過去話
柊鏡夜くんの、過去のお話です。
母さんが死んだ。突然の事故でビックリしてなんとも現実味の無い事だった。父さんは嘆き悲しみ、もうこのイタリアに居ても何も意味を成さない。ここにいると母さんの笑顔を思い出して辛いと、言いだし、父さんの生まれ故郷である日本に行くことが決まった。
母さんは死に、馴染んだ地を離れることになり、俺はもう呆然とするしかなかった。父さんはその時本当に余裕がなくて、親戚や兄弟にただ会いたかったんだと思う。
イタリアを離れるのは寂しかったが、日本という国にも興味はあった。普段から父さんは日本語で喋っており、俺は日本語も問題なく使えた。
だから不安はあったが大丈夫だと思っていたが、そうでもなかった。どこから聞きつけたのか知らないが、他の子供は「泣かない子供、薄情」などと言って母さんが死んだ時、泣かなかったことを知っていた。
「その髪気持ち悪い」は正直堪えた。イタリアにいるときそんな風に言われたことはなかった。子供ってのは残酷だ。思ったことをそのまま悪意もなく言う。俺はひどく落ち込んだ。
が、突然一人の子供がキレた。
「お前、人の気持ち考えたことあんのか!」
「そんなこと笑顔で言うな!」
「お前らの方がよっぽど薄情で、傲慢で、気持ち悪いわぁ!」
などと喚きながら俺に悪口を言ってきた子供を次々となぎ倒していった。圧巻だった。
俺は怖くて震えた。どう考えても俺を庇ってくれたんだが、どうしても殴る子ってのが怖くて仕方がなかった。ちょっと失礼だったかもしれないが、暴力以外にでなかった彼も悪かったと思う。
全員倒したあと、彼は怯えた俺を見て、泣きそうな顔をした。そして歯を食いしばって、そのまま俺を殴ってきた。咄嗟に俺も彼を殴った。自己防衛だよ、彼は自業自得だ。
それで彼は怒った顔ではなく、泣きそうな、悲しそうな顔をして俺の胸ぐらを掴んだ。
「痛いなら泣け!」
そう言った。ちょっと理解できなかった。ハァ?とか思っているとまた殴られた。今度はさっきより痛くて涙が出てきた。なんで俺殴られなきゃいけないんだ?
母さんも……死んだのに。
そう思うともう自分では止められないくらい泣いた。嗚咽も混じり、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった。目の前の彼を殴ろうかとも思ったが、彼は彼で複雑な顔をしていて、それ以上は何もしてこなかった。
ただ、俺の背中を優しく撫でてくれていた。よく母さんにしてもらったように。ひとしきり泣いた後、なんだかスッキリしていて、前に進めそうな気がした。醜態を俺が晒しているのを見た彼はどう思っているのかと思って、怖々と彼に目を向けた。すると、
「綺麗な目と髪が台無し……殴ったりして……ごめんなさい」
と、そう言ってきた。こっちに来て母さん譲りのこの目と髪を褒められたことは無かった。まるで、母さんという存在が認められたような気がした。この言葉に救われ、また俺は泣いた。
殴って泣いたときは優しく背中を撫でてくれた彼は、今度はオロオロしだして、なんだか可愛い気がして面白かった。
殴られた時は理不尽だと思った。でも、なんだか母さんの色を褒めた彼を憎めなかった。むしろ好意的に見ることができた。
俺は確信した。彼は俺の最初で最後の最高の親友になるんだろう、と。
それからユウキとは親友になった。彼は明るく、社交的であった。しかし、俺の悪口を言う奴がいたら滅茶苦茶怒った。すぐに手を出すので、俺は必死で止めた。俺のために怒ってくれるのは嬉しいが、少々やりすぎかもしれない。
彼を止める内に俺も喧嘩の仕方が分かるようになってきて、それからは他の男子からはあまりいじめられるような事はなくなった。強くなったもん勝ちだ。
彼はとても強くてガキ大将的な存在であった。でも、みんなに平等で、いじめなんかは許せないらしく、他の子がいじめてるのを見て助けたりしていた。彼はとてもいい奴で、いじめっ子以外のみんなは彼を慕った。
いや、いじめっ子とも仲良くなることもあった。
彼の中で俺はどういう存在かは気になっていたが、親友だと思ってくれていたら嬉しい。彼とは頻繁に遊んだ。アニメの話をしたり、ライダーごっこをして遊んだりしていた。
