38才 某日
「ワイバーンの撃退依頼ですか…」
煌びやかな調度品がこれでもかと置かれた伯爵の屋敷の応接室にて、ふんだんに砂糖を使った焼き菓子と濃い紅茶を振る舞われながら、私は依頼主の言葉を反復するように呟いた。
「そうだ。やつは我が領内に最近現れるようになったのだ。生憎、我が精鋭たちは戦場に駆り出されており対処に手が回らん。ここはひとつ、貴様のところに依頼を出し、これを追い払ってもらいたいのだ」
伯爵はボストロールのような体を、これまた嫌味なくらい豪奢なソファに沈め、尊大な態度で私に言った。
「討伐報酬は金貨50枚だ。貴様のギルドのような中堅どころには破格の依頼料だろう。早急にクエストを完了させろ。早ければ早い方がよい」
上質な紙に依頼内容を記入し、これを私に投げるように渡してきた。
不快な態度をとる男だが、字の美しさから育ちの良さを感じさせる。
依頼料:金貨50枚
討伐対象:ワイバーン
場所:グラナダ伯爵領
完遂期限:8月末日
違約金:金貨5枚
私はこの内容を確認し、紅茶に口をつけた後に伯爵に向き直った。
「この内容では当ギルドでは受諾出来かねますね。他のギルドに当たってみるのがよろしいかと。
老婆心ながら、他ギルドでもこの条件で受諾することはないということを進言しておきましょう。
もし他ギルドで受け付けられ、クエストが完遂されるようであればそれはそれでよし。もしそうでないようであれば、再度ご連絡いただければ改めてお伺いいたします。そして当ギルドであれば確実にワイバーン撃退をなせることを、お伝えしておきましょう」
私はそう伯爵に告げて席を立った。
好条件を提示し私が飛びつくと思っていたであろう伯爵は、青筋をたてながら私を一瞥し、側近に私を見送るよう伝えた。
一応貴族位である事と、王国認可のギルドマスターである事から、不敬だと言って私に手荒な真似は出来ない。私をこの場で処断したら自身の身が危うくなる事くらい、政治に長けた貴族なら分かることであるし、私もそうしないことを分かっている。
商談では相手の立場に立つことが肝要なのだ。
帰りの馬車の中で、今回の依頼の問題点を整理する。
まず依頼料の金貨50枚…私の前世の通貨である日本円にしておおよそ500万円くらいの価値だろうか。
こちらの世界では1年何もせずとも遊んで暮らせるくらいの額だが、ワイバーン討伐クエストの割にはまったく合わない。
飛行モンスターの討伐は1人ではほぼ完遂出来ないため、私の目算ではおおよそ10人の冒険者がパーティを組んで挑むことになる。
そしてギルドへの依頼料から冒険者へのクエスト報酬が支払われる。今回の場合は金貨50枚の中から冒険者が依頼を受諾し完遂してもらえるような額をギルドで設定しなければならない。
冒険者の報酬は依頼料の70%で私は設定している。
今回の場合は冒険者へ35枚、ギルドの取り分が15枚だ。
35枚を10人で分けて1人頭3.5枚。
35万円で命をかけるものは、ランクアップを夢見る実力不足の若者か、本当に無欲で世のため人の為に働く強者しかいない。
うちのギルドに後者はいないので、将来有望な人材をみすみす失うだけとなってしまう。
依頼料もそうだが、完遂期限もいただけない。
今が6月なので約3ヶ月。
完遂期限が短ければ短いほど、適材適所に人材を派遣出来る可能性が低くなる。
つまり今回の依頼は、依頼料も完遂期限も現実に即していない、依頼主の都合のみ反映されたクソクエストなのだ。
…だがしかし、伯爵は近いうちに私に連絡をよこし、再商談の場を設けるだろう。
そう確信しながら、現代の車とは比較にならないくらい揺れる場所の中で軽く目を閉じた。
伯爵との商談から3週間後、私は再度この嫌味ったらしい応接室にいた。
伯爵はどこか落ち着かない、ソワソワした様子でソファに座っている。弱味を見せまいと、以前と同じように尊大な態度だが、どこか私の機嫌を伺うような雰囲気を感じる。
「貴様の言う通り、どこのギルドも腰抜けばかりだ。依頼料を上げてみたが、どこも戦力不足を理由に断りおった。癪ではあるが、再度貴様に機会を与えようと思ってな」
そう言いながら伯爵は、私と会う前に用意していたのであろう依頼用紙を私に渡してきた。以前のように投げるようではなく、今回はちゃんと手渡しだ。
依頼料:白金貨2枚
討伐対象:ワイバーン
場所:グラナダ伯爵領
