63 あの悪夢 前半
深夜のソラックの宿。三畳ほどの狭い部屋には、月明かりも届かぬ小さな窓がひとつあるだけだった。
その床に敷かれた寝具の上で、ひとりの男が静かに身じろぎをした。
ヨパラである。
額には汗。喉からは苦しげな息が漏れている。彼の夢は、いつもあの光景へ戻る──仲間を失った、あの忌まわしい戦闘だ。
「また……か」
重たく目を開け、天井を見上げる。闇に沈む天井には何も映らず、ただ記憶の残像だけが何度も繰り返された。
「なんで……俺のレベルは……上がらねえんだ」
呟きながら手を見つめる。かつては確かな力が宿っていたはずのその手が、今はただの鈍い肉の塊に思えた。
視線を横にやると、インフィが静かに眠っていた。あどけない寝顔。だが、その内に秘められた力の片鱗を、ヨパラは誰よりも知っている。
「……がんばれば、きっと……」
そう小さく呟き、再びまぶたを閉じた。眠りは浅いが、それでも心を立て直すには必要な時間だった。
……
魔塔の十階──いわゆる「ボス部屋」。
インフィたちは、そこで巨大な敵と対峙していた。これを制すれば、初級冒険者として認められる。
インフィのレベルはすでに13。ヨパラと肩を並べていた。
雨合羽は、戦闘に備えて骸骨の姿へと戻っていた。高級な服が汚れるのを嫌がる繊細な性格ゆえだ。
普段は目立たぬようにしているその姿も、今ではギルド内で広く知られており、戦闘時はもっぱらこの形態だった。
とはいえ、巨大化はさすがにまずいため、2メートルのサイズに抑えてある。
インフィと雨合羽は持久戦に強く、ヨパラも堅実に貢献していたため、金銭面の不安はなかった。
三人は、見習い冒険者としては上等な装備に身を包んでいる。
「戦わないで」
インフィが雨合羽にそう命じたのは、経験値を得る為めだった。
敵は──ワニラー。レベル18。体長5メートルを超える巨体を誇り、戦闘中にはカブトラー(Lv12)を複数体呼び出す。
その尻尾の一撃、鋭い牙のかみつき──いずれもレベル13の者には致命傷となりかねない。
インフィは、構えた。右手に中剣を高く掲げ、左手の短剣は低く構える──それは「天源」と呼ばれる構えだった。
迷いはなかった。インフィは一直線に駆け出す。
ワニラーが尻尾を振る。しかし、その攻撃は空を切る。インフィは最小限の動きでそれを避け、空中で身体を丸めて高速回転、最大まで力を高めた剣で、右目を鋭く狙い──貫いた。
ワニラーは目を閉じる暇もなかった。だが──刃は、弾かれた。
「……チッ」
舌打ち一つ。あどけなさは、戦闘に入ると霧散する。
ワニラーの皮膚は硬い。ならば、急所を狙うしかない。
インフィは素早く背中へと乗り上がり、再び空中へ舞う。
今度は、左の短剣で鼻を狙うフェイントを放ち、視線を誘導──そして、右手の中剣で再び右目を貫く。ワニラーが痛みを感じたような素振りを見せた。
すでに主導権は完全にインフィのものだった。ワニラーの動きは単調で、攻撃パターンも読まれている。インフィは絶えずフェイントと攪乱を織り交ぜ、執拗に右目だけを狙い続けた。
その間、ヨパラは呼び出されたカブトラーたちを斬っていた。スタン攻撃にも、特製の盾が吸収してくれる。レベル13の彼が、レベル12の敵に後れを取ることなどない。
やがて、ワニラーが絶叫を上げ、右目が潰れた。
すかさず、左目へ──インフィの剣が閃く。ワニラーはますます苦悶に歪む。
「インフィと戦う魔物の方が、かわいそうに思えるな……」
ヨパラは、剣を納めながらいつものように呟いた。
そして、ついに左目も潰れた。
骸骨──雨合羽が歩み寄る。暴れるワニラーの巨体を、何の苦もなくひっくり返す。
「カカカ(はい)」と満足げに笑った。
インフィは狂気を宿した目で高く跳躍し、むき出しになった腹部へ中剣を突き立てる。ヨパラも上に乗り、力強く剣を振るった。
骸骨は無言でその体を押さえ込む。
三十分ほどが経過した頃、ヨパラは安全な場所へ下がり、息を整えていた。
「……いつ見ても、こいつは異常だな」
ぼやきながらも、その視線はどこか誇らしげだった。
ワニラーが最後の叫びを上げ、大きな光の粒となって空へ舞い、消えていった。
同時に、インフィとヨパラの身体にも、祝福のような光が差し込む。
インフィの頭に、レベルアップの音が鳴り響いた。
その身体が淡く輝く──
「レベル14……っ!」
無邪気な笑顔が浮かぶ。
一方、ヨパラは自分の体を見下ろした。……何の変化もない。
「まだ、駄目か」
つぶやきながらも、心が折れることは──もう、なかった。
インフィの頭を撫でてやろうと歩みを進めていた。その途中で──あの悪夢が、ふと彼の脳裏をよぎった。
ヨパラの足が止まり、インフィもまた、ふと喜びを止めて俯瞰を使い始めた。
その視界の中、雨合羽が──「巨大化するな」と言われていたのに、なぜか怒ったような顔で、巨大化して駆け寄ってくるのだった。
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