間話2
ブラックフォードのスウェーという男の視点。
前回の間話でチラッとだけ出ていた男です。
俺はスウェー・アブズバット、冒険者で弓術師をやっている。俺の遠距離攻撃には定評がある。なので、いろんなパーティーによく誘われる。大きな戦闘の時に入れさせてもらう……いわば野良冒険者だ。
特定のパーティーは作らず、困ってそうな冒険者に力を貸す。入ったパーティーにはいつも「このままパーティーにいてくれ」と頼まれる位には腕が立つ。そんな風に言われて、正直悪い気はしないが……まだどこにも入る気はなかった。
「今日もどっかに入るのかぁ?スウェー」
「ああ?あーそーだなぁ、今日はどうすっかなぁ」
いつも俺をパーティーに誘い込もうとするムガルという男だ。なかなか厳つい顔をしているので、女にモテないと嘆く35歳、独身。まぁ、こいつの事はどうでも良い。
最近はとくに雲行きが悪い。もう見るからに悪い。なんせ、遠くの北東の空にドス黒い雲が渦巻いているのだ。あれは魔王の復活なのではないか、とささやかれている。
それを証明したみたいに、魔物が多くなっている気がする。空は段々と広がり、人々の不安の心も広がっていく。雲の下は薄暗く、気味が悪い。普通の雲とは違う。なにせ、いつ見てもはれることがないのだ。
「あれもなぁ……この街、どうなるのかねぇ?」
ムガルが俺の視線の先を見て、そう口にする。
「さぁな、もしあれが魔王の復活なんだとしても……勇者様がなんとかしてくれるさ」
「だといいがね」
軽く肩を竦める。だがその顔は晴れない。誰もがあの黒い雲を見て不安を抱えているのだ。
「おい、あいつ……大丈夫なのか?」
「おお?」
肩を叩かれてムガルが指さす先には、ボロボロの布を纏った男だった。ぼうっとギルドの看板を眺めている。
「知らねぇ顔だな、警戒しとくか」
この街は最近治安が良くなってきている。新しくなった領主様が、かなり良い方にすげ変わったようなのだ。それでもガラの悪い連中が変な事をしないという保証はどこにもない。毎日のように喧嘩は起こっているし、スリも多発している。
その度に俺は間に入り、止めたり解決したりする。正直、これは冒険者の俺の役目ではないが、街を守る為に自主的に行っている治安維持だ。見るからに生活環境が悪そうなヤツなんて、そのまま放って置けない。人は皆俺の行動に呆れているようだけどな。
「気ぃつけろよ?」
ムガルの言葉に手で礼を述べてボロ布を纏った男に近づく。
男は冒険者ギルドに入ろうとしている所だった。
「ちょっと待った」
「……?」
腕を扉につけていた男がゆっくりとこちらに振り向く。ゆったりとこちらに向いた顔に思わず息を呑む。
切れ長の瞳、サラサラと光が零れる様な髪、濡れた唇。
その男の顔がかなり整っているのだ。正直、どこぞの貴族でもやってておかしくないその美貌に若干怖気づく。
ならず者かと思ったら、予想を遥か斜め上を行く男だった。
声を掛けられた男は、きょとんとした後、綺麗な唇に弧を描いてククク、と笑った。
「……なんで笑ってんだ?」
「クク……え?いや、なんでだろうな?ほんと、良く分からないんだが……なんだかとても懐かしいような気分になったんだよ」
いや、本人が分からないなら俺が分かるはずがない。懐かしいなどと言っているが、俺はこの男と面識はない。完全に初対面だ。
しかし、どうにも調子が狂う男だ。本当に懐かしそうに嬉しそうにされると、むず痒い。
でもこの穏やかそうな雰囲気の男は到底変な事はしないだろうことは分かった。
「お前、名前は?俺はスウェーだ。この街で冒険者やってる」
「ああ……俺は……ネーヴェ」
これが、この男と出会った時の話だ。
ネーヴェという男は冒険者ギルドに登録しに来たと言っていたが……だが、嘘だと思うくらい強い男だった。
剣士なのだが、驚くほどその剣筋は鋭く正確で、速い。おまけに水属性の魔法まで使えると言う。手馴れすぎてて、冒険者の面々は「ネーヴェ」のFランクは嘘だと思うようになっていた。
俺はネーヴェの強さに惚れ込み、パーティーを組もうと誘った。ネーヴェは快く了承してくれ、この街では最強ランクのパーティーになった。
これだけ戦いやすい相手もそういない。弓術師の俺に全く敵を寄せ付けない。まぁ、寄って来ても2、3匹くらいなら全然対処できるのだが……でもこちらに近くない方がやりやすいに決まっている。
