5 二人目
早朝。公園内は騒然とした空気に包まれていた。警察車両が数台停車しており、中央付近に備え付けられたベンチエリア一帯は、ブルーシートによって覆われている。その中へ一人の若い警官が入っていった。そしてベンチの近くに屈んでいるみすぼらしい後ろ姿に声をかける。
「上方警部、死体の身元詳細分かりました」
「おう、ご苦労」
老年の刑事、上方は死体のそばから立ち上がり、思い出したかのように手を合わせた。
警官の中正もそれに倣い、手を合わせる。
二人の目の前には、胎児のように丸まり、苦悶の表情を浮かべながら虚空を見つめる男の変死体があった。状況から見て、昨晩死亡したと思われる。
周囲はブルーシートで囲われ、通行人からは見られないようになっているが、物々しい雰囲気に寄せられたのか、現場近くには野次馬がちらほらと集まっていた。
上方は死体と周囲の様子をみて、苦々しく笑った。
「死んでも死にきれないよこりゃ。で、身元は?」
そう問われ、中正は脇に抱えていた黒のバインダーを開くと中に挟んであったプリントに目を落とした。
「はい。死亡したのは馬場裕太。都内の大学に通う19歳の大学生です。昨晩は恋人と食事をとった後、足取りが途絶えています」
「大学生。で、死因は……先に聞いたんだがあんまり信じられなくてよ。何だったかね」
ガリガリと苛立たしげに白髪混じりの頭を掻く上方とは対照的に、生真面目な様子の中正は手元に持ったバインダーを一枚めくると、話を続けた。
「鑑識の見立てによれば、死因は脳血管の破裂による出血性ショックです」
「なるほどね」
どこかおどけた様子でそう言う上方に対し、感情を見せず中正はこくりと頷いた。
「俗に言うくも膜下出血です。勿論、正式に検査してみないと分かりませんが……」
「くも膜下出血ね……しかし外傷はない。つまり自然にできた動脈瘤が破裂したってことだろう?まだ若い大学生にそんなことあり得るかね」
「確率としては低いですが、あり得ない話ではないです」
そう言う中正もどこか釈然としない様子で、バインダーの書類を見つめていた。
上方は重いため息をついた。
「こないだの夫婦死亡事案は、二人とも心臓麻痺だったか?これだけ不審死が続くのは異常だろうが」
「警部は一連の不審死が"事件"だと、そうお考えなのですか?」
吐き捨てるように言葉を発した上方とは対照的に、やはり落ち着き払った様子で中正はそう問いかけた。
それに対して上方は口をへの字に曲げた。
「当然だ。これはまぎれもなく連続殺人事件だと俺は思っている。必ずホシをあげてやろうじゃねえかよ……上が何と言おうとな」
そう言いながら上方は、馬場の傍に無造作に置かれた携帯を取り上げた。
「ひとまず、こいつの解析を待とうじゃねえか」
*
「昨日のこと、ニュースにはなってませんね」
藤花はテレビのチャンネルをザッピングしながらそう言った。
「警察の皆さんがどう頑張ったところで、やはり不審死止まり。当然です」
ふふん、と得意げにそう胸を張る藤花を横目に、俺は吐き気でムカムカする胃と格闘していた。なぜこの女は平然としていられるんだ?
いつ警察が訪ねてくるかと俺はビクビクしているというのに、それすら馬鹿らしく思えてくる。
「あのお前が送ったメール、アレが警察に見つかればすぐさまマークされるぞ」
なんとなしに抱いた悪戯心から、そのように言ってみる。だが藤花は気にした様子もなく、淡々とそれに応えた。
「うーん、あれは捨てアドですから。それに、マークされるとしたら燈さんだと思いますよ?」
「はぁ!?なんでだよ!」
「だって、あの人が最後に接触した人数は限られてます。その中に燈さんもいますから」
藤花のにやけづらを見ながら、内心で歯噛みする。確かに言われてみればそうだ。馬場と最後に接したのは馬場の彼女、俺、一応バイト先の連中、それに藤花……だが藤花の存在は警察も掴んでいないはずだ。
しかも馬場の彼女には、俺が馬場と知り合いであったということが知られている。家に警察が来るのは時間の問題だ。
「……マズイじゃないかよ」
そんな言葉が唇から溢れる。
だがやはり藤花は気にした様子もなく、ただ携帯をぽちぽちといじっていた。
「まずくありませんってー、だって死因が脳血管の破裂ですよ?不審がったところで逮捕なんて出来ませんから」
俺のベッドに横になっていた藤花は、そう言いながら携帯を手放すと俺の首に手を回してくる。
「不安だったらメール、使いますぅ?」
耳元でぽしょぽしょと話されると、意思とは関係なく身体がぴくりと反応した。
身じろぎして、ベッドから少し距離を置く。
「……というかお前、何でまだいるんだよ……早く帰ってくれ……」
「えー、燈さん冷たくないですかぁ?どーせ今日の夜には正式に私の『共犯者』になるんだし、優しくしてくださいよ」
声や表情は確かに笑っているのに、瞳の奥だけが笑っていない。俺は思わず目を背けた。
「回答は保留してる……」
「ぶー、仕方ないですね……」
そう言うと藤花はピンクの携帯と荷物を持って、そそくさと部屋を出て行った。
「じゃ、また後で伺いますね♪燈さん」
にこやかにそう言う藤花を、半ばゲンナリした気分で見送る。
案外あっさりと引き下がったことは拍子抜けだったが、これでようやく今後のことについて冷静に考えることができる。
藤花のいなくなったベッドに改めて腰掛けると、微かな温もりが残っていた。
ベッドから降り、改めて椅子に座り直す。
『予言メール』、これが全ての問題の原因だ。
いまだ存在に懐疑的ではあるものの、アレがある限り藤花は無敵と言える。
ただ当然弱点もある。
例の制約だ。受信者がメールを見なければ、『予言メール』は効果を発しない。つまり、極論携帯やPCの電源を落としておけばいい。
そう考えつつ、俺はよく分からなくなった。
……そんな簡単なことでいいのか?
