Case03.倒の魔女#6
「あら、いらっしゃーい! 日奈チャン、怜チャン……今日は圭太はいないのね」
ポンドCの扉を開けると、笑顔の幸が出迎えてくれた。時刻はまだ夕方。常連客もまだ疎らにしか姿を見せていない。
常連客と違って、日奈たちは純粋に晩飯を食べにきている。店を利用する時間にズレがあるのも当然といえば当然だった。
「佐野君とはもう暮らしてないので」
共同生活をしているわけじゃないから、一緒に食事に来ることはない。怜の意図はおそらくそんなところだったのだろうが、なんの前提も知らない幸にとっては黄色い歓声を上げる結果となった。
「きゃーっ! なになに、そんなことがあったの? ついに春が来たって感じ? というか、どっちとなのよー!」
幸は両手で顔を挟み、興奮した様子でくねくねと体を悶えさせる。
「あのー……みゆきちゃん?」
ちょっと前まで、怜に似たような厄介をかけていたことを棚に上げて、日奈は幸に呆れ顔を向ける。
「うーん、今日は特別サービスしちゃうんだから! 隅から隅まで、きちんとお話聞かせてちょうだい!」
「あ、え……」
背中にかけようとした怜の声は届かず、幸は厨房へと消えていく。残された二人は、ただ顔を見合わせることしかできなかった。
「……これ、恋は盲目ってやつ?」
「いや、幸さんが盲目になってどうするの」
「だよね」
そんな下らない会話で力なく笑い、二人はいつもと同じ二階席へと場所を移した。
ほどなくして、火鍋を抱えた幸が席へとやってくる。鍋は真ん中に仕切りが引かれた、二つの味が楽しめる形状だ。これなら辛い物に抵抗のある怜でも安心して楽しむことができる。それよりも目を引くのは、普段の注文ではお目にかかれない量の具材たちだった。
「これ、どうしたの?」
「サービスよ。それに、三人で食べるんだからこれくらい豪勢じゃないと!」
「三人って……」
怜の黒い瞳が、箸が置かれた場所を順に辿る。日奈、怜、そしてちゃっかり席に着いていた幸の前にも、箸が用意されていた。
「え! みゆきちゃんも一緒に食べるの?」
「言ったでしょ? きちんとお話聞かせてって!」
「そうだけど、お店は? お客さんこれからでしょ?」
「それなら心配いらないわ。さっきお店閉めてきちゃったから」
その言葉に、日奈も怜も呆気に取られる。いくら自分の店とはいえ、そこまでの暴挙が許されるのだろうか。
沈黙しか返せない二人に、幸は「女子会にむさくるしいのはいらないでしょ」とウィンクして言った。
女子会といえば恋バナ。そう言わんばかりの幸の態度に、圭太について根掘り葉掘り聞かれることを身構えた。正直、話すことはほとんどないし、恋バナであれば日奈だって怜の話を聞きたい。
しかし、予想外も予想外。日奈たちから軽く話を聞いた後、ウキウキで話始めたのは幸の方だった。
「私ね、元は普通の男だったのよ。それがどうして目覚めたんだと思う?」
グラスの縁を指でなぞり、幸は悩まし気な視線で日奈を見つめる。
その仄かに赤らんだ頬で察しがついた。幸は今、完全に酔っているのだ。
「えーっと、恋したとか?」
まったく心当たりはないが、話の流れ的にそう答えるのが適切な気がした。
すると、幸は伏し目がちに微笑む。どうやら正解だったらしい。
「そう、よく分かったわね。大学生の頃かしら、あれが私の本当の初恋……」
当時に思いを馳せるように、幸は遠い目を見せる。
「(ねぇ怜、こういう時どうやって聞いてればいいの?)」
「(私だって分からないよ。なんとなく相槌打てばいいんじゃない?)」
「(じゃあ、さっきみたいに質問されたら?)」
「(さっきみたいになんとなくで答える)」
対人関係でいえば、怜よりも日奈の方が上手にこなしている。けれど、酔っ払いへの対処法というのは日奈の教科書にも書かれていなかった。
「二人とも聞いてる?」
「はい! 聞いてます!」
二人の声が重なる。
幸を怒らせるとどうなるかは、怜はエレガンスコールで嫌というほど身に染みている。自覚のない日奈にしても、問いかける幸の迫力にそう返事せざるを得なかった。
「同じ大学の先輩にいたのよ。私の運命の相手……市原宗次君が」
「市原?」
珍しい名字ではない。日奈が復唱してしまったのは、その相手の名前があまりにも見知ったものだったからだ。
市原宗次。それはまさしく、日奈の属する万屋の社長その人だった。
幸の外見からは年齢を予測できなかったが、まさか市原と同年代だったとは。恋バナ云々よりも、日奈にとって今日一の驚きとなった。
「彼、とっても優しいのよ。まるで全員にとっての白馬の王子様みたいに。でもね、そんな彼にも将来を約束した女性がいたの」
事実上、失恋の話であるはずなのに、幸の声色からは失意を感じられない。それどころか、その女性に対して敬意を持っているようにさえ思えた。
「智恵理さんっていうんだけどね。彼女も市原君と同じで誰にでも優しくて、私にとってはお手本のような女性だった。だから二人が結ばれることに、なんの敗北感もなかった。むしろ全力で祝福したわ」
「幸さんの憧れの人なんですね」
「ええ、そうね。今も……いいえ、ずっとそうよ」
キャッチボールを怜に丸投げして、日奈は物思いに耽っていた。
思わぬ所で、謎に包まれていた市原の過去を知ることができた。自分から話したがらないこともあって、日奈も軽率には踏み込めなかったのだ。
(社長の奥さん、そんな素敵な人だったんだ。けど、会ったことないんだよな)
あの社長室の不思議な内装。和洋折衷の和を担当しているのは、きっと市原だろう。であれば、洋風の美女なのだろうと勝手にイメージを持ち始めていた。
「市原君、元気にしてるかしら……」
なぜか幸の声のトーンが、一段階低くなる。これまでの話からして、今でも関係がありそうなものだ。
「というか、もう生きてるかすらも分からないのよね」
「え?」
思いがけない発言に、思わず声を発してしまう。
「実はね、智恵理さんはあの隕石の落下に巻き込まれたって話なの。隕石が落ちた日、魂が抜けたみたいな市原君を見たって人もいて……。あの様子じゃ、自殺してもおかしくないって言われてたくらいよ。だからきっと、もうあの二人に会うことはないんだって諦めてる自分がいるわ」
幸の口から語られたのは、市原の壮絶な過去。昔話が聞けて儲けものだと思っていた日奈も、さすがに楽観的には捉えられなくなっていた。
市原が存命だと、伝えるべきだろうか。いや、市原は自分から行方をくらませたのだ。それを日奈の一存で、勝手に覆していいはずがない。
それに、市原の現状を明かすことは魔女の存在を知らせることにも繋がる。幸には悪いが、魔女と関わらない健全な人生のためにも、黙秘が正解だと判断した。
「湿っぽいのは終わりにしよ! ほら、火鍋が食べてほしそうにグツグツ言ってるから!」
日奈は明るい調子で空気を切り替えようと、煮えたぎる食材たちに目を落とした。
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