6 一人目
「ねー聞いた?例の噂」
「聞いた聞いた!なんでも願いを叶えてくれるんでしょ?」
「お姉ちゃんの彼氏の友達がGBからメール来てー」
「GBマジ神でしょ」
うわさ。ウワサ。噂。
人の噂とはかくも甘美な調べを奏でるのか。
「くっ、はは」
歩きながら笑みが溢れる。
God bless……略してGB。こんな安直な名前が俺の代名詞として扱われ始めた時は憤ったものだが、今は呼び名などどうでもいい。
俺は神の代行者だ。それが世間でGBと呼ばれるのであれば、それを受け入れよう。
「最近五味センウザくねー?あーしこないだ尻触られたんだけどー」
「わかるー。なんかマジ勘違いおじさんて感じ」
ちょうど前を歩く女子高生2人組の声が聞こえてくる。
「あーGBが消してくれないかな」
「GB様!丘女学園のセクハラ教師五味貴彦に天罰与えてください!なんつってー」
「ウケる、ウチらあほじゃん」
「てかスタバ行こ」
徐々に遠ざかる女子高生の声を聞きつつ、俺は
携帯を取り出し、今しがた思いついた神託を打ち込んでいく。
いいだろう。その願い、叶えてやるよ。
アドレス欄は空欄のまま送信ボタンを押下する。
すぐさまメールは送信された。
暗い悦びが脳内麻薬と共に広がる。
悪は粛清する。
これはテレビのコメンテーターにも、ジャーナリストにも、首相や大統領にだってできない。
俺だけに与えられた特権。
この世には腐った人間が多すぎる。法で捌けぬのなら、俺が裁く。裁かねばならない。
「く、ふふ、ははは」
「キモ……」
「……」
振り返ると、大学生くらいの男がこちらを半笑いで見ながら歩いて行くところだった。
髪型はセンター分け、いかにも中身のなさそうな量産型のファッションだ。
神を侮辱する愚か者には天罰を。
「死ね……」
新しい神託を打ち込む。そして、それを自分宛に送信した。
瞬間、周囲にけたたましいほどの轟音と地響きが起きた。周辺で悲鳴が上がる。
改めて、後ろを振り返った。
5メートル後方の地面にむき出しの鉄骨が突き刺さっていた。地面との境は血飛沫で赤く染まっている。陥没した地面のアスファルトからは、鉄臭い不快な匂いが漏れ出していた。
さっきの男は鉄骨の下で無様な肉塊になっている。その間抜けな様子を想像して、笑いが込み上げてきた。
「そっちのがモテるぜ、クソ大学生」
*
『共犯者』となってから一週間が経った。
だが日常は全くといっていいほど変わりばえしない。唯一変わったことといえば、藤花が定期的に家にやってくることくらいだった。
警察は捜査中なのか?それとも、もう既に特定されているのか?
不安だけが募っていく。
玄関の扉がガチャリと開くと、間の抜けた声が聞こえた。
「あーかーりーさーん、きーまーしーたーよー!」
そう言いながら、両手いっぱいに段ボールを抱えた藤花が部屋に入ってきた。
可愛らしいベージュのダッフルコートを羽織り、背中にはランドセルを背負っている。
いそいそと部屋の中に入ってくると、持っていた段ボールを床に置き、ふーと息をついた。
「何だそれ」
「あ、気になりますぅ?気になっちゃいますぅ?」
そう言いながらずいずいと近づいてくる藤花の目は、獲物を見つけた子猫のようにキラキラとしていた。
俺は思わず目を背け、ぶっきらぼうに返事をしていた。
「いや、別に」
「うぇぇ!?聞いてくださいよー」
藤花はランドセルを放り出すと、ぐでー、と体を伸ばして俺のベッドの上に横になった。
今や俺のベッドは藤花専用になっていて、おかげで俺は毎日ソファで寝たり、床に布団を敷いたりして過ごしている。
「それより、今噂になってるGBって何者だ?願いを叶えてくれるらしいがもしかして……『予言メール』か?」
「あかりさん真面目ですねぇ。あんなの、呪いのチェーンメールとか、そういう類の与太話ですよ」
「お前が言うなよ……」
その与太話通りの力を藤花自身持っているというのに、小馬鹿にしたように藤花は笑った。
というか、呪いのチェーンメールなんて俺でさえ見たことないのだがこいつは何歳なんだ?
