Case03.倒の魔女#19
市原の話は、彼が大学生の頃――隕石が落ちる少し前まで遡る。
「私には、将来を約束した妻がいた。……いや、正確には彼女と言った方がいいのかな。結局婚姻を結ぶことは叶わなかったからね」
自嘲めいた言い回しをしなければ、語ることも難しいのだろう。そう日奈が感じたのには理由があった。
それはもちろん、市原が口にした『彼女』だ。日奈は以前聞いていた。市原と恋仲にあった智恵理という女性が、隕石に巻き込まれたという話を。
すでに踏み込んでしまった今、もう遅いかもしれない。けれど、ここから先へは覚悟を持って進むべきだと強く感じた。
「智恵理さん、だよね」
日奈が尋ねると、市原は驚いたように目を丸くする。それから、すっと温度を失った眼差しを向けてきた。
「どうしてそれを?」
「みゆきちゃ――あえっと、幸さんから聞いたの。幸大五郎さん、大学の後輩にいたと思うんだけど……」
「幸……ああ、彼か。それにしても懐かしい名前だな。彼と交流があるのかい?」
「行きつけのお店の店長さんやってて」
市原はそれを聞いて、目元に皺を作る。知人の現在を知って、少し気が緩んだように見えた。
「そうか」と零された声が、いつもの市原を感じさせた。
「ちょっと待ってくれ! 師匠が、社長と? 俺にも分かるように話してくれよ!」
と、圭太が訴えてくる。それもそうだ、日奈もあらかじめ幸から話を聞いていなければ、初耳の情報に混乱していたはずだ。
「幸君は、私の大学時代の後輩なんだ。慕ってくれる彼を、私と智恵理は可愛がっていてね」
市原は、それ以上を語ることはなかった。悲しいことだが、今回の議題に幸が関わることはないようだ。
一度咳払いを挟み、市原は話を仕切り直すことを言外に伝える。ここからが本番なのだと、日奈は気を引き締めた。
「自分で言うのも恥ずかしいが、私も智恵理も異性からそれなりに人気があってね。それぞれに告白を断り続けた結果、私たちは結ばれたんだ」
「両想いだったってことだよね」
「もちろん。私たちは愛し合っていたと言い切れるよ。それを見て、大抵の人間はきっぱり諦めてくれたし、祝福もしてくれた。それこそ、幸君なんかもね」
「あはは……」
幸の思い人が市原であったことは、本人に届いていなさそうだ。これには日奈も苦笑いを浮かべるしかなかった。
「すみません、社長とその智恵理さんの話が、魔女にどう関わってくるんですか?」
我慢できないという様子で、圭太は申し出る。本題に入るまでが冗長的だと言いたいのだろう。だが、この過程は大事だった。なぜなら、互いに強く惹かれていた男女だったからこそ、別れの悲劇性は強まるのだから。
しかし、日奈も日奈で市原と智恵理の離別が、万屋の設立や魔女に関する知識を有していることに繋がるとは思えなかった。
とはいえ、今は一つの漏れもなく聞くしかない。目の前の男を信じるか、改めて決めるためには。
日奈は肘で圭太を小突いた。重なった視線で、黙って聞くことを促す。納得こそしていなかったが、圭太は口を閉ざす。
それを見届けて、市原は再び口を開いた。
「分かった。少し回り道になりそうだから、先に結論から言うことにしよう。――私は、桜の魔女の正体を知っている」
「はぁ!? 嘘でしょ?」
「おい、深山……」
一足飛びで明かされた事実に、日奈は思わず声を上げる。ついさっき黙らされたばかりの圭太が恨めし気な反応をしていたが、そんなことに気を取られている場合ではない。
一体、市原はどこまでを知っていて黙秘を続けていたのだろうか。桜の魔女の正体、それが分かるだけでどれだけ捜査に進展があったか。もっと早く討伐ができていたかもしれない。桜に還る異能者を、魔女になる異能者を一人でも減らせたかもしれないというのに。
「それ、一番言わなきゃいけないことじゃないの?」
さすがの日奈も、声色に棘が混じったことを自覚していた。それでも、問わなければならない。桜の魔女の正体も、市原の思惑も。
「言う必要がないと判断したまでだ」
「それは、アタシたちが聞いてから判断することだと思うけど」
「深山さん」
ここで、沈黙を貫いてきた天城が日奈を呼ぶ。
「責めたい気持ちも理解できます。ですが、社長にも事情があるのです。今は、何とぞ」
「そうやって相談もせずに結論出しちゃうの、良くないからね。もうちょっとアタシたちのことも信頼してくれたっていいのに」
本当は、もっと言ってやりたかった。しかし、それが議論の停滞を招いていることも分かっていた。だから日奈は、顔を背けて不平を漏らすこと悪態を終わらせる。
「君たちのことは信頼しているさ。そうでなければ、私の願いを託すこともなかっただろうからね。君たちが私を、万屋を信頼してくれていたことも理解しているつもりだ。だからこそ、その信頼を裏切るような形になってしまったことは謝罪しよう」
突いていた肘を引き、市原は頭を下げた。謝られたかったわけじゃないが、これが市原の誠意なのだと受け取った。
そして、聞きたいことがある。今、市原が口にした『願い』とはなんなのか。
「社長の目的は何?」
「桜の魔女の討伐だ。それに偽りはない。黙っていたことがあるとすれば、どうして私が桜の魔女を討伐したいか、ということだろうね」
顔を上げて、市原は答える。
異能者を呪いから解放する、これが市原の行動動機ではなかったらしい。だが、今なら腑に落ちる。異能者の宿命を打ち砕くことを、普通の人間である市原が志すはずがない。余程の善人ならあるいは、といったところだが、彼がそこまでのお人好しではないことはこの数十分で痛感したつもりだ。
「今度は聞かせてもらえるんだよね」
「約束したからね。全てを話すとも」
力強く頷く姿に、嘘はないと見た。いや、日奈がそう信じたかっただけかもしれない。
これが過信かどうか、話を聞けば結論が出るだろう。
「私の目的は、桜の魔女を討伐することで果たされる。ヤエザクラで眠る、桜の魔女の依り代となった智恵理の解放。これが私の願いだ」
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