治安維持も爽やかな笑顔で応じてくれる。普通はそんな金にもならない事嫌がるだろうに、こいつは本当に良い奴だった。
ネーヴェはリャナンというガラス職人の女の所に住まわせて貰っているらしい。
あれだけ恰好良い男だ、余程可愛い子なのだろう、と思っていたのだが……初めて見た時は我が目を疑った。
恐らくは赤色と思われる髪には煤が付いており、頬にもべったり黒い煤がついている。分厚い旧式の眼鏡をかけて、ボロボロの服を纏う。おまけに足癖が悪い上に口も乱暴ときた。
まるでネーヴェの逆を行くような粗暴さだった。
思わずネーヴェの性癖を疑った。
「おま、え……まさか、ドM……」
「おい、何阿呆な事考えてやがる」
目が据わったネーヴェに睨まれてすくみあがった。すぐに表情を緩め、溜息を吐く。
「リャナンは違うよ、恋人でもなんでもない。……俺の恩人だ」
俺の恩人、ねぇ……このリャナンという女が何をしたというのだろう。聞けば、寝床を用意してくれたんだと答えた。
正直頭が痛くなる回答だった。寝床なら、このリャナンという女じゃなくても、用意してくれる女は腐るほどいる。ネーヴェはこの街の女全員を虜にする勢いでモテているのだ。
強い、優しい、顔も極上ときた。これでモテない方が可笑しいだろう。しかもこいつは無意識に女が喜ぶセリフを吐くのだ。手におえない。羨ましいが、こいつくらい完璧ならば納得も出来るのが悔しい所だ。
「家用意してくれる女なんざ、腐るほどいるだろうに」
スルッと零れ出た言葉にきょとんとした後、良い笑顔になった。
「リャナンは俺に靡かないから良いんじゃないか」
……この色男がっ。これだからモテる男は嫌だ。さも「それ以外はすぐに落とせて簡単」とでも言っているようだ。……憐れリャナン、多分惚れたらすぐにこの男出て行くぞ。まぁ、色気もクソもない女だから、そういう感情もないのかもな。
ま、モテる男ってのも大変なのかもな。ちょっと自業自得な所があるのは否めないが、あれだけ騒がれるっても嫌になるだろう。
しかし、リャナンの印象はすぐに変わった。ある日から煤まみれではなくなってきた。綺麗な赤い髪がウェーブを描く。厚い眼鏡に覆われていたその瞳は強い意思を宿し、目が離せなくなる程。そしてその赤い唇は誰もがしゃぶりつきたくなるものだ。
今まではダボダボの服に隠れていた体も、とてもスタイルが良い。
俺は我が目を疑った。あの口の悪さと蹴りがなかったら気付かない程の変わりようだった。
ネーヴェの真贋、恐るべし。
すらりと高い身長も、ネーヴェの隣に立てばお似合いになる。これほど目を奪う男女もなかなかいないだろう。傍からみりゃ、見つめあっている2人は仲の良い恋人にしか見えない。あれだけ仲良さそうなのに、付き合ってないとか嘘だろ。
あの綺麗な空色の瞳を見つめている内、俺の心はリャナンに奪われていった。いや、あの姿を見た時から心は奪われていたのかもしれない。正直、気付いた時にはもう手遅れなくらい好きになっていた。
だが、その強い意思を宿した瞳はいつもネーヴェを追っている。魔物の討伐に向かうネーヴェをいつも心配そうに見つめている。その度に胸が鈍く痛む。
あの強い瞳を真っ直ぐに受け止める立場のネーヴェが羨ましかった。でも仕方がないだろう。ネーヴェでないと彼女は見つけられなかった。ネーヴェでないとリャナンを変える事が出来なかった。それが結果だろう。
たとえネーヴェが「靡かないリャナン」を好んでいたとしても、だ。
最近本当に魔物の数が増えて来た。本格的に街の冒険者全員で討伐に出かけなければならない日もあった。
毎日毎日魔物と睨み合っていたら、精神が疲弊してくる。
「だぁあっ!こう魔物の討伐ばっかじゃやってらんねぇ!ネーヴェ、飲みに行くぞ!」
「え」
ネーヴェを引っ張って酒場に繰り出す。何だかんだネーヴェとはあまり外食などした事ないのだ。いつもリャナンの家に帰るし、本当に旦那かって話だ。
エールを注文して、適当に料理を注文する。『食の街』ではないので、変わり映えのしない味気ない食事だが……まぁ、ずっとここにいるから慣れるものだ。
俺が飲んで食っている間も、ネーヴェは何も口にしない。
「おい。食わねぇのか?腹は減ってんだろ?」
「……ああ」
曖昧に笑って、ようやく食事を口にする。チビチビと少しずつ、少しずつ……。こ、こいつあれだけ動いてるのに、そんな少量しかいらないのか?