いや……例えば、第三者を介在してメール画面を無理矢理見せる、ということも出来る。
電源を落とすというのは一見効果的だが、反対にスマホ等のインターネットが使用できないという不便さを強いられることにもなる。
数分ほど考え込んだが、『予言メール』に対して部分的には効果的だと思える方法は思いついても、これといった攻略法は思いつかない。
そもそも、予言メールのこと自体を俺はよく知らない。
……『予言メール』も重要だが、藤花自体のことも考えるべきだろう。思考をリセットする意味でもそう思い、少し考え方を変える。
彼女と『共犯者』になるメリット……これについては簡単だ。『予言メール』の恩恵を受けることができる点。これに尽きる。
一方デメリットは、おそらく彼女によって俺の行動が制限されることだ。
それに、目的の分からない、得体の知れない小学生と関わること自体恐ろしいとさえ思う。
しかし、『共犯者』であることを受け入れなければ、『予言メール』を使用して無理矢理にでも洗脳される可能性もある。
「考えれば考えるほど厄介だな……」
と、独りごちたところでスマホの通知音が鳴った。
画面上に表示された時間は9時53分。藤花が部屋を出てから15分ほど経過していることに気がついた。
無意識のうちに画面の通知欄を見る。表示されたのはメールアプリの受信通知のようだった。
差出人はGod Bless……神の恵み……
まずいと思った瞬間には、すでに俺はメールの本文に目を通してしまっていた。
『9時55分、東堂燈は紫上藤花の共犯者になる』
頭の後ろからじわじわと何かが広がっていくような感覚。怖気が立つその感覚は一瞬で脳内の思考回路を書き換え、視界が一瞬白く染まった。
時計を見ると、長針がちょうど11にかかったところだった。
「あ、もう時間だったか」
藤花の来る時間だ。俺は玄関の扉の鍵を外し、マンションの廊下を見渡した。
と、扉横の壁に寄りかかっていた藤花がこちらを見て、嬉しそうに言った。
「あ、燈さん!もぉ遅いですよ」
「悪い、入ってくれ」
「ふふ、どうも♪」
にこにこと満足げに部屋へと入ってくる藤花を見て、俺も嬉しい気持ちになる。
「歓迎するよ、藤花」
例の答えは、すでに出ていた。
結局藤花とはこれから同棲するわけだし、受け入れないという選択肢はないだろう。
あくまで合理的な判断に基づいて、俺は藤花を受け入れることにした。
……なにかを掛け違えているような、そんな違和感を抱えつつも、俺は……俺たちはこの日、『共犯者』になった。
「そうそう。これ。私にはもう必要ありませんからあげますね」
そう言いながら、藤花から手に固いものを押し付けられる。
「なにを……」
見ると、ピンクの可愛らしい携帯だった。
確か藤花の持ち物で……予言メールを送ることのできる携帯だ。
動揺で取り落としそうになったが、何とか持ち直した。藤花の方を見ると、彼女はクスリとこちらを見て微笑んだ。
「……いや、お前これ」
「私、一個だけ嘘つきました。これ、私じゃなくても使えるんです。だから、あかりさんにあげますね。……多分必要になるでしょうし」
「必要になる……?」
「復讐、しないんですか」
真っ直ぐ澄んだ瞳に見すくめられ、身が固まった。藤花はただ、俺のために問うてくれているのだと、考えずとも分かった。
理不尽で、救いがなくて、真面目に生きるのが馬鹿らしくなるような、こんな世界で。
ただ、俺のちっぽけな自尊心と、欺瞞に満ちた復讐欲を満たさんとしてくれている彼女は、救世主であり、そして無責任な神だった。
……そんな目で、俺を見ないでくれ……。
俺は気付けば固く携帯を握りしめていた。
覚悟はまだ決まっていないけれど、逃げることができないということだけは決まっていた。
「……やるに……決まってるだろ」
「あは……それでこそあかりさんです」
藤花はそう言うと、息を呑むほど妖艶に微笑んだのだった。
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