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きらめく水面に、思い出は棲む  作者: 卯月ゆう
第2章 二度目の青春
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7.いつか捨てた恋

 今日もひとしきり体を動したあと、少し休憩をとることにした。

 プールサイドに上がって、スポーツドリンクを流し込むように飲んだ。けっこう喉が渇いていたみたいだ。

「すいは、なにか飲まなくてだいじょうぶなの?」

「うん、だいじょうぶだよ」

 そういえばすいはプールサイドに上がっても自分みたいに飲み物を飲んでいなかった。別に本人が飲まないというなら構わないけれど、なんだか気になってしまう。

 前にもあったから。すいは、風邪ひいていたのに無理して学校に登校して、周りに心配されてすぐに帰宅してしまったこともあった。

 それだからか、彼女ににだいじょうぶだよと言われても、なんだか不安になってしまう。

 それでも、しぶしぶ納得するしかなかった。

 自分の心配をよそに、すいは勢いよく立ち上がった。

 

 けのびはいずれの泳法でも基礎となる、スタートライン的な位置づけだ。まさしく蹴って伸びること。それがどの競技でも活かされる。

「そうだね、今までは小さな村を転々としているのかもしれない。だから、これからは魔王の城に入るみたいなレベルアップが必要なんだよ」

 すいは右腕を掲げる。彼女の例えは、RPGのゲームをあまりやってこなかった僕にはピンと来なかった。けれども、ここから先は重要なことが教えられるのだ、ということはわかった。

