睡魔に願う永遠
こんにちは
ソーダ茶です
こちら現在2026年 2月12日16時28分ごろよりお送りしています
今回は『睡魔に願う永遠』をお届けします
拙いですが、楽しんでいただけたらと思います
以下、注意事項です
ご一読、ご確認ください
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*『なんでも来いよ』、『寛容だよ』という方にしか向かない作品になっているかもしれません
*ゆるく読めそうであれば、よければ読んであげてください
*無理そうだなと思った方(←閲覧中を含む)は即刻ページから離れて健やかにお過ごしください
みんな大人になるのが早く見えてしかたがない
私はいつでも置いていかれるような感覚が染みついて離れず
もう一生このままなんだと割りきるだの、
諦めるだのすればいいのに
とも思う
頑張れない自分を認めて、
頑張らずに生きる術を身につけるべきだ
だって、
もう頑張ったりできないのが今の私だと
頑張らないのが今の私なのだと
生命活動が物語っているのだから
それならば、
もう残るのは頑張らないで生きる方法を探すことだ
生きることを夢にみるなら、だけど
みなくていいというのなら、
私がそんな希望を見いだせるのなら、
生きる反対のことをできると踏んだときなんだろう
頑張らないで生きることができるとは、
どんなにかと思うかもしれないが、
「頑張って」まで生きるとは、
どれほど生命活動に明確な目的意識があることだろう
終わらせることを実行していないだけ、
という場合を除いて
「頑張る」が上手くできていなかろうが、
しようと実行することができているのが、
もう「頑張っている」事実に他ならない
それすらもしない私というのは、
とにもかくにも生命活動を実行するのに
適しているとはいいがたい生命体だ
では
今まで一度たりとも頑張ったことがないのかと問えば、
それは「いいえ」で
今までのなかで頑張ったときがあった
確かにあった
けれども、それは
「そのとき」の頭のどこかに
その後を生きようとするだけの、
当時の自分には、
それほどには値するような
目的意識があったからだ
それがどんなに短い間の目的だったとしても
でも今は、
「ただのひとつとして恐れることなく確実に終わらせる術」を持たないから
という理由だけを芯に続けている
今を
どこか、のうのうと
だらだらと生命活動の期間を続けている
それが今の私で、
今、そうでしかあれないから
目先にすら、どんな目的意識もないから
激しい感情や想いも、
「時間が解決してくれる」
というようなことがある
それは私も例にもれず、
そのように過ぎて今日までを続けることができてきた
でも、「この気持ち」も
本当に時が経てば、
どうにかなるようなものなんだろうかと
そんなふうに疑う意識が立派にある
目的意識を持ってもいないくせにね
どうこうしても時が過ぎることは変わらない
良くも悪くも、とも
よく聞くことだ
どこかを
どうにか
終わらせる方法が見つからずにいても、
そうしないといけないときが
私を何の気なく至極当然といった顔で
迎えに来てしまうんだろう
それを避けようとする前には、
どうにかしないといけないのに
そのことすら他人事のように、
どうにかなってはくれないかなと
そんな遠くを眺めるようにしか
今を過ごせない
安堵のままに、
終えるときのほうから
私を迎えに来てくれはしないだろうか
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〈26_0212〉より
閲覧ありがとうございます
楽しんでいただけたなら幸いです
それでは




