Case04.桜の魔女#13
「……アタシたちを子ども扱いするには、ちょっと嫌な目に遭わせすぎかも」
日奈が呟いたのは、間違いなく本音だった。桜の魔女が、万葉という土地に大きな貢献をしたことは理解できる。だから、そこで生活する日奈たちを『子ども』だと形容したのだろう。あるいは、異能を与えた自分の手先という意味なのか。いずれにしても、子不幸な親であると断言できた。
桜の魔女ということは、すなわち市原の恋人であった智恵理だということ。隕石に巻き込まれた二十代の頃から、外見上は時が止まっているように見えた。
桜の魔女の澄んだ黒い瞳は、こちらを見つめている。肩まで伸ばされた茶の髪を耳にかけると、先ほどとは違う、快活な笑みを浮かべた。
「なーんて! 久しぶりのお客さんだから、つい張り切っちゃった! ねね、一緒にお茶しない?」
そう言って、桜の魔女は日奈たちを手招きする。これが新年度の、相手が初対面の担任教師であれば、日奈も気を抜いてお茶会に参戦したかもしれない。だが、ここはヤエザクラの前で、相手は因縁の桜の魔女だ。そう簡単に警戒を解けるはずがない。
「どうする、深山?」
「お茶するかは置いといて、とりあえず社長たちの安全を確かめないと」
「もう二人のお客さんなら、きちんと地上まで運んだよ。片方は魔女だったから、びっくりしちゃった。いや、正確に言うなら眷属なのかな……」
考え込む仕草にも、どこか愛らしさを感じてしまいそうになる。
以前、幸は言っていた。智恵理は誰にでも優しくて、自分にはお手本のような女性だったと。彼女が桜の魔女でなければ、日奈もそう思える気がした。
友好的な態度を取ってくれているのなら、こっちから険悪にする必要はない。それで桜の魔女の真意が聞けるなら、日奈としてはここまで来た甲斐があるというものだ。
(念のため、怜にも確認取ろっかな)
「怜、社長たちがどこにいるか分かる?」
しかし、通信機は僅かなノイズを鳴らすだけで、求めていた声を響かせることはなかった。
「あれ? 壊れちゃったかな……こんな大事な時なのに……」
「ここはね、私が管理する特別な領域なの。だ・か・ら、ここじゃ外部とは通信できません!」
腕を交差させる桜の魔女は、なぜか機嫌が良さそうだ。滲み出る雰囲気は、外見以上に幼く映る。
「じゃあ教えてくれる? 社長たちがどこにいるのか」
「んー、どこって言われてもな……。二人には、あなたたちが下りてくる前に会ったんだけどね。その社長さんっていうのがどっちかは分からないけど、男の人の方が顔真っ青にしてどっか行っちゃったの。魔女さんは、その付添いかな?」
「社長……男の人は、なんか言ってなかった?」
市原であれば、桜の魔女を見て即座に正体に気付くはずだ。そして、気付いたなら声をかけるはず。それなのに、桜の魔女はまだ市原のことを知らないでいる。日奈にはそれが疑問だった。
「えーっと、私を見て誰かと勘違いしてたみたいなんだよね。目が合った瞬間、『智恵理!』って言って近づいてくるから、怖くて思わず『智恵理って誰ですか?』って聞いちゃったもん。そしたら、どっか行っちゃった」
「嘘だろ……」
圭太の狼狽は、日奈の気持ちを代弁していた。信じられない。ありえない。どう表現していいかも分からない。
桜の魔女は、覚えていなかった。かつての自分を、智恵理という自己を。
一体、何が智恵理の記憶を薄れさせたのだろう。魔女になったばかりの時、市原に血の魔女の殺害を懇願した時、たしかに桜の魔女には人間だった頃の記憶があったはずだ。そうでなければ、諸悪の根源に憎悪を抱くことはない。それどころか、異能者という存在を生み出すこともなかった。
日奈は直感した。桜の魔女の記憶は、何かの要因で失われてしまったのだと。
「智恵理さんって人のこと、何も知らないの?」
「あなたたちも変ね。私、生まれてからここの外に出たことなんてないんだから。人間の知り合いがいるわけないでしょ?」
明らかに、認識のズレがあった。桜の魔女に――智恵理に人間の知り合いがいないわけがない。なぜなら、彼女は元々人間で、愛する人と共に平穏な日々を送っていたのだから。
「そこの、木の下で眠ってる人のこと、知らないとは言わせないよ」
日奈は、ヤエザクラを指差して言う。桜の魔女がヤエザクラに縛られていた二十数年間、同じように桜の木に囚われた人がいたはずだ。共に過ごしてきたはずの彼女を、見て見ぬ振りさせるわけにはいかなかった。
「ああ! 彼女が智恵理さんなのね! ありがとう、ずっと誰なのか気になってたの!」
桜の魔女は声を弾ませる。市原の憶測通り、やはり智恵理はヤエザクラの下で眠っていた。そして、自分を形成しているのが智恵理なのだと、桜の魔女はまだ理解していないらしい。
「その智恵理さんが、あなたを、桜の魔女を――」
「日奈君!」
全てを明かそう。その決心で紡がれた言葉が、遮られる。別れる前よりもずっと憔悴した様子の市原が、日奈に待ったをかけた。
不服そうな蛇の魔女に肩を抱かれ、市原は再び日奈たちの前に現れた。
「社長、いいんですか? 深山が話せば、記憶が戻るかもしれないのに……」
「いや、いいんだ……。私は、智恵理と再会がしたかったわけじゃない。彼女を弔い、解放しにここまで来たんだ。それに、あんな酷い出自を知らないまま死ねるなら、幸せだと思わないかい?」
その発言に、日奈は自分の眉間に皺が寄ったのを感じる。
広く見れば、桜の魔女……というよりも智恵理は被害者だ。できれば辛い思いをさせずに弔いたい。それには日奈も同意する。だが、桜の魔女が与えた呪いは、確実に異能者たちを蝕み、苦しませ、そして死なせた。桜の魔女にだけ温情を与えることを、日奈の心のどこかが拒否したがっていた。
「そう、かもしれないね……」
だが同時に、自分や周囲が辛い目に遭ったことを理由に誰かを苦しませるのは、日奈の考えに反していた。
そうすれば、また新しい苦しみの連鎖が生まれ、それを断ち切ろうと誰かが戦いに身を投じることになる。たとえ血を流すものでなくても、そこに傷つけ合いが生まれることを日奈は良しとしたくなかった。
(それに、それじゃやってることは魔女たちと一緒だもん)
桜の魔女は、自分を苦しめた相手を殺すために、万葉の子どもに毒を撒いた。血の魔女は、欲するものを手に入れるために、人を誑かし、人から奪い、支配した。それから今も、血の魔女は己の性を満足させようと魔女を生み出し続けている。
自分の望みを叶えるために誰かを利用する選択を、日奈はしたくなかった。そんな方法で手に入れた幸せは、きっと偽物だと思うから。
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