第10話 愛してるゲームと好物 ③
(愛してるゲーム②の後です)
緑溢れる庭園に囲まれた白亜の回廊の中、相変わらず愛嬌のかけらもない仏頂面を浮かべたアルノルは、美貌の皇子の横に並んで会話もなく歩いている。
一貴族として、仕えるべき血筋の方の横に並んで歩くなど、と最初のうちは断りを入れていたのだが、あまりにもしつこいライナスに辟易として、最近ではもう特に視線も気にせず黙って横を歩くようになっていた。
故に仏頂面。
眉間にシワを寄せることもないが、明らかにこの状況が不満だと伝わる表情を浮かべている。
この態度こそ無礼極まりない、と軋轢のある家門の貴族からはここぞとばかりに揚げ足を取られそうなものだが、当のやんごとなき身分である美丈夫は、普段とさして変わらぬ無表情なのに感情を伝えられるとは器用なものだ、などと呑気に笑っていた。
「…なあ」
数分ほど無言で歩き、囀る小鳥に目をやっていたライナスが急に声をあげた。
アルノルは、訊き返す代わりに視線を向けて目で続きを促す。
「…先程の令嬢は恋人なのか?」
何でも無い風を装ってはいるものの、何故か質問の中に意を決したような響きが含まれている。
「は?…ですから、先程の”愛している”という言葉はただのゲームであって、特別な間柄というわけではありません。ハンナとは血の繋がりはありませんが従兄妹ですので」
なんだそんな質問か、と呆れた目で返答してしまう。
「…そうか」
しかし、ライナスはその返答を聞いて頷くものの、何かが喉に詰まっているような顔をしていた。
まだ何か気になったことがあるのだろうか。アルノルは気が進まない自分を奮い立たせて訊き返す。
「何か気になったことでも?」
だがライナス自身、自分が何を訊きたいのか、まだ頭の中で言語化できていないようで、思案するように再び小鳥に視線を流している。
「……あー、何て言うかだな、…言葉に随分と熱が籠もっているように見えたんだが。そんなにあのサンドイッチは美味なのか?」
アルノルは、ライナスの言わんとすることがわかり、微妙な表情を浮かべながら首肯する。
「ええ、食べるために恥を耐え忍んであんなゲームに興じる程度には美味ですよ。…殿下もお召し上がりになるのなら手配いたしますが」
「……ふーん、…随分と演技派なんだな。…じゃあ、明日の昼にでも食べてみるとしようか。」
一応は納得したのか、殿下は戯れる小鳥たちから視線を外し、再び前を向いて歩き出す。
その様子を横目に視界に入れながら、アルノルは何となく言葉を続けるために口を開いた。
「………それに、…私は”愛してる”だなんて台詞は使いません」
誰かに聞かせるために吐かれたものではないボソッとこぼされた言葉に、しかし隣を歩いているライナスはきちんと拾って訊き返す。
「恋人にか?…理由を聞いても?」
ライナスは、余分な会話を嫌がるアルノルが言葉を続けたことが意外だという表情を隠しもせずに、アルノルに一度視線を向け、再度外してから問いかけた。
「…別に、私のちんけな偏見ですが、”愛している”という言葉の価値に甚だ疑問を抱いているだけです」
「言葉の価値?」
ライナスは片眉をあげてどういう意味かと鸚鵡返しをする。
「そもそも、愛というものを理解するには私はまだ未熟者ですが、親愛や友愛、敬愛に限らず、恋愛として真に深く情を抱いている人間がいることは理解しています。…しかしそんなものは少数で、”愛している”という言葉を使う人間の大概が、嘘くさい恋愛詐欺師や三流以下の吟遊詩人でしょう。…出会って1日の相手にすら愛してると吐ける世の中です。無分別に多用されすぎている言葉には相応の価値しか残っていないように感じる、というだけの私の感想ですので、別に他所は他所で好きに使えばいいと思いますが」
アルノルは左に視線を流し、分かったような分からないような、と曖昧に脳内で反芻している殿下を尻目に見つつ要約した。
「…仮にいつか、私にも大切に思える人間ができるの
ならば、使い古された言葉を引用するよりも、存分に言葉を尽くしたい、ということです」
まあ、そんな人間ができるとは思えませんが、と続けながらアルノルは口元を歪める。自分自身、物事を穿った見方をしてばかりの捻くれ者だという自覚がある。普段はここまで自らの恥にもなりうる部分を人に語って聞かせるような性格ではないが、相手が学生時代からの既知の人物だからか、うっかり口が緩んでしまった。
