それからのこと、これからのこと
ガン・アンド・ロジック、これにて完結です。
市立桜華高校。その特別教室棟の一角を、スーツ姿の女性が早足で歩いていた。
夕焼けが校舎を照らす時分に、漏れ出す人工の光を見つけ、女性は図書室の扉を開く。
「ほらー、今日は職員会議あるから図書室閉めるよー……って、その本!」
女性は驚きの声を上げて、一人読書中だった男子生徒に詰め寄る。ここが静寂を守る図書室であることを、気にも留めていないようだった。
「先生、図書室なんですから静かにしてください」
「あ、ごめんごめん! このことは、どうか他の先生には内密に……」
両手を合わせ、軽く頭を下げる女性の様が、生徒に注意される教師という不甲斐ない構図を引き立てていた。
「それで、この本がどうかしたんですか?」
閉じられた本――ハードカバーの表紙には、『万葉の騒乱 桜を巡る人と魔女の物語』と記されている。
刊行されてから五年経った今でも、万葉という土地が桜への信仰に篤いことは、自他共に認めるところだ。この物語が、果たして嘘か真か。現実と虚構の境目にあるような冒険譚は、万葉に住まう人以外の心も掴んだという。
「日吉はさ、この話が本当にあったことだと思う?」
日吉と呼ばれた男子生徒は、思案するような素振りを見せる。やがて、固まった意見を伝えるべく口を開いた。
「……僕は、実際にあったことを脚色して物語にしてると思います」
「その心は?」
「まず、魔女という存在が胡散臭すぎます。こんなのが現実にいたら、もっと世界は混乱してたはずです。きっと、何か大悪を成した人間を魔女と呼称することで、冒険譚の側面を強めたんですよ」
「うんうん……」
次第に熱を帯びる日吉の話を聞いて、女性は頷くばかりだ。優しく緩められた目元が、自分ではなく本に向けられていることに、日吉は気付いていない。
表紙に沿わせた指先が作者の名前で静止すると、女性は呟くように口にする。
「そうだね、魔女なんて胡散臭いもん」
「先生は、どう思ってるんですか?」
まさかのカウンターに、女性は目を丸くする。
彼女にとって、この物語、魔女の真偽は揺らがないものだった。それでも、改めて問われると簡単に答えは出なかった。
日吉の言う通り、今を生きる人々からすれば魔女という存在は空想の産物だ。もちろん、特異な人間が用いることができた異能も。
全てが終わり、歴史は風化していくのだろう。当人たちを置き去りにして、人の記憶は先へと進んでしまう。
だが、物語であれば。こうして手に取った人々の記憶にも刻まれるのだ。そして、手に取る度に思い出し、その記憶は再び色を取り戻す。
旧知の魔女が、なぜ物語を愛しているのか。その理由の一端を、女性は知れたような気がした。
「アタシは、全部本当だと思ってる。だって、格好いいじゃん? こんな風に戦った人たちが、アタシたちの今を作ったならさ」
その答えに日吉が言葉を返そうとすると、開け放たれたままの扉がノックされる。
「深山先生、会議の時間ですよ」
呆れ混じりの声色でそう言うのは、黒い短髪の男性。鋭い視線が女性――日奈を捉えると、げんなりとした反応が返ってくる。
「げっ、佐野先生……」
「人の顔を見て『げっ』はないだろ」
「じゃあ、図書室閉めるから日吉もとっとと帰りな」
「はい」
「俺の話を聞け!」
日吉は、抗議に出た男性――圭太の脇をそそくさと通り抜ける。
それを見送り、改めて圭太は日奈に声をかける。
「ほら、行くぞ。遅刻なんかしたら、大内先生にどやされる」
「分かってるって! 言っとくけど、先生になってからアタシ一回も遅刻してないからね?」
その言葉に嘘はなく、生徒としての日奈を知る校内の教師陣は、着任後一ヶ月は同姓同名だと疑っていたほどだ。
図書室の窓から見える、満開の桜。夏の暑さにも負けず猛々しく咲くそれに背を向け、日奈は圭太と連れ立って歩き出した。
◇
日奈が家に帰ったのは、橙の空が藍に染まる頃だった。玄関にある靴を見て、日奈は同居人の帰宅を察する。
「ただいまー」
しかし、その声に返事はない。
手を洗い、うがいを済ませ、仏壇の母親に手を合わせてもなお、声一つ聞こえてこない。堪らず、日奈はズカズカと廊下を進み、部屋の扉を勢いよく開ける。
「た・だ・い・ま!」
「……あ、おはえり」
アイスを頬張る怜の佇まいは変わらない。上下黒のスウェットに、サイドテーブルに置かれたカップアイス。空けられた容器の少なさだけが、唯一の違いだろうか。
「またこんな暗い部屋で……あれ? それうちの職員室じゃない?」
日奈は部屋に足を踏み入れ、馴染み深くなった室内が映し出されたモニターに近づく。
無人かと思われた職員室に、一つの怪しい影。キョロキョロと挙動不審な行動を取る姿が、しっかりと記録されている。
「この間、修学旅行用の積立金がなくなったって騒ぎになってたでしょ? この人が、その犯人」
「あー、あの夕飯で愚痴ったやつ調べてくれてたんだ。さっすが怜、頼りになるね」
無反応にも見えた怜の耳元が赤みを帯びていると、日奈は目敏く発見する。とはいえ、それを指摘しては機嫌を損ねるだけなので、見ない振りをした。
そして、校内のカメラをハッキングしていること自体が違法だということにも、この際目をつぶることにした。
(教育者としては、どうかと思うけどね……)
だが、怜がこの力を悪事に使わないことは日奈が一番知っている。あくまで、生徒を脅かす悪を打倒するためだ。
教師として、生徒の未来を守るのも仕事のうちなのだ。
「これ……小松先生か……。なんか噂では聞いてたんだよね、最近羽振りが良くなったって」
「盗んだくせに、全然隠そうとしてないじゃん」
「でしょ? アタシだったら、絶対誰にも言わないでこっそり使うよ」
得意気に言う日奈を、怜が睨む。まさか、という意図を感じ取った日奈は、大慌てで弁明する。
「違う違う! アタシはやってないけど、もしもって話しだから!」
「はぁ……分かってるよ。日奈は、自分のために誰かを苦しめたりしないって」
微笑む怜に、日奈は照れ臭くて頬を掻いてしまう。その爪に、以前のようなネイルチップは付いていない。
艶が施された透明なネイルが、社会人としての日奈の装備だった。
「んじゃ、早速作戦会議といこうか! 生徒を脅かす悪は、アタシが倒してやんよ!」
立場も敵も変わったが、日奈のやることは変わらない。自分が守りたいものを守るため、戦い続けるのだ。
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