やどかりと、二つのお別れの話
ある砂浜で、やどかり少年はあたらしい家をさがしています。
彼は数分前に、とっても悲しいおわかれをしていました。やどかり少年が、赤ちゃんやどかりだったころから一緒だった、小さな巻貝とのおわかれです。やどかり少年は、頭の中でなんどもなんども、小さなやさしい巻貝の言葉を思い出します。
「やどかり君、君はずいぶん大きくなったね。君は僕から離れなくちゃいけない。君もよくわかっているだろう。」
「巻貝くん、ちゃんとわかっているよ。僕はもういかなきゃいけない。君には本当におせわになった。」
「おせわになったのは僕の方さ。君がいなければ、僕はただ、砂浜の一部になるのを待つだけの、くだらない貝がらだった。君のおかげで、僕はたくさん浜辺を散歩できたんだ。本当に楽しかったよ。」
「ああ、巻貝くん、本当に楽しかったね。嵐の日には、高い波に飲み込まれないように、一緒にがんばったね。僕はとってもしあわせなやどかりだ。」
「僕も、とってもしあわせな巻貝だ。さあ、いってらっしゃい。君がまた、しあわせになれる家を見つけることを、ねがっているよ。」
「さようなら、巻貝くん。ありがとう。」
「さようなら、やどかりくん。ありがとう。」
二人は「ありがとう」と「さようなら」を何度もくりかえして、ついにはなればなれになったのです。やどかり少年は、ぽっかりと軽くなった背中が寂しくて、涙をながしながら浜辺を歩いていました。
岩場の陰から、しくしくと、悲しそうな声が聞こえてきます。やどかり少年は、岩の裏をのぞきました。そこにはぼろぼろと涙をながしている、からっぽの巻貝がいました。やどかり少年のからだに、ぴったりと合いそうな大きさの、巻貝少年です。
「こんにちは巻貝さん。どうしてそんなに泣いているんですか。」
「放っておいてくれよ、僕は今、とっても悲しい気分なんだ。とっても寂しい気分なんだ。」
「巻貝さん、実は僕も今、とっても寂しいんです。お話しませんか、お友達になってくれませんか。」
「頼むから放っておいてくれよ。なんだ、君はやどかりじゃないか。僕はもう、やどかりなんかの顔をみたくないんだ。」
やどかり少年は、ぴんときました。
「あなた、ひょっとして、やどかりとお別れしたばかりなんじゃないの。僕もさっき、ずっと一緒だった巻貝くんとお別れしたんだ。とっても悲しいお別れだったよ。」
「悲しいお別れ?」
「そうさ。僕も彼も、お互い大好きどうしだったから、離れるのはとっても悲しかった。ありがとうとさようならを、百回は言ったんじゃないかな。」
やどかり少年がそういうと、巻貝少年は、顔を真っ赤にしました。それから、わんわんと大きな声で泣き始めました。泣きながら何かを言っているのですが、涙と涙の間に言葉を入れようとするので、やどかり少年は、彼が何を言っているのかよくわかりません。
少し時間がたって、よやく巻貝少年は、ちゃんとしゃべれるくらいには泣きやみました。顔は真っ赤にしたままです。
「君なんかに、僕がどんなに悲しい思いをしているのか、わかるもんか!」
「君と、君のやどかりは、ずいぶん仲が良かったんだね。それでそんなに、悲しいんだ。」
「まさか!だから君は、僕の悲しみがわからないんだ。」
やどかり少年は、巻貝少年がどうしてそんなに悲しんでいるのか、わかりません。
「巻貝さん、僕は君と友達になりたい。悲しいことがあったら、だれかと一緒にいるといいってきいたよ。君の話をきかせてよ。もしかしたら、君の悲しさがちょっとはきえるかもしれない。」
巻貝少年は、すっかり怒ってしましました。
「悲しみが消えるだって?君は本気でいっているのか?もし僕の悲しみが消えてくれるなら、僕はなんだってするさ。それなら、僕の話をきいてくれよ。それで、悲しみを消してくれよ。もしできるっていうならさ!」
