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きらめく水面に、思い出は棲む  作者: 卯月ゆう
第2章 二度目の青春
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8.将来やりたいこと

 そろそろ7月が終わりそう。

 太陽が真上から照らし出す時間帯、遠くでは蝉時雨が聞こえている。学校のプールではそんな音色に負けず劣らずの声が響いていた。

「いい感じだね、じゃあもう一本だけ泳いでみようか」

 これで今日は何本泳いだだろう。いつもなら疲れてしまいそうなのに、高揚した気持ちのまま、もっと試してみたかった。

 だから、構わず泳ごうとしたところだった。

「ほら、そろそろ上がらないと。休憩しないとだめだって言ったよねー」

 すいが両手を腰につけてこちらに向けて声を飛ばす。

 彼女がコーチになってくれるおかげで短期間でいろいろ学ぶことができた。

 実際、潜るときに気を付けることがたくさんあるし、ひとりだったらけのびすらやろうとしなかった。

「けのびの距離は伸びている気がするんだよね」

「そうだねえ、これからきちんと泳げるようになるよ」

 いつか25メートル泳げるよ。

 その言葉は希望的観測かもしれないけれど、今自分が目標としていることだ。バタ足だけでもいいから、最後まで泳ぎ切りたい。

「今日の湊くんはよくがんばってるね。でも、無茶しちゃだめだからね」

 そうですね、ごめんなさい。

「ふふ、そういうきみを見てるの好きだな」

 ......好き?

 顔を赤くしたすいはわかりやすく身振り手振りで慌てていた。

「あ、わたしったら......。ちょっと恥ずかしいからナシ、これ以上聞いちゃだめだからね」

 照れくさいのを感じさせながら、すいは体育座りのままプールの方を見つめる。

「......でもね、最近のきみっていい顔してるなって」

 朱色に染まるすいの頬を微かに揺れる水面が照らしていた。

「ねえ、湊くんさ。将来やりたいことってあるのかな?」

 たしかにそんな時期になっている。

 新学期を迎えたら進路に向けた学年集会が行われ、終業式の日に行われたホームルームで先生はちょっとした興味でも構わないからオープンキャンパスに行くと良いと言っていた。

 村上だったらアニメの専門学校とか行くのだろうと想像できるけれど、僕は何をしたいのだろう。まだなにも実感が湧かなかった。

「でも、慌てることないよ。湊くんはなんでもできるから、不自由ないもんね」

 あ、でも体育はだめか。すいはそう言いつつくすくすと笑っている。たしかにそれはそうだけど、言わないでほしい。

「でもさ、わたし思うんだよね」

 何のことだろう、僕の瞳はしっかりとすいの顔を見つめた。

「きみがやりたいことに水泳は関わってこないよ。それだけは自信もって言える。それもそうだし、本当は体育なんて好きになる必要なんてないんだ」

 何を言いたいんだろう、すいの姿に引き込まれそうだった。彼女はプールサイドを見つめたまま答える。

「わたし、今になって解るんだよ。子どもでも身体を動かすことは楽しいはずなんだ、そこに成績をつけるからおかしいだけでさ。でも、授業に意味が無いわけじゃない。自分で楽しさを見つけられないと意味がなくなっちゃうから」

 ......きみは、今やっている水泳の授業が楽しい? こう聞かれた気がして、僕は力強く頷いた。

「よかった、ありがとう」

 すいはこちらを見つめながら微笑んでくる。

 授業というものは、先生と生徒が作る。だからこそ、どうしても生徒は受け身の立場になってしまう。聞くだけ手を動かすだけの授業だけでは何が楽しいのだろうと思ってしまうかもしれない。

 でも、その考えを変えるのは自分自身。楽しいところを積極的につかんでいけないといけない。

 すいはすでに見つけていたんだ。素晴らしい意見を述べる彼女の姿が恍惚なもののようにきらめいていた。

「そうだ、すいがやりたいことってあるのかな」

「わたしは......」

 すいが口を開いたところだった。


 そこに、プールに向けて階段を上ってくる足音が聞こえる。

 入ってくるなり自分のことをまるで幽霊でも見ているような表情をして見つめたのは、クラスメイトの西原(にしはら)だった。

「......成瀬くん、なにしてるの?」

 プールに勝手に入っているのは自分が悪さをしていることだし、かといって成績の為だし。

 どう説明しようか悩んでいると、彼女がひとり会話を紡いだ。

「私はちょっとだけ泳ごうかなって。だって私エースだから、先生たちにも顔が利くんだ」

 西原はこの学校のマーメイドと言われる、水泳部の主将だ。

 大会新記録を記録できるかもしれないと期待されているのは、まったく水泳をやらない自分にも届いている。

 そんな彼女と一緒に居るのは邪魔になりそう。もうすでに肩身が狭い。

 しぶしぶプールから撤退しようとする。そんな自分に視線を注ぐ西原は、そのまま勝手に納得した答えを導きだした。

「そっか、お忍びなんだね」

 先生に見つかっちゃだめよ。そう言いつつもきちんと口角を上げて安心する提案をしてくれる。

「ま。何かあったら、私の連れで話を通してあげるから。安心して練習しなさい」

 そう言って西原は軽く準備運動をするだけで泳ぎだした。

 彼女の姿を本当にマーメイドのように思えてしまって、つい見とれてしまった。

「......なに?」

 泳ぐのを止めた彼女はまたこちらを向いている。ゴーグルを外しながら言うことは、

「そうだ、ちょっと泳いでみてよ」

 言われるがまま、つい先日覚えたままのバタ足をしてみせる。

 その泳ぎ方に西原はため息をついていた。

「まったく、誰にその教わったのかなあ」

 問い詰められた形になって、すいに教えてもらったと正直に言った。

「すいって、すいちゃん?」

 西原は目を丸くしている。しばらく固まっていたが、そうなんだねと告げてくれた。

 その口調は親が子供の話に合わせるよう。僕には意味がまったく理解できなかった......。

「それにしても、バタ足のバの字もなってないわ。せめて手は伸ばすだけじゃなくて両手を合わせてさ」

「両手を合わせるって、例えば旅館で両手をついて迎える感じ?」

 首をかしげながらも西原は答えてくれる。

「まあ、きみが理解できるならなんでも良いんだけど。手をそろえるってことは、水流が大きく生まれることなんだよ。水流、それは"ストリーム"ってことなの。まるで一本の木になったような感覚を身につけようよ」

 なるほど。

「あとね。足は足全体をやわらかく曲げるの、膝を伸ばしたら足の甲で水をキャッチするの。あと、膝と足首を伸ばしたまま水を蹴るんだけど......」

 実際やってみようか。そう西原に言われて、プールの縁に戻る。

 突然はじまった出来事に、すいはいつの間にか消えてしまった。

 

  ・・・

 

 すいはいつの間にか自分の前から姿を消した。

 去年の夏休みに、たった一日に。だれにも何も言わないで。

 心を穿つ出来事。クラスのみんなは次第に馴染んでいったと思うけれど、自分は頭の理解を拒絶してしまった。

 その理由も、彼女が何も思っていたのかも。僕からは手の届かないところに行ってしまう。まさしく空に浮かぶ星の光のよう。いや、光っていても誰も気づかないのかもしれない。

 スマホに残されたメッセージはひとつだけ。

 ――"湊くん"。

 

 たった、これだけだった。

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