80 インフィとは 3
ふたりの身体から放たれた魔力は、音もなくぶつかり合い、
魔王城のすべてを包み込み、空へと巻き上がる。
光と闇の渦が天へと昇り、大地は軋み、空は悲鳴を上げた。
それはただの魔法ではなかった。
世界が耐えられる限界の、その最果てを試す一撃だった。
刹那、魔王城全体がうねり、光と闇が絡み合うようにして空へと舞い上がる。
渦巻くエネルギーが、大地を裂き、空を穿つ。
爆光のあと、ゆっくりと沈黙が訪れる。
魔王は膝を折っていた。
しかし、その身は倒れていなかった。
身体からは、無数の光の粒が静かに浮かび上がっていた。
勇者もまた、膝をついていた。
だが彼も、地に伏することはなかった。
代わりに、その全身から黒い粒が静かに昇っていく。
それは、ただの魔力の消耗ではない。
肉体が限界を迎え、崩れはじめている──その兆しだった。
それでも、ふたりはまだ、立っていた。
まだ終わっていないことを、互いの眼が語っていた。
「これも……耐え抜くのですね」
勇者の声は、驚きではなく、わずかに呆れたような響きを帯びていた。
魔王は唇をわずかに歪め、吐息のように応じる。
「まったく……手間のかかる相手だ」
魔力はすでに枯渇していたが、ふたりの身体には強力な防御膜が残されていた。
剣ごときでは傷ひとつ付けられない。もはや、お互いの肉体で戦うしか術はなかった。
勇者は走りながら足元の瓦礫を蹴り、散弾銃のように魔王へ浴びせた。
魔王は反射的に、片手で目を覆ってしまう。
勇者は速度を落とさず、魔王の背後を取ろうとした──が、魔王はすでに振り向いていた。
だが、勇者の蹴りはすでに放たれていた。
足首を伸ばし、つま先でみぞおちを狙う、内臓を砕くための一撃の殺法だった。
魔王はわずかに反応が遅れ、みぞおちは避けたものの、左の横腹の肉が削がれた。
その瞬間、魔王の右足が高く上がり、つま先で勇者の延髄を砕こうとする殺法が振り下ろされた。
勇者は避けたが、肩の肉が削がれていた。
どちらも「殺法」と呼ばれる、相手を一撃で殺す為の技である。
目、鼻の下の人中、こめかみ、顎、足首、鎖骨──次々に急所だけを狙い攻撃が繰り出される。
どれも当たれば致命傷。かすっただけでも、相手の動きを一瞬止めるには十分だった。
「正々堂々」という言葉は、そこには存在しなかった。
だがその戦いは、あまりにも美しかった。
そして、限界を超えるほどに激しかった。
すべての動作が、見えない円を描くように連なり、
ひとつの動作が、次の動作へと流れ込むように変化していく。
受ける側もまた、同じ原理の中に身を置き、円を基本とした動作で攻撃を受け流していた。
それは技術ではなく、もはや本能の領域だった。
そして──
魔王の身体からは、光の粒がふわりと昇り、
勇者の身体からは、漆黒の粒が音もなく立ち上っていた。
闘いの中に溶けるように、ふたりの存在が静かに削られてゆく。
数多の魔物を屠り、戦場で経験を重ねてきたのは、勇者だった。
その蓄積が、わずかに彼を優勢に立たせていた。
だが、優位とは裏腹に──
勇者の表情には、次第に苦悶の色が差しはじめていた。
この魔王城という空間が放つ、重苦しい力。
空気に混ざる呪気は、時間とともに勇者の動きを確実に蝕んでいた。
この場に長く留まることが、明らかに不利となる。
そのことを、勇者自身が誰よりも早く理解していた。
──勇者は悟っていた。
このままでは、勝てない。
優勢に見える“いま”こそが、最後の機会だった。
この瞬間を逃せば、もはや相手を倒すことはできない。
ならば、代価を支払うしかない。
自らの命を、燃やし尽くす覚悟で。
勇者は一瞬の揺らぎを見逃さなかった。
迷いなく踏み込み、魔王の背後を奪う。
両腕が伸び、確実に魔王の動きを封じるように、羽交い締めにする。
その体が触れた瞬間、勇者の全身から漆黒の粒があふれ出した。
粒は、まるで意思を持つかのように流れ、魔王の体内へと深く染み込んでいった。
それは、魔王そのものを取り込もうとしていた。
魔王の目が、鋭く見開かれる。
「貴様……自ら死を選ぶつもりか」
声は揺れていた。怒りとも悲しみともつかぬ、混濁した響き。
「我が夢も……ここで潰えるというのか」
そして──
「させぬッ!」
怒声とともに、魔王の全身から光の粒があふれ出した。
その粒は、まるで意思を持つかのように流れ、勇者の体内へと深く染み込んでいった。
それは、勇者そのものを取り込もうとしていた。
魔王の煌めく光の粒は、美しく魔王城全体を覆いつくしていた。
勇者の煌めく漆黒の粒もまた、美しく城を包み込んでいく。
やがて、光の粒と漆黒に輝く粒が混ざり合い、魔王城全体から立ち昇っていった。
それは、天へと伸びる──この世の柱となった。
その光も、やがて宵闇に溶けるように消えていった。
それでも、フィディアとシャリーネの涙は止まらなかった。
天を貫いたあの柱が消えたあとも、二人の頬を伝う雫は、まるで願いのように悲しく流れていた。
時を同じくして──
空の高みから、ひとつの輝きが、静かに降りてきていた。
それは、エメラルド色の小さな粒。
誰にも気づかれず、誰にも迎えられぬまま、
ただひとつ、《最果ての地》へと舞い落ちた。




