表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ケット・シーの宿屋

曽祖父の日記

 

 他国の騎士団はどうなのか知らないが、うちの騎士団見習いは王都から離れた場所で集団生活を送り、規律と体力と戦う術と生き残る術を叩き込まれる。その最初の訓練の実態は…農業だった。

 なんで農業!?騎士団だよ?なんで?俺がやりたいのはカッコいい騎士で農民じゃない!


 様々な不満が上がったが王都から遠く離れた訓練関連施設と農地しかない僻地、帰れるとも思えない…。そしてその農業を指導するのは一応、騎士団所属の平民教官だ。俺はほんとに信じたくなかったし信じられなかったね。

 逃げようとした奴も居たけどみんなその平民教官に捕まってた、捕まった奴には特別なお仕置きが待ってたらしいけど、お仕置きされた奴らはその内容を絶対に口にしようとしなかった…何されたの?ねぇ!?こわいよ!

 それに教官達ってほんとに普段農民?本当は傭兵じゃないの!?みたいなムッキムキの屈強な強面ばかり。

 食堂には神の眷属であるケット・シーとおばちゃんがいるんだけど、このおばちゃんもエグいぐらい強いし、ほんとなんなんだよここ。

 それでもこの教育訓練期間中も給料は満額しっかり貰えるようだし、跡取りでもない貧乏貴族の次男三男のまともな就職先なんてたかが知れてる。騎士になればなんとか食っていけるし、結婚だって夢じゃない。こんなワケあり貴族の次男以下の俺たちは半ば諦めてこの教育訓練を受け入れざるを得なかった。



 農作業まじで辛い、こんな辛いんか!?あまりの疲れに食事もあまり喉を通らないが、食べておかないと動けなくなるよとおばちゃんにいわれ、必死で水で流し込むように食べる。こんなにも農作業がきついとは知らなかった…。毎日身体中があちこち痛い、でも同期の平民すごい、愚痴言わない。黙々と指示された作業やってる。平民が今までどんな暮らしをしてるかなんてふわっとした知識しか知らなかった。食べるものを作ることがこんなに苦労することなのも知らなかった。メイドもいないので身の回りのことは全て自分でやって私物の管理も自分でする。

 ここに来て初めて洗濯や掃除もした、騎士団では当たり前のことだと言う、マジか。

 毎日こんな肉体労働してたら教官みたいな傭兵もかくやの屈強な身体になるのもさもありなんという気がする。俺もゆくゆくはあんなふうになるのかと教官たちを疲れて虚ろな目で見つめてしまう。

 農作業ばかりではなく関連座学も試験もある。

疲れて眠いが眠ったら以前脱走したやつと同じお仕置き、と聞いて皆必死で耐えた。脱走した奴らほんと何されたの!?教えてよ!

 貴族とか平民とか班分け関係なくお互い味方は同期だけ、助け合うしかなかった。


 夜、当初はこんな早い消灯なんて眠れないと文句を言っていた(主に貴族の)俺たちだが、教育訓練が始まると日々クタクタで気絶するように、消灯されたらベッドに入っては即爆睡の毎日だった。

 最初こそ同じ騎士見習いとはいえ貴族と平民が一緒の集団生活、いろんな揉め事もあったが、だんだん謎の連帯感が生まれていった、これは体感しないといくら言葉を尽くしても伝えきれる気がしない。


 農作業に身体が慣れて来て、作物が育ってくるとだんだん愛着もわいてきて、各班それぞれの担当作物の育成具合を自慢したり、収穫物を使っての野営調理実習では初めての調理におっかなびっくり、こうやって俺たちの口に入る食事に変化するのかと過程が面白かった。

 今まで食事にありがたみなんて感じたことなかったけど、小さな種が育って作物になって実って、食べ物として自分の口に入るまでにどれだけの人の手と時間と手間がかかっているのかを理解できた。

 この国を守るというのはこういう国民の日々の営みを守ることなんだなってふと思えた。


 大体の収穫を終え、農作業に当てていた時間が少しずつ剣術や体術に当てられるようになった。

森や山に入っての食料調達の訓練は獣の間引きも兼ねていて、冬に備えての保存食の作り方まで一通りのことを学んだ。

 その後も乗馬訓練や馬の世話のやり方など、行軍中必要なことは全ての騎士が一通りこなせるようにと学ぶことはいっぱいだった。


 約一年の集団教育訓練が終了した後は各部隊に配属され、そこで見習いとして実務経験を積み、年に一度の騎士試験に推薦され合格したものが騎士となる。


 教育訓練中数名が病気や身体の怪我で脱落したが、家督を継げない次男三男は必死で食らいついていった。平民は言わずもがな。

 修了式では教官や同期みんなで男泣きに泣いた。最後までお仕置きの内容は分からなかった。


 こんなきつい事を乗り越えられたら大体のことは屁でもないなと思えるようになった、あまり貴族らしくはなくなったかもしれないが、この時の同期との絆は特別なものとなった。

 俺がもし今後結婚できるとして、子供に騎士団を勧めるかと問われれば、非常に悩ましいが、子が望むのであれば応援してやりたい。




 うちの曽祖父が元貴族だったというのは聞いたことがあったが、そんなもん眉唾だと思っていた。

 実家の物置として使われてた地下室を片付けてたら古い手帳があって、中は古い文体でなかなか読み進められなかったが、曽祖父の日記だったようだ、ってかほんとに元貴族だったんだな。

 昔からこの国は食堂といえばケット・シーなのか。もしかしてあの宿屋のケット・シーの知り合いだったりして?今度機会があれば聞いてみようかな。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