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15 抑えきれぬ衝動

ウルラン高原では珍しく、どんよりとした雲が夜の帳を迎えるように広がっていた。


「インフィ、お前はまだ子供だ。大人になってからにしろ。」


「そんな危険なこと、許せるわけないじゃない。変なこと言わないで。」


ゲルでの和やかな夕食のあと、インフィが魔物を討伐したいと話し出した。心の奥底から湧き起こるあの衝動に抗えず、レベルアップしたいのだと訴えていた。


「俺たちは遊牧民だ。猟師じゃない。魔物を狩る者などいないぞ。危険な魔物は俺が倒す。それで十分だ。」


「何を言ってるの。魔物を倒しても、成人――十六歳になるまでは、レベルアップなんてしないのよ。」


ダルドとフランは、それを子供の戯言と受け取っていた。それでもインフィは諦めずに訴え続けた。最初はスライムを噛み千切ったこと、雪虫との凍える戦い、一角兎との落とし穴での勝負、そして、レベルが実際に上がったことを――。


「なにかが違うとは思っていたが、それが本当だというのか? 真実なのか?」


「もう、そんなことをする必要はないのよ。インフィはもう、家族なんだから。」


インフィは、ここでの暮らしが心地よく、嬉しく、感謝していると伝えた。けれども、この衝動には逆らえない。反対されるのなら、出ていくしかないと覚悟を語った。


「決心が固いのは分かった。明日、俺と一緒に魔物を狩りに行く。お前の言葉が本当か、この目で確かめる。」


「あなた、なに馬鹿なこと言ってるのよ! 子供なのよ!?」


「心配は要らん。このあたりの魔物は弱い。こいつは妄想を言ってるだけだ。それを俺が証明してやる。俺が強いってのは、知ってるだろ?」


「もう……どうして男の子って、馬鹿なことばかりするのかしら。タムもこの前……。」


フランの小言が始まると、ダルドはインフィに「もう寝ろ」と言い、羊皮の寝床へ潜り込んだ。


どんよりとした雲が覆うゲルの中から、フランの終わらない小言が聞こえ続けていた。


……


翌朝、ダルドはインフィを後ろに乗せ、草原を駆け抜けていた。黒く光る美しい毛並み。細く長い脚と引き締まった馬体。騎士時代から共にあった愛馬にまたがり、風を裂いて進む。


「この辺りが良さそうだな。最初はミニスライムと戦ってみろ。」


インフィの手には、ダルドから渡された鉄製の短剣。装備は一角兎の皮防具。防具には斬れ跡や焼け焦げが点在し、幾度の戦いの痕跡を色濃く残していた。品質はランク2にまで落ちている。


インフィは、なぜかミニスライムとは戦いたくないと感じ、レベル5の魔物と戦いたいと言ったが、ダルドはそれを許さなかった。


仕方なく、何匹かのミニスライムを無駄のない動きで寸止めし、確実に倒せることを示す。


「……ほう、なかなかの動きだな。いや、大したもんだ。」


「なんだ? どうしてインフィを襲わない?」


インフィは、自分よりレベルの低い魔物は襲ってこないこと、だがその理由は自分にも分からないことを説明した。ダルドは、本当に不思議そうな顔でそれを聞いていた。


「次は、赤スライム(LV2)だ。次は一角兎(LV3)……ヘビルン(LV4)だ。」


ダルドが段階的にレベルの高い魔物を選び、インフィはそれらを寸止めで抑える。


「本当に襲われない……こんなこと、聞いたことも見たこともない。だが、動きは見事だ。」


「よし、次は青兎。レベル5だ。無理はするなよ。」


インフィの中で、抑えきれない衝動が噴き出した。


「レベル上げだ! レベル上げだ! レベル上げだぁっ!」


その叫びと共に、その瞳が深く、濃いエメラルド色に輝いた。覚悟を宿したその表情に、ダルドは思わず身を引いた。それが、自分でも可笑しく、苦笑いがこぼれた。


レベル5の魔物は、簡単には倒せなかった。インフィの動きは無駄がなく美しい。だが体の基礎力が追いついていない。狙いは正確でも、わずかにずれる。避けたつもりでも被弾する。力が足りない。


