現実
「五大商社?だとかの四年目で、大学時代はサッカー部の主将だったらしくて身体もむきむきでね、むきむきっていっても程よいやつだよ?芝公園で一人暮らししてるんだけど、お家からの景色が本当に綺麗で!しかもね一緒に帰ったけどなんにも手出されなくって、一緒に映画見て、寝たの。なんか可愛くない?」
今日だけで言い回しを変えて三回は聞いた絵美瑠の話にわたしは真剣そうに耳を傾け、適度に相槌を打ち、話の着地点に向けて何度も表情を変える。
絵美瑠の胸元のスカーフが、意気揚々と跳ねているのを眺めていた。
「誠実な人だね」
「あ、ちゅーはしたけどね!」
これだけは言っておきたいというように絵美瑠は声を高くあげた。
「まあ、それくらいはね。誠実誠実」
絵美瑠の欲しいであろう回答を探して、わたしは瞬間的に言葉を返す。
「結婚てなるとやっぱり、お金持ちすぎても遊んじゃうから駄目だし、年収2000万くらいが丁度いいっていうか。商社マンなら安定だし、一番理想的なのかなって」
「うんうん、駐在妻とか。憧れるよね」
「それそれ!超VIP待遇でしょ、超いいところ住めて、お手伝いさんも運転手だっているらしいよ!」
「憧れるね」
わたしは目尻にぎゅっと力を込めた。
「子供も帰国子女!とかで、私立の附属の幼稚園とか小学校とかに入れて、将来は中目黒の低層マンションとかに住みたいな」
「うんうん、やっぱり、高層よりも低層マンションがいいよね」
自分の喉から出ているはずなのに、別の誰かの声を聞いているようだった。
共感ではない、機械的な台本の台詞のようだ。
まるで最初からその台詞が頭の中に組み込まれていて、脳からわたしへ声に出す指令を出てしているみたいだった。
その指令の通りに、自分にとってはどうでもいいことで悲しんでみせたり喜んでみせたり、わたしはそうやって人との関係を繋ごうとした。
相手の細かな表情、皺の寄せ方、筋肉の緩め方、指の仕草、声を正確に観察し相手の要求を正確に汲み取る。
そうして相手の期待通りに動くわたしが出来上がり、必要とされ、受け入れられ、求められるのであれば、わたしは自分の生きている意味を少しばかり噛み締めることが出来た。
「ルナは?」
突然話を振られ、ぎょっとした。
「あの日、良い人出会えた?」
絵美瑠は爪の新しいジェルネイルに見惚れながら、間延びした声で言った。
爪、可愛いね、とわたしが目を細めると、絵美瑠は山猫のように丸まった背中を起き上がらせた。
「いたんだ、良い人」
絵美瑠の胸下まで下りた黄色い巻き髪が、大きい呼吸と合わせるように空気に浮いた。
わたしは固い顔の筋肉に抗うようにでこぼこに笑う。
頬の肉や目尻の皺が歪な線を寄せていた。
良い人の定義がわからなかった。
「いや、いなかったよ」
ぎこちなくそう答えると、絵美瑠は、うそだと幼稚な声をあげた。
「ほんとだよ。絵美瑠とはぐれてからすぐに帰っちゃった」
「本気で言ってんの?せっかく星青区に行ったのに?」
絵美瑠は信じられないというように目を丸くして体を前のめりにしている。
それでもわたしは頑なに頷いた。
わたしの身体は確かに、あの時あの人の隣にいて、あの世界に存在していたかもしれない。
けれどあの人も、あの世界も、きっと二度と縁のない現実であって、幻想なのだ。
思い出が胸に残っているだけで十分満足だった。
「じゃあさ、今度森田くんと2対2で合コンしよってなってるんだけどいいよね?」
森田くんて誰だっけと考えながら、絵美瑠が星青区スピカで出会った五大商社の四年目、キスだけはした誠実な男のことだと思い出す。
「うん」