中学に上がって驚愕した。彼は……いや彼女は、ユウキは女の子だった。スカートを履いて来たときは何かのバツゲームかと思った。でも、恥ずかしそうにしている姿は可愛らしく、何故か小学生時代に俺が泣いた時にオロオロしている姿が思い浮かんだ。
俺は何も知らなかったことを恥じた。親友だと思っていたことが思い上がりだった。彼女は男扱いされていて傷ついたんじゃないのか?俺は彼女に知らなかった事を告げて謝った。
「ふっ、今までうまく騙せていたようでなによりだ」
そう言って彼女はイタズラが成功して嬉しいといった感じで笑った。彼女なりの気遣いだった。まるで自分の方が騙したんだからお前は悪くないと言っているようだ。
なんだか泣きそうになった。が、こんなことで泣いていられない。謝罪のつもりで「ゆきちゃん」と呼んでも良いかと聞くと、嬉しそうに「いいよ」と笑ってくれてホッとした。
中学からは小学生時代が嘘のように女の子が寄ってきた。俺の事を気持ち悪いと言ったやつまで、好きだと言い出した。正直ヘドがでそうだった。
今まで散々お前たちは俺に何を言ってきたのか忘れたのか。あんまり相手にする気にもなれず、曖昧に笑って受け流した。男子達とはバカばっかりやってそれなりに楽しかったが、やはりゆきちゃんと過ごすのが一番楽で楽しかった。ゆきちゃんだけは俺に対してずっと態度が変わらない。それを言うと、
「ふっ、鏡夜こそ私が女だと分かってからも態度が変わらなかったじゃないか、お互い様」
と言ってニコニコしていた。そうかな?そんな風に思ってくれていたなら嬉しい限りだった。中学に上がってからというものの、ゆきちゃんはモテるようになっていた。男子ではなく、女子からだ。正直男の俺から見ても滅茶苦茶かっこいいと思う。運動はなんでも出来るし、誰に対しても朗らかで優しい。
そして、差別が嫌いで、今でもいじめっ子撲滅運動をしている。
とある時に、一人の女生徒に対したくさんの女子が絡んでいたとき、
「可愛い顔が台無しになっちゃうよ?……ね、私のためと思ってこういうのはやめた方がいい。自分の価値が下がるんだ。……もったいないよ」
そう言って優しく両者に笑いかけ、その場全員の女子の心を奪っていったのはもはや伝説と言っていい。女子にモテるのはゆきちゃんはどう思っているんだろうか。彼女も……女子であることには変わりはないのに。
それをゆきちゃんに聞くと、
「好かれるって事は嬉しいことだよ。そこに女も男も関係ないんじゃないのかな……やぁでも男友達たくさんいるよ?これも好かれてるってことじゃないかな?」
そう言って嬉しそうにしていた。そうなのかな。好かれりゃそれでいいのかな。でも、ゆきちゃんが嬉しそうに笑っているので、俺も笑った。
高校に入るとさらに驚愕した。絶望したといっていいだろう。あまりにゆきちゃんの事を知らなさすぎた。
ゆきちゃんは明るくて、社交的で、色男(?)で、とてもいい環境で育ってきたと勝手に思い込んでいた。実質は全然違った。両親は早くに亡くなっており、高校を機に家も追い出されたという。しかも、中学からバイトをしていたという。そこでようやく分かった。俺がいじめられている時、特別激昂した理由が。単に正義感が強いからだと思っていた。そこに深い理由なんてないと思っていた。
彼女は自分の事を俺に重ねて、泣けなかった自分を重ねて、俺を泣かせてくれた。心の傷を癒してくれた。でも俺の傷より、彼女の傷の方がよっぽど深かったはずだ。だって俺は父さんが生きているのだ。彼女は両親ともに違う理由で同時に失っているのだ。
全然全く気付かなかった。言われてみると、彼女は昔から家に帰るのを躊躇していた。「秘密基地を作りたい」だのと言って楽しそうに笑っていたので、分からなかった。
いや、小学生の俺がその嘘に気付く訳がない。あんなに楽しそうに作戦を練る奴が、「家に帰れないだけ」だなんて気付く訳がない。
「なんで言ってくれなかったのか」
と、身勝手に怒った。違う、俺が悪いんだ。俺が彼女を知ろうともしなかったせいだ。何が親友だ。俺は大馬鹿者だ。でもそうやって怒っている俺を見て、彼女は嬉しそうに笑って言った。
「その鏡夜の怒りだけで救われたよ。本当に私は恵まれているなぁ。友達はたくさんいるけど、鏡夜は特別。そんな人間が一人いるだけでも世界は変わるんだよ?だから、ずっと鏡夜にはお世話になりっぱなしなんだ」