だが、確実に追い詰めていく。そして、数分後――


「ほう……魔元素の粒が引き込まれている。これは……レベルが上がるな。」


「悪くない。いや、見事だった。素人には分からんだろうが、あの動きは並ではない。一朝一夕で出来るものじゃない。美しい戦いだった。」


「うーん……困ったな。これは、本当に困った。」


<頭を抱え、目が虚ろになるダルド>


<エメラルドの瞳を輝かせ、次の魔物へと向かう少年>


ダルドは、どんな魔物と戦うよりも重い足取りで馬を進めていた。上空にはますます厚くなる雲。雷鳴が遠くで唸っている。その後ろで、魔物をたっぷり倒した少年が、満足げに眠っていた。


……


雲はついに、春の雨を落とし始めた。雷鳴が空を裂く。


「だめです! 絶対だめです! そんなこと、許しません! 離婚です! 実家に帰ります!」


「去年の誕生日だって、その前の約束だって……!」


「インフィも……魔物を倒すなんて。絶対だめ……うっ、うっ、うっ……。」


ダルドの話を聞いたフランは、涙ながらに感情を爆発させていた。


インフィは、自分が魔物を倒す衝動に抗えないことを語り、ダルドは、その戦いの才能は伸ばすべきだと静かに説得していた。


「これは……俺が決めたことだ。俺とインフィを信じろ。お前が許さなければ、あいつはここを出ていく。たった一人で、また戦うんだぞ。ここには、お前も、俺もいるじゃないか。」


他人であったはずの少年に、ここまで深く関わる二人。その思いが、インフィの心にも届き、いつものように子供らしく泣き出していた。


……


夜明け前。インフィは小さな若馬にまたがり、集落を出ていく。


朝日が昇り、黄金色の光が彼の手綱さばきを照らす。遠くから見れば、まるで英雄の出立にも見えた。


あの雷鳴の日の話し合いの結果、三日に一度だけ魔物狩りに出ることが許された。普段は家畜の世話と勉強をすることが条件だった。


他の子供たちには、インフィは特殊な病気で、薬草を探しに行っていると説明されている。魔物討伐の話は伏せられていた。


今日も、青兎の討伐だ。その魔物は、武器と防具の素材を落とすため、インフィの欲求をますます刺激していた。日が昇る前に、すでに集落を出発していたのだ。


当初はダルドが同行していたが、今では単独で狩りに出ている。魔物への対応、馬の扱い――どれをとっても十分な能力があった。


これまで百体以上を討伐し、装備もレベル5・ランク2まで成長していた。


今日もまた、夜の帳が降りるまで狩りを続け、ゲルに戻ると、フランに小言まじりに迎えられる。


……


「草が少なくなってきた。そろそろ次の場所へ移動するぞ。」


「明日からは準備を始める。お父さんたちは、先に移動先の安全を確認に行く。タム、何かあったら頼むぞ。」


「父さん、僕も行きたい! 剣も馬も、大人よりうまいんだ!」


「……タム。お前の成長は、俺も認めている。だが、十三歳だ。十六になるまで待て。これは俺の決めたルールだ。お前だけ例外にはできん。」


「なら、なんでインフィは一人でいいんだよ! 薬草なんて嘘だろ!? 魔物狩ってるんだろ!」


「それは……インフィは……とにかくだめだ。これは首長の命令だ。家にいろ。」


ダルドの中では、秩序と平等のはざまで葛藤が渦巻いていた。だが今は――そう、今はこれが最善の判断だと、信じるしかなかった。


タムはふてくされて羊皮に潜り込む。フランがそっと隣に座り、優しく頭を撫でていた。

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