「やった、決まり。じゃあ森田くんに伝えておくね」
絵美瑠は業務中にも関わらずポッケから携帯を取り出すと頭を左右に刻ませながらスマホに指を滑らせていく。
ため息は音には出さないようにした。
合コンなんて無駄だ。
優れた才能と知性、美しい容姿を兼ねそろえた人間で、やっと土俵に立てる。
オフィスビルの受付で、皆同じ制服を纏い人形のようにじっとしたまま、自分が幸せになれると願ったままではだめなのだ。
*
「こちらは受付の同僚のルナで、こちらは商社マンの森田くん。で、そちらは」
「赤坂です」
赤坂くんは、絵美瑠の振りに慣れない様子で会釈した。身体を椅子に崩すことなく、礼儀正しく座ったままだ。
商社マンの森田くんとの合コンはたった数日後、ほどなくして開催された。森田くんの連れとして参加したのが、この赤坂くんだった。
身長はざっと178センチ程で頭が小さく足は長い、栗のような頭髪はまだあどけなく、肌はほんのり焼けていてラクロス部出身だと言った。
がっちりとした体つきの森田くんと並ぶと、少しだけ頼りなく猫背な印象だ。
森田くんの筋肉はシャツの外からでは確認することはできないが、上半身には厚みがあり、それに逆らえないように姿勢が良い。
赤坂くんと比べて、確かな自信で満ち溢れている。絵美瑠のいう「程よいむきむき」は意外とがっしりとしていた。
赤坂くんは千葉出身で中高男子校、大学は地方の国公立の出らしい。
4年前森田くんと同じ商社への就職を機に上京してきたとのことで、今はようやく会社の寮から出て浜松町のマンションに住んでいるのだと、森田くんによって丁寧に説明された。
「こいつ今傷心中だから。死ぬほど飲ませていいよ」
森田くんが赤坂くんの肩に重そうな腕を巻き付けると、絵美瑠が「なんで、なんでー」と尽かさず言葉を被せる。
「何年だっけ、大学時代から付き合ってた彼女と最近別れたんだって」
他人事のように森田くんがにやつく横で、赤坂くんもぎこちなく笑っている。
「ええ、何年付き合ってたのー?」
絵美瑠が呑気に尋ねる。赤坂くんは「んー、7年とか」と気まずそうに答えた。
「7年!?」
「だからこいつ、飲み会とかもほとんど参加してこなかったし、彼女以外の女の子に慣れてないんだよ」
森田くんの腕にうずくまって気まずそうにする赤坂くんを眺め、だからか、と納得してしまう。
外見も引けを取らない、商社で4年も勤務しているというのに、野暮ったさの抜けない仕草や反応が不思議だと思った。
赤坂くんは挙動不審に重めの前髪を振る。
小さい顔に並んだ目、鼻、口のパーツはひとつひとつ整っている。歯並びも凸凹なく整列されていて、清潔感のある色をしていた。
「どうして別れちゃったのー?」
絵美瑠はすでに、年上の赤坂くんをなめてかかったような口の利き方だ。
「ああ、なんか、浮気されちゃって」
空元気に高くなった声が、わたしの耳に強く響いた。
「僕は別に別れる気なかったんだけど、あっちがもう、僕のことだめみたいで」
「あれ?それ、誰かさんと一緒じゃない?」
絵美瑠が小声でわたしへ視線を送る。その頃には、もう赤坂くんと目を合わせてしまっていた。
目の前の赤坂くんはやはりぎこちなく、口元を緩ませて微笑している。
わたしはすぐに目を逸らした。
「じゃあさ、二人は結婚願望とかあるの?二人とも将来的には海外に駐在でしょ?それまでには結婚したいとか」
とんでもない質問を躊躇いなくするなと驚いたが、絵美瑠が話題を変えてくれて助かった。
「うーん、俺の部署は行くとしたらスマトラとかになっちゃうから。奥さんについてきてもらうのはなーってかんじ」
と先に森田くんが答える。
