Case03.倒の魔女#2
「頼む、私に桜の魔女について教えてくれ」
朱美は立ち上がり、上半身を九十度に倒す。数あるお辞儀の中でも、最敬礼と呼ばれる最も深いものだ。一般的な感覚の持ち主ならば、こうして頭を下げられると断りづらくなる。
だが、今朱美が頭を下げているのは普通の相手ではない。魔女だからか。いや、違う。たとえこの魔女が人間であったとしても、その捻じ曲がった性格を許容することはできないだろう。
その証拠に、男は朱美を冷めた目で見つめていた。そして、ため息を吐いてこう言った。
「馬鹿っていうのはさぁ、本当に一から十まで説明しないと分からないんだね。なんなら、一から百まで? そこまで説明させるのはさ、最早相手に失礼だと思わない?」
頭上から降ってくる声は、変わらず小馬鹿にしようという色に満ちている。それどころか、呆れや失望を滲ませ、朱美の行動を咎めているようにも聞こえた。
朱美は一度顔を上げ、男に向き直る。すると、男の眉間に深い皺が寄った。
「そうやって、すぐに顔を上げちゃうところもあり得ないよね。頼む側なんだから、僕と対等な目線でいていいわけがないのに。っていうか、あれで僕にお願いしたつもりなら、教えられることは何もないよ」
朱美の胸中は複雑だった。この相手の神経を逆撫でするような態度も、ここまで一貫しているなら大したものだ。とはいえ、腹が立つものは腹が立つ。それを堪えてでも、下手に出る理由が朱美にはあった。
現状の対話ができる状況(相手の意思はともかくとして)なら、呪いや魔女についての情報を引き出せるかもしれない。そうすれば、これまで雲を掴むようだった桜の魔女の捜索にも光明が差すだろう。ただでさえ、行方知らずで不安にさせているのだ。ここらで貢献して、心配はいらないと伝えてやらねば。
そう考えると、朱美も自然と腹が決まった。むしろ、覚悟が決まったというべきだろうか。これから晒す、醜態に対しての。
「そうだな、私の頼み方が悪かった。なら、これでどうだ?」
思ってもない謝罪をして、朱美は地面に膝をつける。それから体を折り、額を地面に添えた。
人生で、まさか土下座をする機会があるとは朱美も思っていなかった。それも、夜の公園という風変わりなシチュエーションで。
さすがにこの格好は、日奈には見せらないな。朱美は心の中で苦笑する。いくらプライドがないとはいえ、慕ってくれる後輩をがっかりさせたくはなかった。
「いいね、ようやくそれらしくなってきた。でもなぁ、気になるんだよなぁ」
男はそう言って朱美に近づき、朱美の額と地面の隙間、その僅かな空間につま先をねじ込む。
「どうして僕の足が、ここに収まるんだろうね? おかしいよね? おかしいよな?」
ボルテージが上がる口調に合わせて、勢いよくつま先が出し入れされる。その度に朱美の口元には砂が舞い、不快感が一気に押し寄せる。
(こいつ、調子に乗りやがって……!)
引かれた脚から繰り出されるつま先を、朱美は額で受け止める。固い感触に当たり、動きを止めた男が「ははっ」と薄く笑う。
「いいよいいよ、どんどん僕好みになってきた。あとはその汚い言葉遣いをどう改めてくれるのかな?」
顔を見なくても、男が下卑た笑みを浮かべているのは想像に難くない。
ここまでの過程で、朱美は心に決めた。人の思い通りになるのは、これきりにしようと。
「お願いします。哀れな私に、桜の魔女について、呪いについて教えていただけないでしょうか?」
日奈が見たら卒倒間違いなしの、徹底的に媚びた朱美の懇願。それを見た男は、答えを返すのではなく、朱美の後頭部に足を下ろした。
足首のスナップを利かせて、頭をぐりぐりと嬲る。それから我慢できないといった様子で、男は上機嫌に喋りだした。
「っくく、はははっ、あっははは! これは傑作だね! 最高だよ! こういう馬鹿を見るのは、本当に気持ちいいね! どんだけ頼み込まれたって答えてやるかよ! 僕は最初から答えるつもりなんてなかったのに、お前が勝手に頭を下げたんだからな! ははっ、おかしいね、おかしいよ」
何度も何度も執拗に踏みつけられ、朱美はいかに自分が愚かなことをしたのかと悔いた。同時に、だんだんと男の鼻を明かしたい衝動に駆られていた。
この際、情報が一切取れなくても構わない。あくまで情報は副産物で、魔女を討伐することが重要なのだ。相手は今、油断という域を超えて胡坐をかいている。戦う気がないうちに、こちらが先制を取らせてもらう。
辛酸を舐めさせられながら、朱美は男がいる位置に弾丸をセットする。朱美にしか見えない、不可視の一撃を生み出す弾丸。事前に用意できる弾は一発だけだ。この制約に関しては、剣を使っていた頃の方が融通は利いた。
だが、男は未だ朱美の頭に足を乗せている。そこにいる限り、朱美の勝利は揺るがないものだった。
砂混じりの口内から、絞り出すように唱える。
「”悪戯”」
「がふっ……」
やった。退けられた重みで、そう確信する。体を起こし、次の弾を用意しようとしたところで、朱美は信じられないものを目にした。
「なんで……立ってられるんだ……」
全くの無傷で。異能の性質上外傷はないはずだが、男は臓器を破壊されたとは思えないほどに何食わぬ顔で立っていた。
男の足元に飛び散った血液は、間違いなく彼自身が吐き出したものだ。それなのに、どうして平然としていられるのか。
「危なかった危なかった。でも助かった。お前、さっきの攻撃で僕を仕留めた、って思ったんだろ?」
「……それがなんだっていうんだ」
「その思い込みが、お前の敗因だってことだよ」
歯を剥きだして笑う男と、苦虫を噛み潰したような表情で朱美は向かい合う。夜更けの公園で、戦いの火蓋が切って落とされた。
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