。まぁ、確かに分かる。気持ちは分かる。でも殴るのはどうかと思う。
「ネーヴェ、あんた所構わず口説くのやめなさいよ」
「あはは……いや、ごめん」
曖昧に笑うので睨みつけると、謝って来た。この男は本当に性質が悪い。ネーヴェは口説いている気が全くないのだ。無意識に女性の喜ぶ事をしているらしいのだ。かくいう私もピンポイントで喜ぶ事を言われる。本当に本当に性質が悪い男だった。
「おーい、ネーヴェ!救援要請だ」
店に現れたのは、ネーヴェとパーティーを組んでいるスウェー。水色の明るい短髪の男で、やんちゃにニッと笑うのが印象的。こいつも中々強い冒険者で、女からの人気が高い。どうにも女慣れしていないらしく、照れるのが可愛いそうだ。私にはそんな素振り見せた事ないから知らないけどね。まぁ、他の女の子みたいに擦り寄って行かないからなんだろうけど。
「よ、リャナンの嬢ちゃん。今日も盛大に殴られたんだって?モテる旦那持つと大変だなー」
「旦那じゃないわよっ!」
いつもこうやってからかってくる。ネーヴェとは単なる商売による契約関係ってだけだ。確かに共に住んでいるので、勘違いする女の子もたくさんいる。今日殴って来た子みたいにね。
でも、そんな甘い関係じゃない。ネーヴェが好きなのは、私の作品だ。
スウェーがむかつくので、蹴っておく。まぁ、ダメージなんて全くないけどね。蹴ると私の気が晴れるのだ。ここはスウェーに我慢して貰うわ。
「もうあの子には店に近づけさせないよ……リャナンの事を傷つけるのは、許せないからな」
「だー!あんたはさっさと行く!」
ニッコリ微笑んで私の髪にキスをしてくるネーヴェを蹴り飛ばす。こいつは全く油断も隙もない。そういう事を気軽にするから、女の子が勘違いするのだ。
まぁでも、これで用心棒して貰っている事もチャラにしてやるって気分にもなるけどね。
……そう考えたら、私ってちょっと損じゃない?やっぱりあの提案には乗るべきじゃなかったかも。これからも女の子が怒鳴り込んでくると思うとげんなりしてきちゃう。
でも、苦笑するこの男の事を嫌いにはなれない。
「ネーヴェ」
救援に向かうネーヴェに思わず声をかけてしまう。
救援要請とは、最近頻繁に起こっている。魔物が暴れ出し、人を、街を襲うのだ。冒険者はその度に命を懸けて守っている。だが、その頻度は高まっており、魔物も強くなってきているという。
近頃、魔王の復活が囁かれている。遠くに見える黒い雲が迫ってくるのが、その証拠だった。あの空を見る度、酷い不安に駆られる。あの禍々しい雲が、ネーヴェを攫って行ってしまうのではないかと考えてしまう。
「無事で帰ってきてね」
「ああ」
「だーいじょうぶだってリャナンの嬢ちゃん!こいつは殺しても死なねぇよ!」
私の言葉に、力強く頷くネーヴェ。スウェーは私を励ます様にわははと笑って見せる。その気遣いが嬉しくて、私も笑みを返す。
彼らもそれなりに強いらしいが、魔物との戦いは、いつ命を落としても可笑しくないのだ。
確かに迷惑を掛けられているが、知り合いに死なれるのは嫌だった。なんだかんだ言いつつ、私にも笑顔が戻ったし、賑やかになった。とても感謝している。今では、とある職人の所で2次選考まで合格している。どれもこれもネーヴェのおかげ。
だから、こんな風に胸が締め付けられるのも、恩人だからだ。たぶん、それ以外の理由なんて、ない。いらない。他に何もいらないから、ただ無事に帰ってきてほしい。
お願いだから、ネーヴェ……。
「リャナン」
ネーヴェの声に驚いて顔を上げてしまう。しまった、泣いている所を見られた。私は恥ずかしくなって俯く。なんで今日に限って、戻ってくるのだろう。この胸騒ぎはなんなのだろう。
涙を零す私を、そっと抱き寄せるネーヴェ。いつでもどこでも、なんとも完璧な男である。私が抱きしめて欲しいって分かってて、抱きしめてる。女が喜ぶことを知り尽くしている。なのに、ネーヴェは誰も好きじゃない。完璧なのに、選り取り見取りなのに。
ネーヴェの花のような香りを吸うと、なんだか落ち着く。なんだかもう、彼は家族のような存在になってしまった。無事でいてほしい。帰ってきてほしい。
「大丈夫、帰って来るから……待ってろ」
ふっと抱きしめる力がなくなって心寂しくなる。縋りついて止めたい。でも、冒険者が彼の仕事なのだ。彼ら冒険者が行かないと、この街は壊れてしまう。何がなんでも守らないと、戦わないといけないのだ。
私はネーヴェの過去を知らない。ここに来るまでに何があったかなんて知らない。でも、辛い事があるんだってわかる。戦いに行く彼は、まるで死に急いでいるようにも見える。
帰ってくる、と彼が言ったのだ、信じなくてどうする。と、自分に言い聞かせて涙を止める。大丈夫、彼らは強い大丈夫……。
何度言い聞かせても、心の靄は完全に消えてくれない。まるであの黒い雲のように心にこびりついているのだった。