絵美瑠はあからさまに落胆した様子で、えーっと項垂れた。
「けど赤坂は金融系の部署だから、駐在先アメリカかイギリスなんだぜ」
「ええっ、赤坂くん優秀なんだね!」
「おい、俺が優秀じゃないみたいに言うな!」
「ごめんー!」
森田くんと絵美瑠の甘い掛け合いに頬がどんよりと落ちた。
それは目の前の赤坂くんも同じのようで、くすんだ顔とまた目が合ってしまう。
「そういえばさ、なんでこの前スピカいたの?星青区で男探し?」
森田くんがからかうような口調で口角を上げる。
「ちょっとー、その言い方やめてよ。あたしたちだって星青区なんてはじめて行ったんだから。ねえルナ?冒険だよ、ぼうけん」
「はいはい、冒険ね、ぼうけん。けど絵美瑠は、俺みたいな良い奴に出会えてよかったな」。
「はいはい出たよ、ナルシストー」
「おいおい、そんなこと言ってるとばち当たるぞ?あそこは悪いやつらもいるから気を付けろって、そういうことだから」
「はあ?なにそれ」
わたしは無意識に森田くんへ視線を向けた。森田くんの身体は絵美瑠に向かって前かがみに乗り出している。
「特に俺の大学の内部生のやつらには、気を付けたほうがいい」
「ああ、森田くんS大だっけえ」
「あいつらは、甘い顔をした悪魔だから」
「げえ、イケメンお金持ちへの妬みなんじゃないの?」
「あいつらは言ってることだけ大きくて、中身のうっすいやつらなんだよ」
「妬みだ、妬み」
「はっ、うるせえ!」
森田くんと絵美瑠の黄色い声が重なり合い、どうやらわたしとあともう一人も会話に入り込めそうになかった。
絵美瑠は一体、こんな男のどこがいいのだろうか。
小さいため息が口を抜けると、気まずい視線と視線がまたしてもぴたりと合い、わたしは思わず苦笑する。
すると意外にも、赤坂くんはわたしに「あの」と声をかけてきた。
「はい」
「もしかしてなんですけど」
「……はい」
「昔、サロンモデルかなんか、やってました?」
はい、と口が滑りそうになって喉の途中で堪えた。
咄嗟に森田くんと絵美瑠の方に目をやると、2人は2人だけの世界に夢中でこっちのことは気にしていない。
不幸中の幸いとでも言おうか。
「あ、ごめんなさい。なんか、SNSで見たことがある気がして」
「ああ。それ多分、わたしじゃないですよ」
「あ、そうなんですか」
「はい。多分、妹です」
「あ、そうでしたか。すみません」
赤坂くんは本当に申し訳ないというように眉根を寄せ、もう次の言葉は出てこないという表情だった。
そんな顔を向けられたら、こちらだっていてもたってもいられない。どうせ話題に出すならどんな回答も拾い上げられるよう、準備をしておくべきだ。
モテる部類の男ではないのだろう。
我を出しすぎることはしない、相手の回答にすぐさま怯む、誰かに嫌われる経験はなくとも、誰かに執拗に焦がれられる経験もなかったかもしれない。
自分の外見と能力の高さを自覚できていない自己分析力の低さと、鈍感が入り混じって、赤坂くんという人間を形成している。
自信のなさは、七年間交際していた恋人に浮気され、挙句の果てには振られてしまったからだろうか。
だとすれば、それは自分にも大いに当てはまっていた。
「ちょっと、失礼します」
そう言ってわたしは、バッグを手に持って立ち上がった。赤坂くんはもちろん、何も言わなかった。
お化粧室でトイレを済ませてから鏡の前に立つと、むすっとした自分の顔が映った。
何が不満なのかはわからない、それでもわたしは、いつも不機嫌だった。
赤坂くんを目の前にすると余計、その感情は加速してしまう。
赤坂くんは何も悪くないのに、不思議と苛立ちの矛先が赤坂くんへ向いてしまう。