あ、そうか、帰ったらリャナンがご飯でも作ってんのか?
チッ、どっちでもいいがな。
「お前さ、リャナンの嬢ちゃんと結婚しねーの?」
「あ?なんでそんな話……」
「だってさ」
その続きはすぐに出てこなかった。だってリャナンはあんなにお前を想っているのに。これは俺の口から言うべき事じゃない。なので、別の言葉を選ぶ。
「……同じ家に住んでんのに、もう夫婦みたいなもんだろ?」
「ははっ、そうだとすると宿屋も同じ扱いになるぞ?」
……はぁ、全くこいつは。全然全く気付かないんだな。まぁ気付いたら出て行くかもしれねぇから、リャナンも言えないんだろう。
というか、何で人の恋路の応援してんだ俺は。でもなぁ、リャナンには幸せになって貰いたいしな。今はネーヴェもリャナンの事大分気に入ってるようにも見えるんだけどな。ここはちょっとさぐってみるか。
「お前、リャナンの嬢ちゃんの事、どう思っているんだ?」
「……恩人」
「またそれか」
俺は飽きれて溜息が漏れる。アルコールも入っているので、口がいつもより滑る。
「そんなんじゃ納得できねぇよ。お前普通に野宿も出来るだろうが。それにあれだけ金稼げるっつーのに、わざわざリャナンの嬢ちゃんの家にいる必要もねーだろ」
「……」
俺の愚痴にネーヴェは目をパチパチさせている。そういう顔しても女たちに「可愛い」なんて言われるんだ。世の中顔だ、くそったれが。イラついてきた。
俺がさらに文句を口にしようとしたら、コツンと机にガラスが置かれる。この『道具の街』ではガラス細工なんて珍しいものだ。なので、恐らくはリャナンの作品。薄いピンク色の花が沢山咲いている。
細やかなそれは確かに芸術品だ。
「どう思う?」
「……綺麗だけど、ちょっと色が薄い」
消え入りそうなくらい淡いピンクは少し物足りない。燃えるような赤を持つリャナンとは正反対の色合いだ。リャナンは粗暴な態度とは違い、その作品はとても繊細だった。
「俺は、これだと思ったんだ」
「……」
「話した事、なかったが……俺にはここに来る前の記憶がない」
「なっ!?は、はぁっ!?」
急なセリフに俺は驚いて酒の酔いが吹っ飛んだ。大声をあげてしまったせいで、人の目が集まる。
「す、すまん!なんでもない!」
周りに謝ると、少しずつ視線も減ってほっとする。改めてネーヴェに向き直り、真っ直ぐにその目を見る。
その視線は嘘はついていない。というか、今まで過ごしてきた中で、そういう嘘は言わない奴だと言うのは知っている。
「名前もでっちあげだ」
「ちょ、おま、は、はぁ……?」
あまりのセリフに声を抑えるのに苦労した。
「俺はどういう人間なんだろうな?」
「……」
「知らない、俺は……何も知らなかったんだ。でも、偏った知識はあった。本当に、何者なんだろうな?」
「ネーヴェはネーヴェだろう……」
不安そうにしている相棒に辛うじてそう口にする。
「その名前すら、適当につけた名だ。ギルドの登録に名前が必要だったから、ただそれだけだ」
俺は何もいう事が出来ず、寂しそうに笑うネーヴェを見つめる。信じられないが、嘘を言っているようには見えない。
俺は黙ってネーヴェの言葉の続きを待つ。
「でも、リャナンのこの作品は……俺の最後の居場所だと思ったんだ。記憶がないのに、妙な話だろ?」
ネーヴェは可笑しそうに笑っているが、俺は笑えない。
今までネーヴェがその生い立ちを口にする事はなかった。そこまで突っ込んで良いか分からない不思議な空気の男だったからだ。どこか浮世離れしているというか、なんというか。
「この作品を見た時、ようやく俺はここにいると思えた。俺は俺でいていいとさえ思えた……だから、恩人なんだ」
「……」
そんな風に思っているとは思わなかった。もっと軽い意味を想像していた。いつもヘラヘラ幸せそうにしている男だったから。いつも曖昧に答えを受け流すヤツだったから。
そこでハッとした。
「お前、これリャナンの嬢ちゃんは……」
「言ってないな」
苦笑を浮かべるネーヴェ。いや、本当はネーヴェじゃないかもしれないのか。いや、ややこしいのでネーヴェでいい。
