第3話 捜索1日目 進捗は
「――…なので、今後ダウシュッド領は葡萄の生産に力を入れて行くようです。税収は去年から2割免除になっているので、それを引き続き維持したまま、隣接する複数の領地に物資の援助を求めている状態です」
昼前の定時報告の時間、ここ数年不作が続いていた領地に関して、以前ライナス皇子が気になっていることがあると言っていたので、それについて軽く報告する。
「…続いて、東のノーメリア国からの使節団を歓迎するパーティーですが、王都に到着するまでの宿泊と歓迎を、我が帝国の最東に位置するティティ辺境伯領の小伯爵殿から、ティティ領で引き受けるとの申し出が入っております。ティティ領に任せるのであれば、城からも数名の文官を派遣と、ノーメリアの文化について詳しい者を指導員兼通訳として一時雇用する許可が欲しいとのことです」
「…そうか、ダウシュッドに関しては、今後原因調査の報告は月に一度程度に減らして構わない。だが、遣わしている者からの報告書は、一応週に一度は届けておいてくれ。…ノーメリア国と言えば、トゥラッド卿の御子息に1人詳しい者がいたな。トゥラッド卿も常々経験を積ませたいと言っていたから適任ではないか?それから文官は第二部署から、他にも俺付きの侍女を二名ほど向かわせるとしよう。彼女たちは行事に関して経験が多いから、何かと役に立てるだろう」
「かしこまりました。そのように手配しておきます」
アルノルは、ライナスからの”お願い”を受けてから1日経って、少しずつ落ち着きを取り戻してはいるものの、終始顔を伏せて書類から目を離さないでいた。
「午後には、3の刻から、第3王妃殿下と第4皇女殿下、第7皇女殿下とのお茶会が、エメラルド宮殿の薔薇庭園で予定されています。事前に手配なさった贈り物は、既に担当のメイドに預けられているので、1度ご自身でご確認ください。そして、5の刻からは先日決められた3つの商会から、会長合わせて6名が第7応接室に来訪される予定です。市民議会からも嘆願書が届いているので、その後にご確認ください。…では、お先に昼休憩失礼します」
1度も顔を上げないまま退室していこうとするアルノルを、ライナスは慌てて引き止める。
「あ、アルノル、…その、進捗はどうだ?」
既に背中を向けていたアルノルは、ゆっくりともう1度身体をライナスのいる方に向け、今度は胡乱げな表情でライナスの顔を見た。
「…主語が抜けておりますが」
「ああ、…昨日頼んだ件なのだが」
アルノルは不敬と知りながらも、慣れたように呆れた表情を向ける。
「まだ1日も経ってませんが、あれだけの情報量で、これだけの広大な王都の中、ある程度の年齢、性別、その時に王都に滞在していた、という条件があるにせよ、その条件に当て嵌まる者が、何百、何千といる中、たったこれだけの時間で探し出せると考えていらっしゃったとは、その過分なご評価、光栄の極みでございますね」
一息に全部言い切ったアルノルに、ライナスは反射で謝った。
「す、すまない。そういうわけでは…ただ少し気になっただけだ。…通常業務もあるだろうしな、アルノルのペースで無理なくやってくれ」
基本他人には塩対応を貫くアルノルとて、そう素直に謝られては、この純粋な生き物に強気に出たことを少しばかりは後ろめたく感じる。
「…まあ、人探しは私の専門ではないので、最低でも2ヶ月は頂きます」
しかし、軽率に民間の探偵業者にでも頼めばいいなどとは言えない。
探し人の正体がアルノルである以上、本気で探させて見つかるわけには行かないのだ。
「勿論だ」
計画としては、今後、2ヶ月、4ヶ月、半年、と延ばせるだけ延ばしていって、その間にでもライナスの気持ちが冷めるか、考え直すのを待つことが1番だと考えている。
下手に代役などを立てて、こう見えてもわりと情報の信頼性に関しては抜かりがない殿下に勘付かれてしまえば、それこそバレてしまう可能性が上がる。
「…では、失礼します」
もう一度礼をして、今度こそライナスの執務室を退室した。
◇ ◇
皇族専用の様々な部屋が並ぶ区域を抜け、比較的身分の高い者が集まる食堂も通り過ぎ、あまり人数の集まらない静かな食堂へ向かう。