「バタ足でもクロールでも、最初はけのびからはじまるよ」

 レーンの壁際に立ったすいはまず見本を見せてくれた。

 腕を前に伸ばすように立ち、その腕を水中に沈めながら両足で壁を蹴りこむ。そのまま体をそろえて伸ばせばある程度まで距離を進むことができる。

「じゃあ湊くんもやってみようか」

 彼女に続いて自分もレーンに立った。

 思いっきり壁を蹴りこんだ。そのまま手足を伸ばそうとする。

 けれども、すいがやってみせたように前には進まず数メートルも進んだかわからなかった。

「ああー、最初はこんな感じだよね」

 目の前のコーチは初心者だからねと軽く頷いている。

「これからだよ、練習すればできるようになるって。今は全然できない湊くんでもさ」

 そしてこちらに見せるように体の前にガッツポーズを作ってみせる。

 本人には悪気がないとは思っているだろうが、たまにショックになる一言を放ってくる。さすがに落ち込んでしまうから止めてほしい。

「これから、きみはドルフィンです」

「......は?」

 急なことを言われてよくわからない。けれども、彼女なりのたとえは、僕のチャレンジ精神を高める大切な一言だ。

「ほら、水族館のイルカってジャンプしてから深く入水するでしょ。けのびで腕を伸ばす時も同じでさ、下へ向けて沈めていく感じだよ」

 さっき引っ張って浮いた時も水面を見てたでしょ、となるほど思い出せる説明だ。

「まあ。やってみようか。体が慣れてしまった方が良いかもしれないね」

 すいに促されて、改めてレーンに立つ。

 意識して腕を水の中につけて、続けて体を滑らせるように入水した。

 壁を蹴る動作に違いがあったどうかはわからなかったものの、結果として少し先へ進むことができた。

 なるほどと感心する。自分にもできるんだなって。


「よし、じゃあわたしもやろうっと!」

 すいは威勢のいい声を上げると、自分の横のレーンに並んだ。彼女はこちらに顔を向けながら腕を肩からぐるぐると回している。

「どっちが遠くまで伸びるか競争しようよ」

 なるほど、それは楽しいアイディア。

 これが村上だったら、アイスの一本でも賭けて勝負したくなるものだ。でも、純粋な気持ちで臨んでみたい。もちろん相手がすいだから。

「よーいドン!」

 すいの掛け声とともに水中に潜り込む。

 でも、そこそこの距離しか進まなくて、あっという間に起き上がってしまった。

 頭ひとつぶん先で顔を出したすいが、こちらを向いてにこにこ微笑んでいる。

 けのびを覚えだしたばかりだから難しいのかもしれないけれど、正直残念な気持ちだった。

 しかしながら、もう一回勝負しても結果は同じでしかない。

「じゃあ、最後にもうひとつだけ勝負といこうか!」

 負けるわけにはいかない。そうだ、今の自分はドルフィンなんだ......。

 息を大きく吸い込んで、腕を伸ばして。

 顔は言われたとおりに水中をのぞき込んだ。いや、もっと首自体を下げよう。自分の体が見えるかもしれない。そんな視線を作りながら体勢を整えていった。

「ぷはっ!」

 ふたりはほぼ同時に顔を出した。

 自分の方が長く進んだわけでもなかったが、その距離はとても近くほぼ互角といっても良いくらいだった。

「湊くんやるじゃん! 次はわたしの方がもっと伸びるんだからね」

 などと言い出した張本人が仕返しを食らって頬を赤らめていた。


 ・・・


「ついに本番となりました! バタ足をしてみよう!」

 すいはまるでハッピーバースデーの歌を歌うように、わーっと拍手をした。

 自分もつられてパチパチ手を合わせる。しかしながら、いざ泳ぐとなると緊張してしまう。

「まずは湊くんやってみて。けのびで進まなくなってきたら、足を動かすようにするんだ」

 言われた通り、見よう見まねでけのびからバタ足をはじめてみる。

 けれでも、水をどれだけ蹴ってもほとんど前には進まなかった。

「なるほど、わかったわ」

 すいに止められて少し練習を止めると、まずはいったん上がろうと諭された。

 プールサイドの縁に座ってみる。

「ちょっとわたしが足の動きをやってみるから見ててね。こうやって、足全体を動かすんだ」

 すいが足の動きを見せてくれる。それは膝から曲げるのではなく、足全体を一本の棒のように、太ももの付け根から動かしていた。

「そうだね、しならせるようにって本では表現されているよ。でも、わたしがやってみて思うのは、人魚の尾っぽのようかもしれないなって」

 なるほど、人魚みたいかもしれないか。すいならではの意見だと思うし、前に彼女がプールの中を泳いでいるのを見たことがあったが尾をこまめに動かしていたっけ。


 ここで、僕は我に返った。

 すいが人魚姫の姿になるのは、自分のこの目でしっかり見た。そのせいかもしれないが、彼女のことには慣れてしまった。

 一度いなくなったすいと、こうして再会しているから。

 もしかしたら、僕は絵本の世界に飛び込んでしまったと思うから。

「ほらほら、どんどん泳ごうよ」

 すいから声をかけられてもその思考から抜け出せない。仕方ないまま僕はレーンの壁際に戻っていく。

 

 異変が起きたのは、バタ足を何本も続けて泳いだときだった。

 ふと、右足に痛みが走りつってしまう。

 

 慌ててしまった僕は何をすればいいかもわからず、無我夢中で手足を動かすしかなかった。

 いつのまにか、すぐ目の前に水面が映っていた。

「いけない!」

 視界の縁で、異変を察知したすいがこちらにやってくるのが見える。

 辺りは光に包まれて、何が起きたかわからなかった。


 ・・・


 気が付いたら、すいの顔がすぐ目の前にあった。

「だいじょうぶ?」

 そうやって、上目遣いにすいがのぞき込んでいる。

 彼女の瞳はうるんでいて、心配する雰囲気がありありと浮かんでいる。

「え......。僕はどうしたの?」

「湊くん急に溺れちゃったから、わたしが止めに入ったんだよ」

 今、すいに抱きしめられて浮かんでいる。いつの間にか彼女は人魚姫の姿に変身していた。

「......人魚の姿になるとはやく水の中を動けるから、間に合ってよかった。水飲んでないみたいだね、苦しい?」

 彼女の問いに首を横に振って答える。

「今浮いているから、まだじっとしてて......」

 ......全身の力を抜いて。体を動かすと、すぐ沈んじゃうから。

 すいはそう語りながら、自分の背中をさすってくれる。お互い水に濡れて冷たいはずなのに、触れている肌は不思議と温かった。その体は、その手は。自分の心も温めてくれる。

「うう、よかったあ」

 次第にうるんでいる瞳から雫が零れ落ちる。すいは流れている涙を止めようともせず、自分の体に顔をうずめた。

「......なんで泣くの、僕は無事だったよ」

「......無事だからに決まっているからじゃない」

 きみが泣かないからじゃない、そう小さくつぶやいていた。

 

 すいはいつも自分の目の前にいた。

 よく休み時間とか話していて、タイミングが合えば一緒に帰ったりしていて。それでいて授業のプリントは自分が良く教えていた。

 当たり障りのない日常が、僕たちの間柄だったのに。

 

 今、すいにすべてを任せていた。そばにいてほしいと思った。

 

 はじめて、自分の心が鳴った音がした。

 いつか捨てた恋がまた目覚めようとしていた。

 

 すいの正体が何者かなんてどうでも良いと思った。

 ここに来れば出会える訳だし、その幼い感じのする声をいつだって聞くことができる。

 それに、人魚姫の姿になるのだってアニメのように、願いが結晶となっている証拠なのかもしれない。

 きっと、そうだ。僕たちは二度目の青春を謳歌している。

 

 ふたりはしばらくそのまま水面に浮かんでいた......。

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