こんな大事な事、何故リャナンに言っていないのか。そもそも、なんで今言おうと思ったのか。
「なんで言ってない?」
「知っても……心配するだけじゃないか?」
「心配するに決まってるだろう!?」
勢い余ってガンッと机を叩く。今まで同じ家で過ごしてきた人間を心配しない方が可笑しい。というかそもそも、魔物討伐に行っているだけでも心配かけてるんだ。心配しない訳がない。
「だろうな……だから言わない。それに……」
「それに、なんだよ。この期に及んでまだ隠すつもりか?」
「……思い出せたら、多分ここにはいなくなりそうな予感がする。……まぁ、これはただの勘だが」
ネーヴェは机に出していたガラス細工を大事そうに胸にしまう。
記憶を失うって事は、それなりに頭に衝撃があったって事だ。その状況に陥ったって事はそれなりの事件に巻き込まれたって話だろう。もしかしたら、失った記憶の中には危険なモノも含まれているのかもしれない。
あれだけの強さと、回復魔法を持つ男だ。貴族関係の所にいても可笑しくはない。いや、これだけの美貌だ。その推測は恐らく当たっている。そして、貴族に消されそうになったか。
ネーヴェには言うなと言われたが、俺はリャナンに言ってしまった。案の定、リャナンは不安そうに目を伏せた。
「そっか……記憶なんて、戻らなきゃいいのに」
そう切なそうに呟いた。リャナンも記憶が戻ったらネーヴェがいなくなると感じたらしい。
恐らく記憶が戻れば、それが最期となるだろう。
「ぐっ!くっそ!多すぎる!!」
大量の魔物に取り囲まれる。魔物討伐は苛烈を極めた。これではいつ死んでも可笑しくない。実際何人も死んでいる。
「ふっ、くっ!」
いつも余裕で魔物を討伐していたネーヴェも今回ばかりは苦戦している。顔を歪めて、汗をかいて必死に剣を振るう。
そこに、高らかに声があげられた。
「―――サムワン・アインスト・グローブ・クイック・リィング!!」
凛とした鈴のような女性の声だった。その瞬間、地面が光輝き、体の疲労は癒され、活力が漲る。それと同時に、魔物がもがき苦しむ。
「これは、どういう……」
「はっははは……そういう、事、か」
良く分からない事態に少し動揺していると、隣にいたネーヴェから乾いた笑いが聞こえて来た。
「ネーヴェ?」
「すまん、俺は下がる」
「は?ちょ、ちょっと待て!?」
ネーヴェがさっさと身を翻して走っていくのを追う。丁度、光の地面がない所まで来た所で、足を止める。
そこでわぁっと周りから歓声が上がる。
そしてすぐ後に、爆風が巻き上がり、喝采があがる。
「増援だ!」
「あれは、まさか、聖女なのか!?」
「助かった!」
「傷が、癒えていく!」
「これで勝てる!」
「へっ!?聖女!?」
前線で戦っている人達の声で驚く。どうやら聖女がこの戦闘に参加して来たらしい。聖女なんて物語のものかと思っていたが、本当に存在していたらしい。
聖女がいるって事は、勇者もいたりするんだろうか。魔王ももうすぐ倒されるんだろうか。あの雲の原因はやはり魔王だったのか。
形勢逆転していく戦闘を見て、俺はホッと胸を撫で下ろす。
「なぁ、ならもう大丈夫……ってネーヴェ!?」
振り向いたら、ネーヴェが膝を付いていた。呼吸が荒く、とても良い状態とは言えない。
「そ、そうだ。あの光る地面だと回復する!そっちに……」
「はっ!お前……俺を殺す気か?」
「何を……」
言ってるんだ。という言葉は出なかった。
ネーヴェが泣いていたのだ。
「は、あはははは!ほ、ほんと、何だよ……俺って、何なんだよ!こんな、こんな冗談あるのかよ?ばっかじゃねぇ?は、は。笑える」
ボロボロと泣きながら笑っていた。悲しそうに、苦しそうに、理不尽にもがき苦しんでいた。ネーヴェが何故いきなりそんな状態になったか分からず、狼狽える事しか出来ない。
「俺は……「俺」は……「ネーヴェ」だよ、間違いない。マジで、笑えねぇ、ほんと、ふざけんな……有り得ねぇ……」
「おい、ネーヴェどうしたんだよ……」
こんなに取り乱しているのは見た事ない。尋常ではない。涙を流し、怒りに打ち震えている。いつも穏やかに笑っているイメージとは正反対。