そんな事をいうものだから泣いてしまった。違う、泣きたいのは彼女の方なのに、なんで俺が泣いているんだ。出会った時もそうだった。彼女の方がよっぽど泣きたかったのに、俺が、俺だけが泣いたんだ。
俺だけが勝手に彼女に救われていた。そんなの理不尽だった。
それでも彼女は「幸せだ」と笑う。
泣いた俺を見て、彼女は出会った時のようにオロオロした。そして恥ずかしくなって真っ赤になっていた。照れた彼女は「バイトがあるから」と言ってその赤い顔を隠しながら走っていった。
そんな彼女を幸せにしてやりたいと思った。この理不尽な世界で本当に彼女が「幸せ」になって、なんの気負いもなく笑える世界にしてやりたかった。
親友として、ゆきちゃんが幸せになれるように。
駅周辺は人で溢れかえっている。道路は封鎖されて警備員が誘導する。そう、今日は花火大会がある日なのだ。
河川敷に沿って屋台が立ち並ぶ。かき氷に、たこ焼きにフランクフルト。待ち合わせは有名な時計塔の前。案の定有名なので人で溢れかえっている。
逆に人を見つけにくくなっているが、そんなのは関係ない。あいつはとんでもなく目立つ奴だから。
「ねぇ、お祭りいこ?」
「ふ、ごめんな?先約があるんだよ」
「ええーっ」
女の子に囲まれた幼馴染を見て嘆息する。
「なんで甚平なんだよ……女の子だろ?」
「いや、似合うだろうと思って」
くく、と可笑しそうに笑う幼馴染に呆れる。これだけ綺麗なんだから、着物も似合うはずなのに……たぶん男物の着物を着てきそうだ。
こいつなら確実にやる気がした。黒髪で、目鼻立ちの通ったイケメンは、女の子である。女の子の扱いが上手くても、女の子をどれだけ魅了しても、女の子なのである。
とても残念な幼馴染にまた溜息を付く。これではナンパされてしまう。自分で言うのもなんだが、自分もそれなりにモテる。
イタリア人の母と、日本人の父を持つ俺は、母譲りの金髪碧眼をしている。顔立ちも欧米系なので、日本人から見たらたぶんカッコいいのだろう。
だが、それも俺が欧米系の顔をしているからで、特にカッコいい訳じゃないと思う。俺よりも整った容姿のやつはいる。例えば目の前のイケメンだ。
奴は老若男女誰彼かまわず究極に優しい。そしてモテる。女の子にはキャーキャー言われ、おばさんにもおまけを貰ったり、オジサンからも気性を気に入られ、男どもも崇拝の念を抱く。
彼女は完璧なイケメンなのである。
これだけ女の子にモテるが、奴なら仕方ないと誰も因縁は付けない。というか、抑えるだけの力も持っているから手におえない。
諦めて屋台を回る。甚平を着て歩く姿を女の子が何度も見てくる。
流石のイケメン力である。
「はぁ……」
「どした?」
「いや、ゆきちゃんイケメンだなぁって……」
「ふっ、くく……イケメンの鏡夜に言われたくないな」
「だから女物の着物もきっと似合うと思うんだけどなぁ……」
「ん?なんだって?」
どうやらよそ見をしていたらしい。なんだか良く分からないが無性にイラッとした。ふにっと、その柔らかな頬をつまむ。
「なふぇふふぇる?(何故つねる?)」
「なんとなく」
この女の子は本当に無防備に過ぎる。良く分からないがモヤモヤっとする。けれど無性に一緒にいて嬉しい。そんな不思議な感覚。
つねった時に触った方頬が滑らかで、柔らかくてやたら心臓が速くなる。
彼女がイケメンで良かったのかもしれない。彼女の綺麗さに、美しさに、誰も気が付かない。俺みたいに近づかないと、気付かない。
そんな優越感が生まれる。
祭りはいよいよ本番。
花火が夜空を彩る。綺麗な光に照らされた彼女はとても綺麗で。
「花火―――綺麗だね。ゆきちゃん」
彼女から目を離さずにそう言った。花火より、花火に照らされた彼女の方が綺麗だと。心の底から思った。口から出た言葉に急に恥ずかしくなる。
何言ってるんだ俺は……。だが、彼女は花火に目を取られているので、自分が綺麗だと言われているのに気付きもしていない。
「そうだなぁ……」
嬉しそうに見つめている彼女を今自分だけが占領している。
自分が彼女のもっとも親しい親友。
花火を見つめている彼女は何やらぶつぶつと呟き出した。聞けばストロンチウム、アルミニウム、カルシウム……と炎色反応の金属を言っているようだった。これにはまた呆れる。
「ストロンチウム……って夢がないよ。ゆきちゃん。もっとこう……感動をだね」