アルノルは、仕事の時間以外でも身分や関係性での駆け引きをするのが面倒なので、その高級食堂は使わないだけなのだが、まあ周りからは変人を見る目で見られることが多い。本人は何ら気にしないが。
「…てか、お前エリーナ嬢とは最近どうなんだよ」
「ったく、分かって聞いてんだろ、相変わらず脈なしだよ」
昼時だからか、業務時間は人通りの少ない騎士区域の通路からも、所々会話が聞こえてくる。
「ははっ、まあ、美人だしなぁ…。エリーナ嬢はライナス皇子狙いなんだっけか?寝室担当のメイドだからチャンスも多いだろうな」
「ああ~、やっぱり色々やってんのかな?皇族だと、そこらへん何でも許されるもんな~」
「何もないってことは無いだろ。ここだけの話、第4皇女殿下の近衛騎士だって、何人か関係持ってるって聞いたぞ」
「エリーナちゃんとか!?」
「…皇女殿下とだよ」
「まじか!?」
どうやら下世話な内容だったようだ。アルノルは他人のそういった話に微塵も興味が無いので、心底耳を塞ぎたいと顔を顰めるが、アルノルが彼らの横を通り過ぎたタイミングで、彼らも同じ方向に歩き出したようで、一定の距離感で、変わらず会話が聞こえてくる。
しかし、内容の中でライナスの名前も出てきたので、一応話に耳を傾けておいた。
「あ~あ、皇族だと選び放題で羨ましいな…」
「皇族以前に、俺達じゃ顔の作りから負けてるけどな」
「…でも、顔以外なら負けてないだろ?…ライナス殿下なんて、特に剣だって嗜む程度だし、人柄は有名でも、どうせ皇族なんて裏じゃ遊びまくってんだろ。それでも、俺のほうがエリーナちゃんをベッドで満足させてやれるけどな」
「劣るのは血だけだってか」
「そら、そーよ」
アルノルは、話の方向性がどんどんと良くない方に行っているな、と眉間にシワを寄せる。
「血は血でも、ライナス殿下はアタラの血筋だったな」
「え、うわぁ…、アタラの王族ってライナス殿下だったのか…。だったら評判の人柄だって信用できねぇな」
アタラとは、ライナスの曾祖母の血筋の事だ。アタラ族は、珍しい紫の瞳と、銀糸のような髪を持つことから、古くからこの国で人身売買や奴隷として酷い扱いを受けてきた。
王族の血筋に卑しいはずの血が混ざっているのは、王室の権威のために隠匿すべきことと、脳味噌のついている者は口をつぐんできていたのだが、何処にでも馬鹿はいる。
既に奴隷制度は撤廃され、アタラ族は滅びていても、特に上流階級の者の中には、未だに差別意識の拭えぬ者が多くいた。
「おい、お前たち」
アルノルにしては珍しく、考えるよりも先に体が動き、後ろを歩いていた男たちに向かって詰め寄っていた。
「え、?」
「…?」
男たちはアルノルのことを知らないようで、返答に迷っている様子を見せる。
「所属を言え」
アルノルとて、彼らの顔など見覚えもないが、役職の高い者であれば例外なく面識があるし、ここ最近に階級が動いたという報告もない。騎士団の制服からも、半端貴族が多く集まるウィザロ騎士団であることは判別がつくが、この分別の無さだと、恐らく勤めて2年以下の新人だろうと予測する。
「第3皇子殿下の側近の顔くらい知っておくといい。…もう一度聞いてやる、所属を言え」
ライナスの側近、癖のない亜麻色の髪、冷たい表情、これらの条件から、すぐに噂になりがちなアルノルの身分に気づいたようだ。
アルノルはこの国で最も歴史の古い、ナバラ侯爵家の直系子息。
公爵家どころか、皇家にすら劣らない影響力を持つナバラ家の男の前で失言をしてしまったことに今頃気付いた2人は、顔を青くして姿勢を正す。
「は、はい!…所属はウィザロ騎士団、第2部隊の5班、12席であります!」
「私は同じくウィザロ騎士団、第2部隊の7班、8席であります!」
冷や汗を流しながら敬礼を崩さない二人に、アルノルは変わらず冷たい視線で上から下まで観察した後、鼻を鳴らして侮蔑の表情を向ける。
「…5班の12と7班の8、ニコラウス=アドゲイに、グレドル=レディセルか」
「「…は、はい!」」
名前を知られていた驚きに、更に2人の顔が青くなる。
「引き止められた理由は分かるな」
「…我々が、不適切な内容の会話をしておりました!」