俺がネーヴェの背中に触れると、バッと顔を上げて胸倉を掴まれた。
「思い出したぜ、スウェー……全てな」
「なっ……」
思い出したって、まさか……前言ってた記憶の話か。これだけ取り乱す過去って、どんなモノなのだ。
その底冷えするような怒りを含んだ目に怯える。今だかつてネーヴェを恐れた事なんてない。いつも頼もしく、戦ってくれる相棒は今、まるっきり別人のようだ。
「正直、思い出さない方が良い記憶だった。だが、絶対に思い出さなきゃいけない記憶だった」
「……」
ネーヴェは俺を掴む手を緩め、顔を袖で拭った。涙は止まり、少しだけ落ち着きを取り戻したようだ。溜息をついて首を振る。
「……はぁ、すまんスウェー」
「いや……だ、大丈夫か?」
「大丈夫そうに見えるか?」
「見えねぇけど……」
クク、と苦笑するネーヴェの顔は疲れ切っている。先程よりも落ち着いていて、ほっとする。思い出しても、ネーヴェが消えたわけではないようだ。
立ち上がって、パンパンと足についた土を払う。
「……スウェー、パーティーは解散だ」
「なっ……本当にこの街から出て行くつもりなのか?」
「勿論だ」
「リャナンの嬢ちゃんはどうする気だよ!?」
「……ああ」
ネーヴェは戦闘を行っている所をぼうっと見つめている。そして、ゆっくりとこちらを向く。そう、まだ戦闘は行われているのだ。ゆっくり会話なんてしている場合ではない、本来なら。
「……もう帰らない、とでも伝えておいてくれ、それと、有難うって」
「ふっざけんな!自分の口で言えよ!なんで、なんでそんな急に……」
最後の居場所と言っていたじゃないか。なのになんで帰らないんだ。いつも心配そうに見送るリャナンの気持ちはどうなる。
「お前、リャナンの事好きなんじゃないのかよっ!?」
あんな風に大事に作品を持ち歩くくせに。リャナンが怪我したらとんで帰るくせに。見つめるその目は確実に大事だと物語っていたのに。なのに、この期に及んでまだ恩人とか抜かす気か!
ネーヴェは少し考えた後……ふっ、と笑った。
「好き?……違うな……愛している」
とろけるような甘ったるい顔で、愛おしそうに笑う。
……くそったれが。俺に言ってもしょうがないだろうが。リャナンに言ってやれよ。こいつは最後の最後にそう言う事いうのか。
「……だから、俺の事は忘れて、幸せになってくれ……そう、伝えてくれ」
「おま、え……」
怒鳴ってやろうかと思ったその瞬間、戦っている者達から歓声があがる。どうやら、魔物が討伐されたようだ。俺達がいなくても彼らがなんとかしてくれたようだ。
俺がその声援に気を取られている隙に、ネーヴェの姿は消えていた。まるで陽炎のようだ。
シンと静まり返る。まるで時間が止まってしまったかのような静寂。先程まで騒いでいた後の静寂に、耳が痛くなる。
なん、なんだ?何が起こっている?
人垣が割れて、ボロ布を顔に纏った男が颯爽と歩いてくる。あれはネーヴェだ。観衆の視線を浴びて堂々とこちらに歩み寄ってくる。どういう状況だ。これは。
圧倒的な存在感に、誰も声をあげる事が出来ない。
「ネーヴェ……今の……」
そんな静寂の中、俺の小さな声が大きく響き渡り、注目を受ける。気まずくなり、視線を落とす。
俺の前に来た時、ネーヴェはボロ布を俺に投げてきた。
「さよならだ。リャナンを頼む」
それだけ言って、歩き去る。
ネーヴェが去ると、人々が騒ぎ出す。
「何だ今の」「斬りかかった?」
「何故?」「見えなかったぞ」「今のってあのネーヴェか」
事態は混乱を極めているようで、他の人も良く分かっていないようだった。
俺はネーヴェが投げた布を握り、悪態を吐く。
「俺に、そんな重い役目背負わせんなよ、馬鹿が」
リャナンはネーヴェが好きなのに、そのリャナンにもう二度と帰らないと伝えろって、どんな役目だ。
リャナンを頼む、って何だ。リャナンの心はもう決まっているのだ。お前、本当分かっちゃいねぇ。女心ってもんを、分かっているようで、分かってねぇ。
俺ではリャナンを幸せに出来ない。彼女の理想にはいつもネーヴェがいるのだから。
誰かが喝采を浴びるのを背中で感じながら、重い足を動かした。