完遂期限:8月末日
違約金:金貨20枚
白金貨は金貨100枚と同じ価値だ。
つまり前回の4倍の依頼料を提示してきた。
どこのギルドでも断られ、ある程度ワイバーン撃退の相場を理解したのであろう。
伯爵は、すぐさま依頼を受諾すると思っていたようだが、私は依頼用紙を伯爵に返しながら
「申し訳ありませんが、この条件では今回も受諾出来ません」
伯爵の目を真っ直ぐ見据えて伝えた。
伯爵は泡を飛ばしながら
「白金貨2枚だぞ!?これでも受諾出来んというのか!?」
と、掴みかかる勢いで捲し立てた。
私は、自分で言うのもなんだが形のいい筋の通った鼻の頭を指で触りながら、伯爵に伝えた。
「では腹を割って話しましょう。
…まず、ワイバーンの撃退には高ランクの冒険者が10人は必要です。加えて期限が8月末。伯爵は領内の収穫期までにはなんとしても討伐したいのでしょう。
ワイバーンが領内にいては、安心して収穫期を迎えることが出来ないでしょうからね。当然この状況に領民たちからも不満の声が上がっているはずです」
私は紅茶に口をつけ一息おいた。
「つまり当ギルドは今から2ヶ月あまりで高ランク冒険者の募集とワイバーンの撃退を成し遂げなければなりません。
ここで、高ランク冒険者がワイバーンの撃退をいくらの報酬で受けるかを考えます。
金ランク冒険者への討伐依頼の相場は金貨20枚。命を賭して挑む彼等への報酬としては妥当な額です。
さらに期限付きとなると難易度が跳ね上がるため、30枚。当ギルドでは金ランク以上が10名おりますが、ほとんどが別の依頼に出ているため、他のギルドに通う冒険者に声をかけなければなりません。
わざわざ遠方の依頼を受けるのであれば、うまみがなければ彼らは飛びつかない。
移動費や宿泊費など込みで金貨50枚が妥当でしょうね。
金貨50枚の10人分。ここから逆算して依頼料は白金貨7枚と金貨20枚で受諾しましょう」
「白金貨7枚だと!?そんな額出せるか!!」
さっきまではほんの少しだけ私の顔色を伺っていた伯爵だったが、想像以上の高額を提示されてテーブルをバンと叩きながら立ち上がった。カップの中の紅茶が跳ねて、私の頬にかかる。
しかし私はそんな事をお構いなしに続けた。
「これが当ギルドの、【依頼を確実に完遂できる】依頼料です。額が額なので、後日のお返事でも結構ですよ。ワイバーンのせいで失うかもしれない税収と比べれば、安いとは思いますが…」
私は顎まで垂れてきた紅茶の雫をぬぐいながら立ち上がった。
「それでは、ご依頼お待ちしております。ご依頼用紙を当ギルドにご郵送いただくだけで結構です」
そう言って、私は応接間を後にした。
伯爵はソファに座った状態で頭を抱えながら、じっと自分のつま先を見ていた。
5日後、伯爵より正式な依頼状が届いた。依頼料は白金貨7枚と金貨20枚。ここまでは全てが目算通りに事が進んでいる。
万一断られる可能性もあったので、他ギルドの冒険者にはこれからリクルート活動を行う予定だ。
しかし、うちのギルドの高ランク冒険者にはあらかじめ予定を空けておくことを伝えていた。
「ケイン、ロビン!案の定、伯爵が依頼してきてくれたよ!
ワイバーン撃退で報酬は金貨50枚。期間は8月末まで。支度にかかる経費はギルドが持つ。
君らならこなせると思うが、参加してくれないか?」
ギルドの集会場のテーブルで酒を飲んでいた男が振り向く。
「お!やっぱショウの言ってた通りになったか!今回も俺に任せておけよ!」
分厚い鋼鉄製の鎧に身を包んだケインが笑う。
鎧は傷だらけだがよく手入れされており、胸当てには獅子の紋章が刻まれている。
暗めの色の鎧とは相対的に、短く刈り込んだ金髪が爽やかな印象を与える偉丈夫だ。
「僕、ワイバーン討伐は苦手なんだけどなぁ。あれは火属性が通りにくいし…」
ケインの横でちびちびと酒を飲んでいた、黒染めのローブに身を包んだ赤髪の男がため息をつきながら両手を頭の後ろに組んだ。知的な雰囲気のある男だが、私と同い年だと言うのにも関わらずどこかあどけなさを残している。
「リーダーはケインに任せる。10人集まったらクエスト開始だ。これから私は他の地域の冒険者に声をかけに行ってくる。私が留守の間は頼んだよ、ユウナ」
ギルドの看板娘兼ギルドマスター補佐に呼びかける。
ユウナは私に顔を上げてウインクを返し、再びデスクの上の書類を処理していった。