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夕焼けが闇に包まれる時刻。
貧血気味で重い身体が覚醒するまで布団の中でぐずり、ようやく起床。
とにかく酷い喉の渇きを癒そうと、すぐに冷蔵庫の扉を開けるが、空っぽ。
「ああ、買いに行かないと」
元来、出不精な私はうんざりしながら電気もつけないままに着替えを始める。
寝巻きから外出用の赤ジャージに着替える途中、窓から漏れ出る夕日の僅かな光により姿見に子供のような矮小な身体が映る。
そして、落ち窪んだ赤い瞳に長くボサボサの黒髪が気味の悪い雰囲気を醸し出している。
しかし、そこまで自分の外見に執着する性格ではないので、着替え終えるとそのまま画材が散らばる六畳一間を後にする。
ひっそりと静まり返った私の住処である木造二階建てのトキウ荘の廊下を抜け外出し暗い小道から明かりが灯る大通りの方へ。
そこへ近づくにつれ、賑やかな声や祭囃子のような音などが響き始める。
そのまま進むと、提灯やクラシックな街灯に照らされた商店街、サカイ横丁に出る。
そこには無数の異種族が行き交い、これから益々の賑わいを見せるだろう。
ここは日本で人間でないモノ達が商売を行い生計を立てている場所である。
元々は収拾のつかない異種族問題の解決、観光客誘致、地域活性化など国が様々な狙いを持って生み出した場所であり初めはただの色物商店街だったようだが、今では多くの人間達も往来を行き来し地域に根付いた人気スポットとなっている。
かくいう私もここで暮らしている人間でないモノ、吸血鬼であり、ここへ訪れて既に五年ほど経っている。
異種族がここで住むには手に職をつけることが条件となっているが、この国に来てからBL、GL、NLなんでもござれの漫画家となった私は問題なくここで暮らしている。
細々と自費出版をしているだけの身ではあるが。
そんな訳で、私は土竜のような日々を送り適当に吸血鬼人生を過ごしているのである。
「そこのねぇちゃん、一杯やってくかい?」
突然声をかけられ、思わずギョッと身を固めてしまう。
どうやら、居酒屋のテラス席に座る客にロックオンされたようだ。
「ノーサンキュー」
手をひらひらさせ軽くあしらい早足でその場を去る。
このようなことは日常茶飯事で、耽美物語を創作し生計を立てている日陰モノの私には生き難い場所である。
しかし、ここは創作のための素材の宝庫でもある。
早速、どこからか一際騒がしい声が聞こえてくるので、その場所に脇目を振るとガチムチドワーフのおっさんと美しいエルフの青年が言い争いをしている。
ほらきた。
あのような光景を見るとすぐに二人が絡む妄想が脳内で繰り広げられる。
ドワーフとエルフのような美醜を掛け合わせるのは安直だと思われるかもしれないが、そこには確かに新雪を土足で汚すような心地よさが存在するのである。
しかし、そこにエロは必要ない。
昨今ではBLというものはエロのための手段に成り下がってしまったが、私が求めるものは生物の繁殖や社会の常識に抗い愛を叫ぶ姿なのだ。
BLをいや、全てのものを性欲で終わらせない、全てが愛の形の一つだと示すために、私はここにいる。
ああ、駄目だ。
このままだといつまでも耽てしまうので気持ちを切り替え目的地へ。
ここにはこのような誘惑がいくらでも存在するので創作する身としてはありがたいが一々立ち止まっていると埒があかない。
目的地はすぐそこだ、ささっと済ませよう。
そうしてたどり着いたのは商店街の通りに堂々と並ぶ血液販売所。
ここは様々な生き物の血液パックが販売されている場所である。
もちろん合法だ。
「いらっしゃい」
店内へ入ると店主のリザードマンから挨拶が飛んでくる。
私はここの常連のため彼とは顔見知りなのだが、こちらの性格を察して最低限の接客で済ませてもらっている。
そうして、冷んやりとした店内に並ぶ商品を眺めると、牛や豚などの動物からドラゴンや人魚の血など、安価なものから到底手が届きそうにないものまで幅広く揃えられている。
だが私が購入するものは始めから決まっている。
それは、人間の血である。
一口に人間と言ってもこれまた種類が豊富なのだが、菜食主義者の血液は癖がなく飲みやすく良し、基本的にはそれを選んでいる。
一週間分の食事を想定し、何袋か手に取り会計を済ませる。
「ありがとさん」
店主の声を背に店を出る。
あとはこのまま直帰するだけだが何やら通りが騒がしい。
「おい、今からここをあの御二方が通るらしいぞ」
隣から聞こえてきた会話を盗み聞く。
この商店街で御二方なんて呼ばれるのは、あの二人しかいない。
「来たぞ!」
ああ、まだ心の準備ができてないというのに。
身構える暇もなく、右と左から二つの集団が近づいてくる。
右手から来るのは白いスーツに身を包んだ妖怪集団。
そしてその中心には一際威光を放つ者が堂々と歩いている。
透き通るような白い長髪と肌に丸く赤い瞳を持つ長身の男性、その名も蛇郎太様だ。
名前から察する通り彼は蛇の神である。
対して左手からくるのは着物を着込んだモノノケ達。こちらも中心に異彩を放つ人物がいる。
金髪に浅黒い肌、切長の青い瞳と尖った狐耳に三本の尻尾。
彼は狐の神様、青狐青狐様である。
彼らはこの地域で力を持つ土着神であり、この商店街を運営している有名人だ。
蛇郎太さまは主に夜の店を、青狐様は観光向けの文化的な店を管轄しており、二人はここで絶大な権力を持っている。
そんな訳で、同じ場所でそれぞれの役割を担い仲睦まじく協力しているのではないかと思えるが、実際は水に濡れた犬と油まみれの猿くらい険悪な仲である。
商売敵であり互いに根っこから反りが合わないらしく、出会う度に喧嘩をしている有り様だ。
しかし、そんな光景も今では日常になっており、その動向は周りを賑わせる要因となっている。
私にとっても美麗なオスが言い争うだけで心の陰茎がイキり勃ち癒しとなっている。
思えば、あの御二方を参考にした作品で儲からせてもらったものだ。
さて、距離が縮まる彼らの動向に注意を向ける。
不意にブハッと鼻血が出るが、ティッシュで作った鼻栓は大量に常備しているので問題ない。
鼻の両穴に栓をグッと詰め引き続き様子を静かに見守る。
周りにいる皆も固唾を飲んでいるようだ。
そして、いざ一触即発と思いきや。
──まさかの、スルー。
互いに一瞥もくれずにそのまますれ違って行く。
今までとは違う光景に誰もが動揺を隠せず不穏な空気が流れ始める。
しかし、私の胸中には全く別の想いが向来していた。
これは、燃える。
言葉を交わさずに気持ちを溜め込む時間が長いほど、次に互いがぶつかる時は爆発しより燃え上がるというものだ。
ああ、創作意欲がムクムクと湧き上がってきた。
こうしちゃいられない、さっさと部屋に戻ってこの想いをぶちまけなければ頭が破裂してしまう。
そうして、私はどよめく群衆の中を跳ねるような気持ちで抜けていった。