第12話 まずは1ヶ月分、取り敢えず報告
「ーー殿下は、お探しの人物が見つかった後はどうされるおつもりなのですか」
ライナスに例の頼みを持ちかけられた一ヶ月後。
捜索を形だけでも進めておかなければと三百人ほどに絞って条件に合う名前を書き連ねた名簿を差し出しつつ、アルノルはつい疑問を口に出した。
ライナスは逸る気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと名簿を受け取り、首を傾げて聞き返す。
「見つかった後?」
「はい」
この翌日には、城で第五皇女の成人を記念する舞踏会が予定されている。
しかし表向きの理由に加えて、裏でひっそりと広まっているもう一つの噂があった。
”この舞踏会は第三皇子殿下の婚約者候補選定も兼ねられている”
公に発表された情報ではないが、現在実際に重鎮たちの間でその話が出ていることも事実。年頃の娘を持つ家はみなピリピリと緊張感を高めて今回の舞踏会に向けて準備を進めている状態だった。
つまりは近々ライナスにも婚約者があてがわれるということ。
正体不明の惚れた男の捜索を一人の側近に任せてのんびりと構えていられるような状況でもなくなってきている。
アルノルは「タイムリミットが近いのでは」とは声に出さないまま、殿下はこの状況に対してどう考えているのだろうと静かな目を向けた。
あの衝動的な恋情がとっくに冷めて、もう冷静になっていてくれるのが一番助かるのだが、と頭の中で呟いた。
「…そうだな、まずは惚れたのだと伝えて。…しかし彼にはもう決まった相手がいる可能性もあるし、俺はまだ彼のことを何も知らないからな」
ふむ、と考えるように顎に手をやってライナスが黙考する。
「…この立場で無理矢理に気持ちを押し付けるということはしたくない。俺の身分を明かす前に仲を深めることができるのが一番だが、それは難しいだろうな」
あの仮面舞踏会は、それなりの身分の者でないと入場もできない場所だ。つまり、あの場に居たと言うことは蓋然的に貴族家の子息であり、ならば皇族であるライナスのことは前提知識として教育されているだろう。
しかし、とライナスは目の前に立ってこちらを眺めているアルノルに視線をやった。
思い返してみれば、彼はその”例外”だった。仕える皇族の顔や名前を知らなかった貴族子息というなんとも希少な存在がわりと近くに存在していたのだったと思い出す。
「何です?」
訝って眉間に皺を寄せつつ首を傾げるアルノルに、ライナスは口の中で小さく笑いながら首を横に振った。
「いや、何でもない」
アルノルはそんなライナスの様子に更に皺を深め、少し冷静になってから自分はこれ以上この話を聞くべきではないと思い至って、会話を打ち切るように「そうですか」と短く答えて他部署に回す分の書類を束ねてから抱える。
しかし、もう既に背を向けたアルノルから退出を悟ったライナスが、続けて言葉を放つ。
「…そちらは、新たな婚約者の話などは出ているのか?」
首だけで振り返ったアルノルは、大して関心もなさそうに視線を上にやって思い出すように答える。
「さあ、破棄からまだ日も浅いので時間は置くかもしれませんし。まあ、選定くらいは進んでいるのかもしれません。最低限は常識的な人間であることを祈るばかりですね」
「あー…」
ライナスも使用人との間に子供を作ったという例の元婚約者を思い出しつつ、次の婚約者になる令嬢は、せめて彼女よりもマシな人格を持っている人であって欲しいとは思う。
アルノルは、結婚が決まれば自分も夫としての役割を果たすつもりではあるのだが、そうなると仮面舞踏会への参加や乱れた交友関係を続けることはできなくなるので憂鬱な気持ちではあった。
「どちらにせよ、殿下の方が先に決まりそうですね」
視線を合わせずそう言い放ち、それに対する言葉が返ってくる前に装飾の華美なドアノブを捻って扉を開き、綺麗な所作で一礼する。
「それでは、私はこれで失礼します。本日もお疲れ様でございました」
明日の舞踏会で、ライナスの婚約の話が進展する。
ならば、この微妙な空気で逃げ出したい状況にも、良いものであれ悪いものであれ、変化が出てくるはずだ。
この意図せず殿下の心を射止めてしまった案件がどういう決着のつき方に終わるのか、想像もつかないので不安ばかりが脳内を駆け巡るが、取り敢えずは明日に期待してみようと思う。
正直に言うなら、もう考えるのが面倒くさくなった。
最近では、まあ、良い具合になんとかなるんじゃないか、と謎の自信さえ顔を覗かせてくるのだから不思議なものだ。
(…今日は屋敷に帰ったら、風呂入ってそのまま寝たいんだよなぁ)
とは思うものの、明日の舞踏会の参列者の資料を読み込んだり、衣装や皇女殿下への贈り物、同行させる使用人の最終確認をしたりと、帰宅後の予定は結構ぎっちりと入っているのでそれを実現させるのは難しいのだろう、と目を閉じて夜のひんやりとした空気を吸い込んだ。