俺の些末な疑問を遮るように藤花は話を続ける。
「大体、メールを送るにはメールアドレスがいるじゃないですかぁ?でも今噂になってるGBって、どうやら違うっぽいんですよねー」
「どういうことだ?」
メールを送るにはメールアドレスがいる。今藤花の言った通り、送信元と、送信先の2種類がいるというのは、もはや知らない者はいないだろう。メールを送るためには相手のメールアドレスを知らなければいけない。言うまでもない常識だ。俺が疑問を口にすると、藤花はそれほどGBに興味がないのか、右手の爪をいじりながら言った。
「そのままの意味ですよ。GBはですね、メールアドレスを知らなくても、任意の相手にメールを送れるっぽいんです」
「……そんなの可能なのか?」
「さあー。まあ就活サイトとか、メールアドレスを集めているサイトをハックすれば可能だとは思いますけど……この話、まだ続けます?」
げんなりした表情で藤花がそう言う。
そんな表情をされては、話を続けるのも憚られる。自然と二人黙り込んだ。
かと思いきや、すぐに藤花が口を開いた。
「そんなに気になるなら、GB信者の立ち上げたサイトがあるんですけど……見ます?」
*
俺と藤花は膝を突き合わせて、ノートPCのスクリーンに向き合っていた。
目の前のスクリーンには、『神の代行者〜GB様の庭』という文字が踊っている。
トップページをスクロールしていくと、『本日のお願い』と題された掲示板があった。
「……なんだこれ」
それを見て、思わず俺はそう呟いていた。
掲示板には雑多な書き込みがされていたが、やはり何かを願う書き込みが多い。
一際目を引くのは……殺人を望む願いだった。
『旦那を殺してください』『教師の〇〇を殺してください』『母を殺してください』……etc
書き込みは200件を超えていた。実際に願いが叶った書き込みには、赤い丸がつけられるようで、殺人の願いの書き込みのいくつかにも、丸が付けられていた。人の剥き出しの本性を垣間見た気がして、俺はたまらず画面から目を逸らした。
「かわいそう、ですよね」
ぽつりと藤花がそう言った。俺が何も言えないまま横を見ると、藤花は感情のない無機質な視線をパソコンのスクリーンに注いでいた。しかし、俺が見ていることに気がつくと、パッとこちらを向いて、にこりと笑った。
「他にも沢山ありますけど見ます?」
「いや、いい……」
俺は自分でも驚くくらい低い声でそう言っていた。藤花は満面の笑みで頷くと、サイトを閉じる。そうしてすすす、とこちらに近づくと俺の肩にしなだれかかった。体温の高い体を押し付けられ、心臓がどきりと跳ねる。
俺は動悸を悟られぬよう、深呼吸をした。
「さっきのサイト、意味あるのか?」
「ま、実際願いを叶った人もいるみたいですし。GBとかいう人が見ていることは確かだと思います。全くメールアドレスを知らない相手に、どうやって予言メールを送るのかは、やっぱり見当もつきませんけどね」
ふう、と藤花も俺と同じように深呼吸をすると、そのまま目を閉じた。どうやらこのまま寝たいらしい。俺は胡座をかいた体制のまま、同じように目を閉じた。しかし頭の中ではぼんやりと思考を巡らせていた。
そして、ある可能性に行き当たる。
GBのカラクリ、もしかしたらそれは単純なことかもしれない。