41 ロリア南東砦の反撃
「なんてことだ。こんな小僧を信じるなんて……どうかしていたんだ。残った兵を集めろ。対策を練り直すぞ」
司令官が怒りの表情をインフィに向け、指揮官たちとともに部屋を出て行く。インフィは、またひとりぼっちになってしまった。そして力なく、司令官室を後にした。
警笛が鳴り響く。また何かが起こったようだ。
「密偵だ! 敵の間者がいるぞ。絶対に逃がすな。この状況が敵に漏れれば、終わりだ!」
索敵スキルを持つ者たちが間者に気づいて追跡したが、逃してしまった。もはや、この砦は落ちたも同然である。
……
そうではないのかもしれない。
闇夜に乗じて逃げ出した兵たちは、いつしか小隊、中隊(十〜五十人)を成し、地図を確認しながら進んでいた。
インフィもいつの間にか、マタギや屈強な男たち、虎の子の魔法部隊と合流し、山岳地帯へ向かって駆けている。
司令官たちは、残された兵たちとともに「もうだめだ」「守りきれない」「どうするんだ」と、声を荒げてわめき散らしていた。
索敵班は、間者を逃がしたというのに親指を立てている。まるで、グッジョブのサインのように。
……
「報告いたします。諜報部隊の報告によると、間者による敵砦への侵入に成功。敵砦から多数の脱走兵を確認。敵司令官も混乱しており、指揮は壊滅。砦の残存戦力は、LV20が百名程度とのことです」
「そうか……あまりにも脆いな。敵の策略という可能性は?」
「はっ。少し脆すぎる気もいたしますが、大半が新兵と思われる援軍兵。この戦力差を知れば、逃げ出すのも当然かと。また、どのような策略があったとしても、勝利に揺るぎはないと存じます」
「まあ、そうだな。少しくらい面白い趣向があった方が、楽しみも増すだろう」
エグズ使徒は、どこかに違和感を覚えながらも、ハーザー軍が去ったことによる圧倒的な戦力差、そして自身のレベルに対する絶対的な自信から、笑みをこぼしていた。
……
翌々日の夜。第二十三神団は鬱蒼とした森の中、比較的開けた場所を野営地として選んでいた。
「敵砦の状況に変化はありません。司令官は怒鳴り散らすばかりで、指揮系統は混乱。城壁の修復、堀の拡張など、籠城の準備に専念。ハーザー軍は遥か彼方、他の援軍の気配もありません」
「よし。他に変わったことは」
「はっ。周辺の調査班から連絡の途絶えた者があります。また、山岳に向かっている百名ほどの敵兵を確認。逃亡兵が国境を越えようとしているとの報告です」
「調査班の連絡はいつから途絶えている。人数は……何か、甘い匂いがするぞ。酒でも飲んでいる奴がいるのか? 至急確認しろ……」
その時、警報が鳴り響く。別の兵士が慌てて司令官のテントに駆け込んでくる。
「魔物の群れがこちらに向かってきているようです。南からです。その数、百程度。レベル十以下の魔物です」
「そうか。魔元素溜まりでもあったか。信徒どもに処理させろ」
また、別の伝令が飛び込んでくる。
「南東に、魔物の集団。数二百。低レベルと思われます」
また、別の伝令が飛び込んでくる。
「北西、魔物の集団。数四百。低レベル……」
「何が起こっている。斥候隊は何をしていたんだ。全兵を叩き起こせ。俺も出る」
そうしているうちにも、次々と伝令が魔物の群れを報告に来る。三百六十度、全方向から第二十三神団の野営地へ向かってくる。その数は、すでに数千を超えていた。
エグズ使徒の対応は素早かった。広範囲魔法の使い手たちを均等に分け、各部隊を各所の魔物の群れに向かわせた。魔物の異常発生は稀だが起こる。低レベル魔物の集団など殲滅するのは容易い。大きな違和感を抱きつつも、余裕の表情は崩れなかった。
数刻すると、順調に殲滅中との報告が上がってくる。
そこへ、激しく負傷した兵が倒れ込んできた。
「南に……敵兵が……すぐそこまで……来て……」
言い終えることなく、その兵は崩れ落ちた。
「くっ、魔物が囮だと? そんなこと……できるわけが……くそ、第四部隊を向かわせろ」
そうこうしていると、北に敵兵。東に敵兵。西に敵兵……。もはや誰にも把握できないほど、情報の錯綜と混乱が広がっていく。
「くそっ、全軍に戻るよう連絡しろ。撹乱による同士討ちに注意しろ。混乱が敵の狙いだ。冷静に行動せよ」
……
あどけない顔のインフィが発動したC作戦とは、まさに“エグい”作戦であった。細かく書けば冗長になるため要点だけ記すと――
闇夜に紛れて脱走したのではなく、魔物の誘導と敵兵の混乱を狙った偽装行動。
指揮官が右往左往していたのは、敵の油断を誘うため。
まず、インフィの十八番である魔物の知識を活かし、魔物を引き寄せる香料と、魔物が嫌う香料を作成する。
闇夜に乗じて逃げたと思わせた兵たちを使い、
魔物が嫌う香料を、兵士たちの身体にたっぷりと塗る。
魔物が好む香料を、布にたっぷりと染み込ませる。
あらかじめ調べていた魔素溜まりに、魔物が嫌う香料を身体に塗った兵士たちを追い立て役として使う。彼らが襲われることはない。
そして、魔物が好む香料を染み込ませた布を持った足の速い兵たちが、敵陣へと魔物を誘導する。
さらに、その魔物の群れには、魔物が嫌う香料を塗った数名の兵を紛れ込ませ、混乱に乗じて敵の装備を奪い、負傷兵を装って敵陣に倒れ込み、「敵兵が現れた」と偽の情報を次々に拡散する。
おまけに、敵兵が魔物の群れを殲滅し始めたその時、伏兵が姿を現し、銅鑼を鳴らし、旗を数多く立て、風魔法で木々を揺らして自軍の規模を大きく見せ、さらなる混乱を誘った。
もはや、第二十三神団は完全に制御不能な混乱に陥っていた。
まったく巧妙な戦略である。魔物を誘導して戦わせるなど、前代未聞の戦い方であり、それに自軍が乗じるとは、誰が想像できただろうか。
そして、これはまだ、ただの――『序章』であった。