「感動してるよっ!凄いよね。金属で色変えるなんて考えつかないよ」
本当に嬉しそうに感動しているようだ。本当に変わっている人だ。けれど、そこが魅力的な所でもあるのだから悩ましい。
「緑……緑ってなんだっけ?」
「多分バリウム」
「ああっ!」
元素を考えるゲームに移行した。それはそれでまた面白い。
優秀だから、どんどん出てくる。結局負けてしまうのだが、それで彼女が満足そうにしてくれるならそれも嬉しかった。
季節が巡って冬が来る。
彼女と共に生徒会に入った俺達は何かと忙しい。それに彼女は色んなバイトをしている。
自炊・バイト・勉強・運動・生徒会の仕事……全て完璧にこなす体力と気力と時間ははどこから捻出しているのだろう。人体の神秘である。というか、彼女自体が神秘である。
出来るだけ生徒会の仕事は手伝っている。なるべく彼女に楽をさせて上げる為だ。それでも少ししか手伝えないから、歯がゆい。
金銭面も、手伝ってやりたいのは山々なのだが、確実に彼女が嫌がる。
だからたまに食材を買って寮で振る舞ってあげる。彼女に教えて貰ったレシピは美味しい。だからそれを作ると彼女も喜んでくれる。
「鏡夜はイケメンなのにこんなに料理も上手いならどこに出しても恥ずかしくないね」
嬉しそうに料理を頬張らせて言われたセリフにチクリと胸が痛む。まだ、自分の恋心に気付いていない馬鹿な自分。未だにその想いが親友に向けるものだと信じてやまない。こんなにも心奪われているのに。こんなにも独占したくてたまらないのに。
触れたくて、愛おしいのに。それでも俺は気付かない。
かじかむ手を擦って両手に息を吐く。吐いた息は白く染まる。空は灰色に染まり、今にも降り出しそうだった。
生徒会の仕事でなかなか遅くなってしまった。案の定、降って来だした。雨ではなく、雪だった。
「ゆきちゃん、雪が降ってきたよ。綺麗だね」
「何そのギャグ。面白くないわーマジないわー」
「ちょ、ひどっ」
俺の渾身のギャグが一蹴された。だが、特に傷つく訳でもない。
というか、俺は笑っているのだ。こういう軽いやり取りが出来るのも嬉しい。それに、俺が本当に傷つく言葉は彼女は言ったりしない。
それに、子供の時に比べて随分と俺も強くなった。もう苛められる事もない。
「うーん。寮近いから。そこで私の傘貸すよ。流石に寒いからね」
「おおっ助かる。明日返すよ」
「おー」
彼女が宿泊する寮に走って向かう。
「きゃー!井上様に柊様が!」
「なんという美味しいシチュなのかしら……はぁはぁ」
俺が彼女の髪を拭いていると、横から黄色い悲鳴が上がる。君ら……もうちょっと別の事に叫ぼうよ。
俺みたいな男が入って騒ぐところだろう?それとも、俺なんかじゃ男にも分類されませんってか?はいはい、彼女の方がイケメンですよっと。
でも完全にBLのネタにされてんな。別に良いけど。彼女の可愛さを知っているのは俺だけで良い。
「ほれ、傘。失くしたり、盗まれたりするなよ?100均だからすぐ盗られるんだよなぁ」
「ああ……勿論家まで直行する」
「頼むよ」
むしろ傘をプレゼントしても良い。誕生日プレゼントそれが良いだろうか?
だがしかし、傘は持ってる事には持っているんだよな。
もっと他のモノが良いだろうか。
やっぱり女の子にはアクセサリーか……。でも彼女は似合わないと言ってあまりつけてくれなさそうだ。指輪とかあげたいんだけどな……。シンプルなデザインならきっと大丈夫だろう。
でも、指輪って……かなり恥ずかしいな。
難易度が高い。あーそもそも指のサイズも分からんっ。俺の馬鹿。
アニメばっか見てないでそういうのも調べろよ。
プレゼントは結局問題集を上げた。ネックレスも考えたのだが、直前に迫ってくると妙に気恥ずかしくなったのだ。
問題集を貰った彼女は喜んでいた。勉強家だからな。問題集だけだとアレなので料理の本も上げた。こちらも喜んでくれた。まぁ毎年の事だが、これのおかげで彼女の料理のレパートリーが増えた事は確かだ。
別に彼女に料理を作ってほしいというやましい気持ちはない。決してない。スパイスから作るカレーとか特に喜んで作ってたな……。しばらく配合にこだわりを持って作ってたな。あれは美味しかった。彼女の特製配合らしい。俺には真似できなかった。
次回も引き続き、過去話となっております。




