3 極限の山越え
目の前に聳える山々。その遥かな頂は白銀の冠をいただき、谷から吹き上がる風に粉雪が舞い上がる。
陽光を受けて雪片は紫の雲となり、昼なお深い天に、オーロラのような神秘がひろがっていた。
まるで神が降り立つ聖域――幻想と現実が交わる場所。
その幻想的な景色に包まれて、少年はひとり立ち尽くす。
彼がたどり着いたのは、「忘れられた地」の西山脈のふもと。
休むことなく歩き続けて、一月近い日々が過ぎていた。
二足で歩くようになったとはいえ、その足取りは遅く、幼さを引きずっている。
「やっと……ここまで来た。ここを越えるしかないんだ。レベルを上げるんだ。あきらめるか」
深く濃いエメラルドの瞳に光を宿し、少年は静かに、しかし力強く呟いた。
独り言の多い少年。
今はもう、瞼の腫れもなく、顔の歪みも消えて、あどけない表情が戻っている。
その幼い顔で山を睨みつけ、また小さく呟く。
「ミニスライムを倒しても、レベルは上がらない。他の魔物を倒さないと。山頂が見えない。でも、越えるしかないんだ」
「腹は減ってる。でも動ける。なんで凍えないんだろ……。でも、力はレベル1のまま。弱すぎる」
何も食べていない。けれど餓死もせず、体調も崩れず、眠らずに歩き続ける日々。
夜になれば、世界は氷点下の闇へ沈む。それでも、少年の体は不思議な力に満ちていた。
「腹減った。のど乾く。寒い。凍えるー」
感覚は人間と変わらない。空腹も、渇きも、寒さも痛いほどあった。
精神は削られていく。それでも耐え続けられるのは、逞しさか、それとも極限状態で生まれる麻痺か――
どちらにせよ、辛さだけは決して消えない。
神の手で創られたかのような体。けれど、その力はレベル1のまま。
矛盾だらけの存在でありながら、なお、進むことだけはやめられなかった。
「この峰を越えれば……人に会えるはずだ」
少年はまた、力を込めて歩き出す。よたよたとした幼児の歩みで。
「くそ……また崖か。こんなとこ登れるか。戻るのか……?」
山越えは、幼い力しか持たない少年にとって、まるで鬼の所業だった。
目の前の段差はたった数十センチ。それでも、世界の壁のようにそびえ立つ。
足場は脆く、雪は滑りやすい。何度も転び、冷たい雪に手を埋めて、思うように進めない。
それでも、少年は諦めなかった。
雪を何度も掻き集めて足場を作り、滑り止めにし、幼い手で必死に工夫を繰り返した。
転び、立ち上がり、少しずつ一歩一歩進み続ける。
登り始めて一週間、ようやく標高千メートルを超える。
忘れられた地が標高二千メートルの高地なら、いまや標高三千メートルの空気を吸っていた。
「ふーー……けっこう登った。山頂はまだか。凍える……」
やがて、なだらかな傾斜の雪原にたどり着く。
太陽に照らされた白銀の世界は、雑念を洗い流すように清らかだった。
周囲は細やかな粉雪に覆われている。
その中、淡く光るエメラルド色の何かが、雪原の静寂に浮かんでいた。
「え……宝石? 大金持ちになれる……? やった……これで……ずっと生きていける……」
そう呟いてみたが、不思議と胸の奥からは、何の感情も湧かなかった。
「……動いた。動いてる。こっちに来る……」
少年は大声で叫ぶ。
「レベル上げだ!」
命の危機よりも先に、心の奥底から熱い衝動が湧きあがる。
「なんか……他にも来てる。まずい……勝てるのか」
少年の足元に、一匹の魔物が現れる。
「来た……なんだこいつ……いもむし?」
それは雪虫と呼ばれる魔物だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
雪虫。
体長は数センチの芋虫。
極寒に生きる虫型の魔物で、攻撃力こそほとんどないが、生き物にまとわりつき、その体温を容赦なく奪い取る。
粘りつかれた者は、マイナス四十度の冷気で凍死することもある。
動きは緩慢だが、いったん粘着されれば逃れるのは難しい。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「ボコッ、ボコッ、ボコッ……」
少年は、体を這い上がってくる芋虫を必死で殴り続けた。
「堅い……これじゃ、だめだ」
周囲の石を拾い集めて、さらに殴り始める。
「ガツッ、ガツッ、ガツッ……!」
雪虫は石に打たれて地面に落ちる。
しかし、なお動きは止まらない。
「まだ動いてる……倒せてない」
雪虫は再び少年に這い寄る。石で何度打っても怯むだけで、傷ひとつ与えられなかった。
「ミニスライムと同じ……。噛むしかないのか……。なんでこんな体なんだ!」
少年は雪虫をつかみ、叫んだ。
「くそ……レベルを上げるんだ。諦めるか!」
ミニスライムの戦いで身につけた唯一の戦法――
渾身の力で、噛みついた。
「ガブッ!」
歯が欠けそうな痛みが走る。
「え……噛めない。どうする……冷たい! カチカチだ……!」
雪虫は危機を察すると、その体を一瞬で冷たく硬くする。
少年は凍りついた虫を思わず放り投げた。
その間にも、辺りには淡いエメラルド色の光が次々と集まってきていた。
「どうして……体が動かない……このままじゃ、本当に……死ぬ……!!」
逃げようとした時には、すでに周囲は雪虫に囲まれていた。
足元にも這い寄る雪虫たち――
冷たく湿った無数の体が、少年の体をじわじわと覆い始める。
やがて全身が雪虫に包まれ、その重みに抗えず、少年は雪原に倒れ込んだ。
「冷たい……凍える……凍え死ぬ……!!」
少年の感覚は、人と何も変わらない。
骨の髄まで刺さる冷気。
その中で、最後の力が抜けていく。
「こんな……絶対に死ぬ……」
雪虫の体温はマイナス四十度。
冷気は皮膚を突き刺し、血を凍らせる。
顔が青白くなり、感覚は遠ざかり、
やがて、動かなくなった。
雪虫たちは、静かに動かなくなった少年の上から離れ、また雪原をゆっくりと這っていく。
少年は、死んでしまった。
彼は、何者だったのか。
何を成すべきだったのか。
宵闇が、ゆっくりと静寂を落とす。
風の音だけが、死を悼むように雪原を吹き抜けていた。
おもしろいと感じた方は、「亀の甲より年の功」をクリックして、他の作品もぜひご覧ください。まったく異なるジャンルの物語を、生成AIを駆使して書いています。