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3 君が見た光、僕が出会う現実



「……」


結局家に着いてから、眠りにつくことが出来たのは、午前4時半を回ってからだった。

起きてみると、時刻は11時。今日は大学もバイトもない休日とはいえ、1日の半分を損した気分だ。

起きたからといって特段することもないのだが。いつも通り、郷愁にも自嘲にも似た感覚に浸る。ゆっくりと自分の輪郭が溶け出して、世界から流れ出していく、そんな感覚。それを感じながらぼんやりと天井の木目を目でなぞる。

そうしていると、自然と思考は昨日の出来事へと傾いていった。


駅で出会った小学生、見たところ五年生くらいだろうか。大人びていて、顔のつくりも整っていた。更に大人にも物怖じしない胆力も兼ね備えているとあれば、クラスカーストの中でも一軍に属しているに違いない。


「……よっぽど、俺よりいい人生を送るだろうな」


ついそんな独り言が口から漏れた。

と、同時に強い羞恥心を覚え、布団に顔から突っ込む。

名前すら知らないが、そんな『強い』小学生に大学生である自分が、二度も助けられた挙句、捨て台詞を吐いて退散した。

弱者を救う強者の姿。結構なことだ、ヒーローじゃないか。

ああ恥ずかしくて死にそうだ。なんて、惨めで、どうしようもないのか。


「……飯でも食うか……」


まだ覚醒しない身体を無理矢理に引きずりながら、洗面台に向かう。

顔を冷水に浸すと、意識が冴え渡っていくのを感じた。だが常に気怠さだけは身体にまとわりついていた。


「クソ……」


そのままダウンジャケットを羽織り、外に出る。

たまには昼から外食も良いだろう……チェーン店とかで。そう考えながら、部屋の扉を勢いよく開けた。が、何かにぶつかったのか鈍い音を立てて扉がビタリと止まる。

ゴンッ!


「あたっ!」


……は?


誰か……いる?

ゆっくり扉を開けて、その向こうを覗き込んだ。


「痛い……あ、おはようございます」


扉の向こうには、仰向けにひっくり返った、昨日の小学生がいた。



「なんか狭いですね」


落ち着かない様子で部屋を見回す彼女に、何故か分からないが少しの苛立ちと恐怖を覚えた。そもそもこいつ、なんで俺の名前を知っているんだ?


なし崩しに部屋にあげてしまったが、今は平日の真っ昼間。つまり普通の小学生は、学校で授業を受けている時間だ。

つまり、彼女は学校を休んでまで昨日出会った男の家を訪ねてきたのだ。しかもどうやって特定したのかについても分からない。


「それ飲んだら帰れ」

「え?」


彼女はお茶の入ったコップを持ったまま、一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、次の瞬間には満面の笑みに変わっていた。


「帰りませんよ?」

「……は?」


背筋がぞくりとした。

粘りつくような視線。凍りつくような声色。異様な胆力。それらが目の前の小学生から発せられていることが、まるで信じられない。

たじろぐ俺をせせら笑うかのように、彼女は首を傾げた。そして、何かに納得したように頷いた。


「あー!自己紹介、まだでしたよね!わたしは、紫上藤花です!小6です!」

「そんなことは聞いてない」

「?」


今度こそ、年相応に幼さの残る藤花の顔に不思議そうな表情が浮かんだ。


「では何がききたいんです?燈さん」

「お前……なんなんだ……」


絞り出すようにして出した声は、ひどく震えていた。怖い。目の前のこの小学生に、根源的な恐怖を覚えているのが自分ではっきりと分かった。何で俺の名前、知ってるんだ?

紫上藤花と名乗った少女はただそこに在るだけで、先ほどまで感じなかった異様な違和感があった。


「ただの小学生ですよ」

「ただの小学生は見知らぬ大学生の名前と住所を特定するなんて出来ない」

「幸せにするって、言ったじゃないですか」


鉄面皮のような笑顔を崩さない彼女を見て、この場から一層離れたくなる。


「早く帰ってくれ」

「いいんですか?私を帰したらきっと後悔しますよ」

「どう後悔する?小学生一人と知り合ったところで俺の生活は変わらないさ」


そうだ、こんな欺瞞に満ちた子供なぞいらない。俺は……落伍者なのだ。敗者として残りの人生を歩むほかないのだ。もう逆転の道なんて、ないんだ。俺が自虐に満ちた思考に浸っていると、紫上藤花がぽつりと呟いた。


「……佐藤茜」


俺は一瞬呼吸ができなくなった。

俺が諦めたもの。その一つ。

紫上藤花はいつの間にか座っている俺の顔を覗き込むようにして、そばに立っていた。


「許せないでしょ?あの男。自分が欲しかったものを呆気なく攫って、そしていともたやすく捨てた、あの馬場という男。……許せますかあ?」

「……許すも何もない。社会が許すなら復讐でもなんでもやってやるさ。だがな、この社会では正義を語った人間ほど損をするんだ。それに馬場は罪を犯した訳じゃない」


そうだ。どうしようもない。気に食わない人間を殴るのは簡単だ。だがその制裁は必ず受けなければならない。

どれだけ精神を殺されたとしても、復讐として、本当に殺すことだけは許されない。

これから抜け出す方法は二つ。自分も腐るか、諦めるだけだ。

無力感が俺を包み込んでいる。そうか、この泥のような日常に漂っていたのは諦観か。

ふと紫上藤花を見やると、俺はギョッとした。彼女は紅潮した頬を両の手で抱きながら、恍惚とした表情を浮かべていた。

そうして言った。


「では、殺しましょうか。あの男」



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