75 忘れてた! 2
ハルパン王国には、魔法学園は一つしかなかった。
この国の人々は、十六歳になるとたいてい何かしらの魔法が使えるようになる。ただ、それは日常生活に使える程度のものがほとんどで、戦闘や治療に使えるような魔法を扱えるのは、ごく限られた人たちだけだった。
学園には、初級・中級・上級・最上級と、区分された四つの地区があり、それぞれの力に応じて学ぶ場所が用意されていた。敷地はとても広く、もし強力な魔法が暴発しても他の地区に被害が出ないよう、十分に距離が取られていた。
この国では、魔法が使えるというだけで貴重な存在だ。戦闘用の魔法が使えるのは百人に一人、回復魔法に至ってはさらに少なく、貴族の家系に多いとされていた。そのため、学園にも貴族の子弟が数多く通っていた。
とはいえ、学園内で重視されるのは身分ではなく、魔法の実力だった。年齢も関係なく、力さえあれば誰でも入学できた。小柄な体格の方が魔力が強いとされ、回復魔法は女性の方が向いているとも言われていた。
多くの生徒は三年ほど学べば、自分の限界が見えてくる。その後は、魔法を活かせる仕事に就くか、冒険者になるかなど、進路は自由だった。王国としても、魔法使いたちに選択の自由を与えることで、優秀な人材を育てることを国の柱の一つとしていた。
インフィはすぐに試したくなり、ヨパラに頼んだ。
「ヨパラさん、魔法を……教えて」
ヨパラは少し考え込んでから、「……露天風呂なら大丈夫かもな」とつぶやいた。水があれば安心だ。火の魔法でも、ある程度は制御できるだろうと考えていた。
そうして、皆で露天風呂に集まることになった。
インフィの異常性については、ヨパラも十分承知していた。だからまず、インフィに深呼吸をさせて落ち着かせたうえで、フィディアとシャリーネに声をかけた。
「魔力が暴走しそうになったら、すぐに抑えてくれ」
二人は顔を見合わせ、にこやかに答えた。
「簡単よ」
「お任せください」
その口調は穏やかだったが、どこかで火花が散ったようにも見えた。
ヨパラは小さく息を吐き、インフィに指示を出す。
「じゃあ、“火の玉”って唱えてみろ。できるだけ小さな火をイメージするんだ。湯船の上に乗るくらいの……とにかく、ちっちゃいやつな」
インフィはうなずき、目を閉じた。そしてそっと息を吐きながら、つぶやく。
「……火の玉」
──次の瞬間、ぼうっという音とともに現れたのは、大きな火球だった。
火の玉は露天風呂の湯を蒸発させ、もうもうと湯気が立ちこめた。
インフィは、信じられないものを見たかのように驚いていた。
「あれ、魔法、使える!」
ヨパラも、やはりインフィは異常だと感じ、頭をかいていた。
フィディアとシャリーネも、自分たちの魔法を教えずに済んだことに安堵していた。
以前、インフィは冒険者登録の際に、魔法が使えることを証明しようとした。「いでよ、煉獄の業火よ。すべてを焼き尽くせ!」などという、街ひとつを破壊できるほどの強力な呪文を唱えていた。
しかしそのときは、かすかな炎がひらひら揺れるだけで終わった。まだレベル10だったインフィの中で、何らかの抑制が働いていたのかもしれない。
ヨパラも、インフィに刺激されたのか、確認のために軽く呪文を唱えた。
「火の玉」
すると湯船が一気に白煙に包まれ、水がすべて蒸発してしまった。
ヨパラは、あまりのことに声も出ず、ただ呆然としていた。自分は魔法なんてまるでダメだったのに。
フィディアはそんな様子を見て、静かに笑っていた。封命毒を受けて生き残るには、強い魔力がなければ不可能だった。だが、そのことをヨパラにはあえて伝えていなかった。というのも、フィディアの中ではヨパラの存在など、頭の片隅にもなかったからだ。
レイヴァンは、入るはずだった湯の消失を前に、静かにうなだれ、哀しみを滲ませていた。
風魔法も、雷魔法も試してみたが、インフィは問題なく使いこなした。
「……これなら、試験は余裕だな」
ヨパラがそう言った瞬間、インフィはぐいっと身を乗り出してきた。
「今すぐ、連れてって」
「……ちょっと遠いけど。まあ、行くか」
フィディアとシャリーネが同時に声を上げた。
「インフィちゃんを馬車に乗せるなんて、私がすぐに連れていってあげる!」
フィディアは恍惚とした表情で言い放った。ヨパラはその様子に、明らかに引いていた。
「インフィ様は、私がお連れします」
またもや、二人の視線がぶつかり、火花が散る。
しかし、インフィはどちらでも構わなかったので、「じゃあ、フィディアお願い」とあっさり答えた。
その瞬間、フィディアの表情は、見るに堪えないほどの恍惚に染まり、シャリーネは下を向いて涙目になっていた。
ヨパラはこの二人を見ながら、心の中で「頼むから学園ではおとなしくしていてくれ」と願っていた。
そして、全員の準備が整うと──
「じゃ、行くわね」
フィディアが転移魔法を発動し、インフィとヨパラの姿はふっと消えた。
その場にはシャリーネだけが残されたが──数秒後、彼女もまた無言のまま転移した。
人でも移転魔法を使える者は存在するが、ごくわずかしかいない。
やはり、この二人は異常と言えるだろう。
インフィは移転魔法の感覚を、なぜか懐かしく感じていた。
一方、ヨパラは顎が外れるほど驚いていた。
こうして、インフィとヨパラは、その日のうちに入学試験会場へ到着した。
転移魔法で一番近くの村まで移動し、そこから馬車に揺られて学園へ向かったのだった。
そして今、入学試験会場にはインフィとヨパラの姿があった。
結果は──無事に合格した。ヨパラがそばにいたことで、何事も起こらずに済んだのかもしれない。
──余談だが。シャリーネは「インフィ様の勇姿を見たい」と駄々をこねた。
だが──
「シャリーネいらない」
インフィのあっさりとした一言で、静かに崩れ落ちていた。