もう、このまま帰ってしまった方がいいかもしれない。そんなことを考えながら洗面台に身体を項垂らせるが、まだ、わたしの中の理性がはっきりと働いている。
今帰れば、絵美瑠に迷惑をかけることになる。この歳になって貴重になってしまった友人を失うことだけは避けたかった。
けれどもう、自分の感情が上手くコントロールできない。
盛り上がり真っ只中の二人を隣にすると余計に気が散り、同じ熱量で赤坂くんと向き合うことができそうになかった。
自分はなんて子供なのだろう。長く大きなため息が出た。
しばらくここで時間を潰せば、気持ちを立て直せるかもしれないと思った。
わたしは油断をしていた。
その時、ポッケの中の振動がいつもとは違う音を出した。
わたしのスマホの通知は大抵、公式アプリからのお知らせ音ばかりだ。
しかし今の音は、それらの通知とは僅かに音の長さが異なった。
恐る恐るスマホ画面を確認すると、意外なメッセージが飛び込んだ。
『今日空いてる?』
メッセージは三日月の絵文字をした、姓名の記載のないアカウントからだ。
それが誰のアカウントであるか、わたしはすぐに思い当たった。
まさか、連絡先を交換していたとは。
わたしは激しく揺れる胸の鼓動を抑えようと大きく息を飲んだ。
それでもそれはますます大きくなり、わたしの力では抑制できなくなる。
理性が、どこかへ飛んで行くのがは自覚的にわかった。
『空いてる』と三日月のアカウントに向けてすぐに返事をしていたのは、ほとんど無自覚の動作だった。
メッセージはすぐに既読され、『ここに来て』と星青区内のホテルのURLが送られてくる。
この名前のないアカウントの先で、確かに誰かの心臓が動いている。
わたしの中で幻想になっていた記憶が、色鮮やかに蘇っていた。
青いレーザーライトに照らされたあの人の表情、釣り上がった口元、陰になった目元、ひんやりとした細い指先、あの匂い、あの香り、あの光、ぼんやりとしていたそれぞれがはっきりと思い返され、わたしは店を飛び出していた。
踏み込んではだめだと頭でわかっていても、身体が冷静な判断に追いつけない。
気づくとわたしの歩幅は小刻みにすばやく進んでいた。
「ルナちゃん」
そう覇気のない声をかけられて振り向くと、赤坂くんがわたしを追いかけてきていた。
「すみません、さっき、気分害しましたよね」
「いや、全然、違いますから。ごめんなさい、急用で、どうしても行かなくちゃいけなくて。絵美瑠と森田くんにも伝えておいてもらえますか」
わたしが早口にそう伝え終わると、赤坂くんは一瞬だけ、へ、というように顎を出して戸惑った。
それから、「そっかそっか。無理はしなくていいですからね!」と、すぐに空元気みたいに前髪を振った。
聞き分けの良さが奇妙にさえ思えた。
わたしはその、非の打ちどころのない正規品を少しの間じっと見つめた。
毛穴の奥まで観察をしても、赤坂くんには非がない。
絵美瑠のいう良い人というのはきっと、こういう人を指すのだろう。
誰に紹介をしても、「良い人を見つけたね」といわれるのはきっと赤坂くんのような人間だ。
真面目で誠実で安定している人なんだろうなと思う。
これからも正しいレールを踏み外すことなく、真っすぐ進んでいくんだろうと思った。
きっと欠点はない。むしろ加点ばかりだ。
容姿も学歴もキャリアも申し分ない、
将来も約束されていて、かつ女性経験も乏しいとなれば、好意を寄せる女性は少なからずいるはずだ。
だからこそ、わたしには直視できない。
いつからだろう、赤坂くんのように生きれなくなったのは。




