第5話「燃える記憶と、香炉の中の真実」
目覚めたとき、燕蘭の頬には一筋の涙が流れていた。
「……夢、だった……の?」
だが、その夢の内容はあまりにも鮮明だった。
炎。紅玉の香。
そして、朱の瞳の女――まるで、自分の過去を覗き込んだような夢。
「記憶香……。まさか、本当に使われていたなんて……」
香炉を確認すれば、やはりそれは人工的に精製された記憶誘導香。
皇后直属の香師にしか作れない禁忌の香だった。
「夢に見せられたのが事実なら……私の家は、炎に包まれて滅んだ。そして、あの女が……」
言葉を飲み込む。
この件には、単なる後宮の陰謀だけではない“個人的な因縁”が絡んでいる。
燕蘭はそう確信した。
その頃、調香局の奥。
香琅は、皇后へ報告の文を送っていた。
「燕蘭は、記憶を辿り始めました。まもなく“血の真実”に至るでしょう」
その文に、皇后は紅茶を啜りながら笑みを浮かべる。
「ようやく動いたわね、“朱の血”が」
「……朱の血、ですか?」
側に控える老女官が尋ねると、皇后は静かに答えた。
「燕蘭の母は、かつて“東宮妃”だった女。皇帝の兄――先帝の長子に愛された娘。だが、先帝の命令で抹消された」
「では、蘭様は……」
「皇族よ。ただし、“粛清された血”だけどね。残っていたとはねぇ……」
そして、香を嗅ぐ。
「可哀想に。あの子が真実に辿り着けば、必ずこの後宮で命を狙われるわ」
一方、燕蘭は調香局でこっそり保管された香の記録簿を調べていた。
「この香の処方……桃花蜜に加え、“緋玉香”。これは……私の母が作った香?」
香にまつわる古い帳簿。そこには“凌芳”という名の香師の記録が残されていた。
蘭の母の名前だ。
「やっぱり……母はただの女官じゃなかった」
玄霄が背後から現れた。
「調べてたぞ。お前の母、“凌芳”は先代の東宮妃に仕えていた香師。しかも、本人も“妃”に迎えられかけていたらしい」
「妃……?」
「皇帝の兄、つまり先代の第一皇子の寵愛を受けていた。だが、政争に巻き込まれ……妊娠が発覚した直後、火事で死亡扱いになった」
蘭の膝がふらつく。
「それじゃ……私……」
玄霄が支えながら、静かに囁く。
「そう、お前は……“皇族の血を引く娘”だ」
「どうして、私に教えてくれなかったの……母は……」
蘭の瞳に浮かぶのは、怒りでも悲しみでもない。
ただ、“本当の自分を知ってしまった恐怖”。
玄霄は、そっと肩に手を置いた。
「お前は、香で生きてきた。真実に香が導いた。今さら、過去に惑わされるな」
「……でも、これが皇后の仕掛けた香なら、次は……」
「次は、“お前の命”だ。ここから先は本気で命がけになる」
蘭は、深く息を吸い込む。
「じゃあ――私も、本気を出すわ。香で命を奪えるなら、香で真実も暴ける」
玄霄が小さく笑った。
「毒姫が牙を剥いたな」
その夜。
蓮華楼にて、新たな事件が起こる。
皇后付きの女官が、香炉の煙の中で意識を失って倒れたのだ。
調香局の香が、暴走を始めている。
後宮全体に、何かが動き出す兆し。
そして、燕蘭の前に、香琅が現れる。
「あなた、本当に“毒姫”なのね。私と勝負しない? 香の技で、命を賭けた戦いを」
香と香の、女と女の、命を懸けた香戦の幕が、今、上がろうとしていた。
これにて第一幕・完!
続編も気になる、という読者の方がいらっしゃれば
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