巻貝少年は、話をはじめました。それは、とっても悲しい話でした。
僕とやどかりは、全然なかよしじゃなかった。僕はとってもいじわるだったんだ。それで僕は、しょっちゅう彼を困らせていた。それでも彼は僕に優しかった。いつだって僕を捨ててほかの巻貝を探しに行けたのに、ずっと僕と一緒にいたんだ。いじわるな僕を背中に乗せて、浜辺を散歩したり、嵐に耐えたりした。まったく、信じられないお人よしだ。それで僕は、ますます彼にいじわるになった。僕は、彼の優しさに甘えていたんだね。
彼はどんどん大きくなった。僕はそのたび不安になった。お別れが近付いているって、僕もやどかりもちゃんとわかっていた。わかっていたけど、お互い何もいわなかった。僕は、どんどん彼にいじわるになっていた。
今朝、彼と僕があってから、ちょうど5カ月になった。それで、ついに彼が僕に言ったんだ。
「巻貝くん、僕はもういかなきゃいけない。」
僕は何も言いたくなかった。だけど、のどの奥がぐぅっと痛くなって、どうしても何か言わなきゃ耐えきれなかった。それで、僕、何て言ったと思う?
「僕は君が嫌いだ。君と出会ってから今まで、君の事を好きだったことなんて、一度もない。」
僕は、彼にそう言ったんだ。僕はそれまで、さんざん彼にいじわるを言ってきた。だけど、これほどいじわるなことはなかったと思うよ。僕がそういった瞬間、彼と僕の5カ月間は、なんにもなくなったんだ。彼の中からも、僕の中からも、すっかり消えてしまった。一緒に浜辺を散歩した事も、嵐に耐えた事も、なんにもなくなったんだ。楽しい思い出だったはずなのに、突然まっくらのからっぽになったんだ。
彼はほんとうに悲しそうな顔をしていたよ。悲しそうに、それでも優しく、僕にこう言った。
「君の気持はよくわかったよ。5カ月も一緒にいてくれて、ほんとうに…ごめんね。」
僕はもう、胸がいっぱいになって、とうとうなにも言えなかった。それでそのまま、彼はいってしまったんだ。僕はなんにも言えなかった。
…ひどいことだよ、これは。わかるかい?僕は、本当は彼が大好きだったんだ。やさしい彼が、大好きだった。彼との5カ月は、大切な時間だったはずなんだ。なのに僕は、それを全部なかったことにしてしまった。
もしあの5カ月が、僕や彼の元にもどるっていうなら、僕はなんだってするよ。だけど君、君が僕の話を聞いたからって、それがいったい何になる?君が僕を理解して、許すっていったからって、それがいったい何になる?君は僕に何もできない。僕も、僕のこの悲しさをどうにもできない。全部、僕が悪いんだから。
さあ、わかったらどこかに行ってくれ。ぼくはこのまま、ただの貝殻にもどって、そして砂浜の一部になるんだ。べつに、そうしたら僕や彼が救われるってわけじゃない。だけど、僕にはもうそれしかできない。君と友達になるなんて、僕にはとてもできない。つらすぎるよ。さようなら、つまらない話をきかせてわるかったね。
やどかり少年は、泣きながらその話を聞いていました。巻貝少年がかわいそうで、そのやどかりもとってもかわいそうでした。何よりも、自分にはなんにもできないのだという事が、悲しくてしかたがありませんでした。
「ああ、君はほんとうは、ありがとうって言いたかったんだね。ありがとうっていってほしかったんだね。」
やどかり少年がそういうと、巻貝少年は最後にひとつ涙をながして、なにも動かなくなりました。風がびゅうっと吹きました。巻貝は、白い砂になって、その風に乗ってさらさらと流れてしまいました。
やどかり少年は涙をぬぐって、もう一度、浜辺へでて新しい家を探しに行きました。
(僕は、ほんとうにしあわせになりたい。)
やどかり少年は、強くそうおもいました。