「なるほどな、言葉の価値か…盲点だった」
形の良い指を顎に当て、ふむふむと頷いて見せるライナスにアルノルが顔を向ける。
「…変に捻くれている男だとよく言われます。…再三言いますが、これは私個人の勝手な感想ですので、殿下の未来の妃殿下には存分に愛を囁かれることをおすすめしますよ。女性はこういった言葉を好まれますし、否定的な言葉で無いのなら、言わないよりコミュニケーションを取ろうとすることのほうが大切です」
今までは婚約話とは縁遠かったライナスにも、そろそろそういった話が出始めてくる頃だろう。いくら皇位を継承する可能性が薄めであるとはいえ、皇族夫婦の円満は国家の安泰に繋がる。アルノルは、ライナスから頼まれている、「例の男を探し出す」という任務にこっそり牽制を混ぜる意図で付け加えた。
「……未来の皇子妃は置いておいて。…別に、捻くれているとは思わない。貴方は怒るだろうが、存外ロマンチストなんだな、と思った」
「は?」
ロマンチスト…、と復唱してアルノルは固まる。
アルノルが彼の想い人の存在を知ってもなお婚約者選考の話題に触れたことへの意趣返しか、ライナスはしてやったりとばかりに広角をあげて笑っていた。
「ふは、…それは初めて言われました」
アルノル自身、予想外の返答が返ってきたので、柄にもなくくつくつと笑ってしまう。
盛大な嫌味と仏頂面が返ってくると思っていたライナスは、怒られるばかりか笑い出したアルノルに思わず視線を奪われた。
「………そちらは、…婚約者殿とはどうなんだ?」
愛、婚約者、コミュニケーション、といった単語が出てきたので、話題を変える目的も含めて、訊くなら今だろうと訪ねてみる。仲良くしているのか、という質問が続きそうになったが、その言葉はライナスにとって重かったようで、喉の奥からは出てこなかった。
「ドルシア家の令嬢のことでしたら、二ヶ月程前に婚約は破断になっておりますが」
「聞いてないぞ!?」
アルノルは鼻で笑って、知らなかったのか。まあ言ってないが、という言葉を飲み込む。
「これはドルシア家側の失態が理由ですので、あまり社交界でも噂は広がっていないようですね」
「何があったんだ?…一度顔を合わせた時の印象では、大分悋気の強い令嬢だったと記憶しているが…」
1年ほど前、年に一度の建国祭パーティーが城で開かれていた際に、件の令嬢をエスコートしたアルノルと鉢合わせて会話を交わしたことがある。
ライナスの第一印象では、彼女は"癖の強い人”というイメージが強く、大人しそうな素朴な顔立ちとは対照的に、気が強く、思い込みの激しいタイプなのだろうと察せられたのが記憶に新しい。
何より、皇族のライナスにまで警戒心を剥き出しにして、アルノルを渡すまいと牽制を緩めない程にアルノルに入れ込んでいた彼女が、そう簡単に婚約の破棄に応じるとは思えなかった。
「…使用人との間に子が出来たようで」
想像の斜め上を行くアルノルの返答に、ライナスは思わず瞠目するが、他人事のように無関心な姿勢を崩さない目の前の男の様子に、傷付いてはいないようで安心したような、心配になるような、複雑な心境を抱く。
「……何て言うか、…意外だな」
絞り出した反応は、何の捻りもなく、慰めにもならないそんな言葉。
しかし、アルノルはそれにさえ大した悪感情を抱く様子もなく、無表情のまま前を向いて歩き続ける。
実際、アルノル自身は元婚約者の令嬢に対して何の感情も持ち合わせていない。
令嬢曰く、使用人と身体を重ねていたのはアルノルの気を引くためだったらしいのだが、その理由でさえ信憑性は怪しいし、そんな理由など自分の知ったことではないというのが正直な感想であり、彼女も成人した大人である以上、自分の行動に伴う責任は自分で負わなければならないのだ。
自業自得だ、と頭の中で結論付け、この背景まではライナスに報告する必要はないだろうと言葉を切る。
自分は性欲だけを解消できるものが最善と割り切って生きているのだが、横の美丈夫も含め、恋だ愛だと恋愛事に勤しんでおきながら苦しんでいる者達を見ていると、やはり自分には向いていないという感想しか沸かない。
「…恋愛は御免だな」
小さな声で漏らした呟きは、今度はライナスには聴き取れていなかったようで、不思議そうな色を浮かべた黄金色の瞳と目が合った。