鏡室
「古来、呪いは確かな効力を持っていた。人はそれを恐れ、呪詛を避けようとした」
ざわめく教室の中、彼の小さな呟きは誰にも聞き咎められることなく、空気に溶けていった。
「現代の感覚からすれば不可解な話だが、呪いを受けた者は確かに、その呪いによって害されていた」
独り呟き続ける彼に、注意を向ける者はいない。窓越しに夕焼け空を睨みながら、彼は言葉を連ねていく。
「だがしかし、彼らに害を与えたモノは呪詛そのものではない」
机に移された彼の目に映るのは、一枚の呪符。記された文様に学術的な意味はなく、描かれた記号に呪術的な意味はない。
「こんな学術的な裏付けすらない単なる紙切れですら、当時にあっては恐ろしい呪具となりえた」
符を見下ろす視線は冷たく、呟きには感情が籠る。
「真に彼らを苛んでいたのは彼ら自身の心だ」
吐き棄てるように言葉を絞り出す。
喧騒の中視線を上げれば、窓の外は既に闇に染まり、硝子には彼しかいない教室が映る。
窓に映った鏡像の中、赤いワンピース姿の少女が扉から現れた。
「……君はまだ、後悔しているようね」
6、7歳の外見を裏切った、確りとした口調で少女は告げる。
「君も彼らも運がなかっただけよ。ちょっとした悪戯のつもりだったのでしょう?」
「――人に嫌われている、呪いたいほどに怨まれているという事実が、彼らを衰弱へと、果ては死へと追いやった」
彼は少女に視線を向けもせず
「でもそれは、本人や周りの人間からすれば呪いの効果そのものよね」
少女は彼を見据えながら
「――形だけの呪いで人が死ねば、それはもはや単なる形骸ではありえない」
「逆説的に効力を持った呪いは、より強力な重圧となって対象を襲うわね」
喧騒の中、言葉を重ねていく。
「俺は、ただちょっとした仕返のつもりだった。俺をいじめていた連中に、それを傍観して笑っていたクラスメートに、少しだけ仕返がしたかっただけなんだ。」
「一人に行った形だけの呪詛。思いがけず効いてしまった段階で止めるべきだったわね――」
「……クラスで噂になっていた。『呪い』が話題に上っていた。『アイツは自殺なんかする奴じゃない。きっと呪いに殺されたんだ』」
彼の言葉に自嘲の響きが混じる
「彼は君をいじめる事に強い罪悪感を抱いていた。中学まで親友だった君をいじめる事に、ね」
「だから俺は最初にアイツを呪った。いや、呪ったと思わせるような動きをした。」
彼の眼に光が溜る。
「君と彼との関係を知らなかったクラスメート。彼がそこまで苦悩していたなんて思いもしなかったんでしょうね」
呪詛にチカラなんてない。それでも、受けた人間は害を被る。
「クラスに『呪詛』が浸透していくのは奇妙な光景だった。オカルトを笑い飛ばすような連中も、怯えていた」
「彼らは呪詛の効果を信じてしまったのね」
呪いはきっかけに過ぎない。罪悪感や恐怖心を刺激する。
「アイツが自殺しなければ、俺の『呪い』は―――」
クラスメートの陰が蠢く教室
「彼らを死に追いやったことを悔やむなら、彼らを束縛するべきではないわ」
「――感情は論理ではない」
その教室の中、生きた人間はもはや独りしかいない。
「……わかった。あなたに理性は期待できないしね」
闇の深まった窓の外は
「呪いにチカラなどない。彼らは自身の心によって害を被る。故に医術で治るものではない」
完全に鏡の部品に成り下がり
「呪詛はきっかけに過ぎないわ。負の感情を少し後押しするだけ」
その鏡の中で赤い花は
「そしてまた、呪いは確かに術者に返る」
その容姿に似付かわしくない銃を抜き
「そしてまた、君の心に呪詛は返った」
『人を殺してしまった罪悪感』
「俺はもう治らない」
初めて外見相応の笑顔を見せ
「さようなら、最後の呪術士さん。クラスメート全ての命を奪った罪、重かったでしょうね」
呪いによって脱け殻となった肉体を撃ち抜いた。
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