「…皇室騎士団にあるまじき失言を致しました!」
聞かれていたので誤魔化すこともなく素直に返答する2人の騎士の顔から、アルノルはただただ目をそらさずに言葉を発する。
「そうだ。…助言だが、せめて城の中だけでも口は慎むと良い。誰が何処で聞いているとも限らんし、その聞いた誰かがうっかり剣を抜くかもしれん」
そう言ってアルノルは、手の届く位置にある騎士の剣の柄に、自身の細い手をかけた。カチャ、と小さく剣が金属音を立て、2人が息を呑むのが見えた後、そっと体と一緒に手を離す。
先程の会話であったように、嗜む程度の剣の腕しか無かろうと、この立場や血筋がその首を落とすことができるのだ。静かな殺気の込もった瞳で彼らを射抜いてそれを分からせる。
「「申し訳ございませんでした!」」
もはや顔色が青を通り越して白くなってきているが、アルノルの静かな怒りはそれで収められるほど軽くもない。
「今後お前たちから、もしくはお前たちの周りから同じような会話が聞こえてきたら、その時は覚悟しておけ。顔は覚えたからな」
「「はっ!」」
「…それと、使える頭の無いらしい半端騎士共に訂正を入れてやる。殿下はお前らなどより余程帝国のために尽くしておられる。ただでさえ御多忙なのだから、そこらの令嬢に現を抜かしている暇などなし、その容姿ですら勝てんお前らなどに劣ることはない」
流石にライナスとて人間だ。剣で本職の騎士に勝つことなど出来ないであろうし、学者と比べればその知識にも穴はあるだろう。しかし、こんなド低脳共に劣るところなど片手で収まる程度であろうし、頭脳、社交術、話術、努力、人望、人脈、etc...総合すればライナスはどこに出しても恥ずかしくない優れた男だと、胸を張って断言できる。
こう見えてもアルノルは、ライナスを側で長く見てきた者として、モンペのように、他人が想像する数百倍はライナスのことを評価している。アルノルの前でのライナスに関する失言は、わりと面倒くさい事態に発展することも少なくなかったのだ。
それからアルノルは、先に「アタラ」の単語を発した横の男に視線を向けた。
「レディセル、お前は娘が2人いるな」
「…は、…?…はい」
視線を向けられた男は、自身の娘の存在まで知られていたことと、この場で娘の話題を出される意図が分からず疑問形になる。
「…お前の娘たちがランカンの花嫁になる日が来ないように祈っておこう」
ランカンとは、ここ最近市井で流行している劇の演目の1つに出てくる動物の名で、狼に似た、人間と交配する凶暴な生物だ。作中では、闇市の余興の1つとして、奴隷の若い女たちがランカンの交配相手として両手両足を縛られたまま、広い檻の中で観客に見られる中で交配するという残酷な”ランカンの花嫁”と呼ばれるシーンがある。
作中では、その会場にいた者全てが余すことなく魔女に惨殺されるという終わり方をするが、描写ではフードから覗く紫の瞳が印象的なため、アタラ族の復讐だという解釈が一般的だ。
この国の民のほとんどは、それがフィクションだと疑っていないのだろうが、まだ奴隷制度の残る、南の小国では、それは未だ実際に存在する文化。
アルノル自身、ここでこんな脅し方をすればライナスの名を貶めてしまうという事は重々承知の上だが、それだけ目の前の男たちに苛立っていたし、“ランカンの花嫁になる日が来ないように祈っておこう”という台詞は、貴族の間では有名な脅し文句なので、彼らが貴族としてある程度の教育は受けていたと仮定するならば、これが脅しの内容としてはある程度効力を持つと判断した。
まあ、ライナスはこのような些事で怒りを抱いたりはしないだろうから問題はないだろうと結論付ける。
絶対零度の眼差しを突きつける男から脅迫されたその男は、娘が外国で性奴隷にでも落とされると取ったのか、足を子鹿のように震わせていた。
それを見てアルノルは少し溜飲が下がり、男たちから興味を無くしたように視線を外す。
「もう行け」
「「…はっ!」」
そそくさと早足で姿を消していく男たちを一瞥もしないまま、アルノルは昼食の時間が削れてしまったことに苛立ちを感じ、元々向かっていた方向に足を進めた。