30 必殺亀作戦は成功するか
昨日の晴天が嘘のように、空には雲が広がり、冷たい雨がしとしとと降り始めていた。
この日も、対人訓練の日である。
「そろそろ下位の班とも当たる。今日は何としても勝つぞ。気合いだ!!」
副長のゼルが何とか声をかけるが、皆の腹が鳴るだけで、力なく頷くばかりだった。
すると、インフィが皆を集めて話し始めた。
「……みんな、作戦がある……。大盾で、自分を囲んで……お願い」
一晩中考えたのだろうか、拙い口調で、静かに新たな作戦を語り出す。
試合の開始が告げられる。相手は四十八班。ようやく下位との対戦であった。
「……カイラ、もう少し寄って……ダリル、くっつきすぎないで……」
その陣形は、まるで『亀』。インフィの周囲を四人が囲み、大盾を中腰で構え、身を低くし、インフィを守る。
まるで亀の甲羅のように見える布陣だった。(大盾は長方形の大型盾。他に遊撃手の中盾、攻撃手の小盾がある)
観戦者たちからは、昨日と同じように笑い声と罵声が飛ぶ。
四十八班の者たちも、呆れたように様子をうかがっていた。
「おい、あいつら何がしたいんだ? 笑いでも取りたいのか?」
四十八班は基本の五角形陣形で迫ってくる。前衛に盾役二人、左右に遊撃、後方に攻撃手。
「……来る、腰を落として……当たり負け、しないで」
四十八班の前衛がぶつかってくる。九十六班はなんとか堪えるが、その隙を突いて、遊撃手が動きの鈍いカイラを狙う。
その瞬間──よたよたとした剣が、大盾の隙間から伸び、相手の脇腹を突いた。
まるで全てを予測していたかのように、ゆっくりと、しかし正確に。
剣先が命中した瞬間、電撃が走り、遊撃手が稲光に包まれて倒れる。
この陣形は、インフィの低い背丈と非力さを補うための布陣だった。
仲間が盾で守り、剣の軌道を隠し、相手の攻撃に合わせてカウンターを仕掛ける──それが、インフィの『亀戦術』だった。
初手の一合で、一人を撃破した。
予想外の一撃に、四十八班の士気が揺らぐ。
相手は距離を取った。周囲のヤジがどよめく。
「アハハ、やられてるぞ! 相手は九十六班だろ!? マジかよ、情けねぇ!」
ヤジに煽られた四十八班が、慎重に再び距離を詰めてくる。
一合、二合とぶつかる。三合目、攻撃手がよろけたダリルに迫る──その時、またしても電撃が走った。
インフィの剣が再び決まったのだ。盾と味方の体に隠され、外からはその動きは見えない。
「オー、またやられたぞ! 九十六班だよな? 何なんだ、あの亀!」
観戦者の罵声に戸惑いが混じり始める。
四十八班は、戦力が三人となり、警戒して距離を詰められずにいた。
しばしの沈黙の後、
「ピー、ピー、ピー。九十六班、教育的指導」
審判が声を上げた。戦意喪失と見なされ、戦闘継続の意思が見えなければ敗北と判断される規定だった。
インフィの『亀戦術』は、ここで封じられることとなった。これは攻撃を前提とした戦闘訓練──守るだけの布陣は、許されなかったのだ。
そして、九十六班は亀戦術を封印され、通常戦闘へと切り替える。
インフィは戦力外だった。相手は格上だったが、四対三と数ではこちらが勝っていた。結果は──かろうじての勝利だった。
だが、それ以降はまったく勝てなかった。
最弱班に加え、インフィは戦力ゼロ。勝てるはずもなかった。
最終成績は一勝九敗。
「よし、終了。全勝は一班、三班、七班、十六班……」
「全敗は、九十五班、九十二班、九十班……貴様らに、貴重な食料は必要ない。帰還!」
そこに、九十六班の名はなかった。
九十六班の全員が、直立不動のまま、涙を流していた──今日の晩飯に、深く感謝しながら。
そしてインフィは、一勝しかできなかったことに、静かに打ちひしがれていた。
そういえば、九十五班と九十二班は、前日も全敗で晩飯抜きだった。
彼らは、今にも崩れそうな表情で、無言のまま立ち尽くしていた。
……
翌日は魔物討伐の日だった。レベル上げのための大切な日だ。
教練は十日のうち、七日が魔物討伐、二日が対人訓練、残り一日が休息日というサイクルで構成されている。
インフィは、ダリルが言った「成績の悪い班はずっと対人訓練」という言葉を、今も信じていた。
(猪突猛進──ひとたび信じた道を、疑うことなく突き進む。素直な性格である)
「カイラ……試したいことがある。少し、付き合ってくれる?」
晩飯の後、インフィがカイラにそっと声をかける。
戦闘指導以外では、相変わらず蚊の鳴くような声しか出せない。
「班長、命令で話さないと。棒で叩かれたくないぞ。おらは何するだぞ」
インフィは身振り手振りで必死に説明する。
「……たまげた。そんなことバカだぞ。本当にやるだか? おらに出来るだか?」
インフィの深いエメラルドの瞳が真剣に輝いていた。
「うだ、また、肉が食いてえだ。よし、やってやるだ。おらの力、見せたるで!」
月明かりの下、薄暗い一角で、カイラとインフィの特訓が始まる。
こうして、カイラとインフィの特訓は、毎夜遅くまで続けられるのだった。
『インフィは、カイラに何を頼んだのか』
『この特訓は、果たして実を結ぶのか』
赤黒く焦げた山の尾根から吹き抜ける木枯らしが、汗と土の匂いのこもった老朽兵舎を通り過ぎていく。
そして──今日もなお、かすかな声が木霊する。
「……どうすれば……どうすれば……」
それは、諦めきれない幼い魂の、彷徨う声だった。
【補足:カイラ】
カイラ。二十二歳。レベル十一。身長二百五センチ。筋肉質で大柄な体つきに、どこか愛嬌を感じさせる丸い顔立ちをしている。
盾役としての力は十分にある。だが、動きは鈍く、何事も力任せに解決しようとするため、相手に軽く躱され、あっさり敗れることも珍しくない。
農家の三男として生まれた。赤子のころは未熟児で、いつ命を落としてもおかしくなかった。だが、母の深い愛情を一身に受けて育ち、やがて──育ちすぎてしまった。
男四人の家族では、細い畑の収穫だけで満腹になることはなかった。だからこそ、《軍に入れば、腹いっぱい飯が食える》という言葉に惹かれ、二十二歳で奴隷兵に志願した。
母は泣いて止めた。だが、カイラは自分の力を信じていた。これだけの体があれば、すぐに正規兵になれる──そう思っていたのだ。
だが、現実は違った。力はあっても鈍すぎた。結果、最下位の九十六班に配属されることとなる。
「腹すいた~。あれは旨かっただぞ。あれまた食べたいだぞ。肉食いたいだぞ。腹一杯食いたいだぞ」
仲間と語らうとき、カイラの口からはいつも食べ物の話題がこぼれる。