疫病
「なんだか村の様子がおかしそうだ……」
緩やかな勾配の先、今日の目的地である村を視界に収めたところで、ツヴァイが不穏な言葉を呟く。
王都を発ってから十日目のことだった。
「どんな風におかしいんだ。具体的に言え」
ユアの向かい側で座るカイルは、瞼を閉じたままツヴァイに尋ねる。てっきり寝ているものだとユアは思っていたのだが、実際はそうでもなかったらしい。
「静かすぎるんだよ」
「静かすぎるって……まだ村まで大分距離があるよ?」
ユアが当たり前の疑問を口にすると、ツヴァイは殊更に肩を竦めて言った。
「この距離でも僕にはわかっちゃうの。それにしても聖女のくせにまだ僕の凄さがわからないなんてこれじゃあ先が──」
カイルはゆっくり目を開き、
「村の手前で止めろ」
有無を言わさぬ言葉に、ツヴァイはブツブツ文句を言いながらも村の入り口付近に馬車を止める。御者台からツヴァイがひらりと飛び降り、続けてカイル、ユアが馬車から降りる。
村は不気味なほど静まり返っていた。
「誰もいないのかな?」
ユアが柵越しに村を覗き見るも人が外にいる気配はない。カイルが目配せすると、柵を軽々と飛び越したツヴァイが村に向かって駆けていく。
それから体感にして待つこと10分。
ユアが馬に餌をあげてると軋み音を立てながら入口の扉が開いた。
「中の様子は?」
「とりあえず伏兵はいないみたい。人もいないけど」
ユアはここに来るまでに散々襲ってきた野盗のことを思い出した。
「もしかして野盗に襲われたのかな?」
ツヴァイは即座に否定した。
「それはまずないね。荒らされた形跡が一切見当たらないし」
カイルの判断は迅速だった。
「詳しく確かめる必要があるな。──ユア、くれぐれも俺のそばから離れるなよ」
「う、うん」
ツヴァイが先行し、やや遅れてユアとカイルが歩を進める。
ユアは緊張した面持ちで歩きながら村の様子を観察した。
ツヴァイの言う通り村が荒らされた形跡はなく、それだけにただの一人も村人たちに出会わないことが不気味さに拍車をかけている。
気づけばカイルの上着の裾を掴んでいるユアがいた。
「このまま外だけ眺めてても埒があかないなー」
いうや否や、ツヴァイは手近な家の扉を勢いよく叩き始め、反応がないと見るや堂々と扉を開く。
これから何をしようとしているのか一目瞭然だ。
「勝手に人の家に入ったら駄目だよ」
「魔女の街に住んでいたくせに随分と温いことを言うね」
忠告をせせら笑うようにツヴァイは躊躇なく家の中へと入っていく。
「もう!」
「ツヴァイの判断は正しい。村の状況を把握するためにも必要なことだ。俺たちも行くぞ」
「うん……」
渋々ながらカイルの後に続くユア。
家の中はうっすらとホコリは溜まっているものの、物はきちんと収まるべきところに収まっている。二階に足を伸ばすもやはり荒らされた形跡はどこにもなく、また人が隠れている様子もない。
(まるで神隠しにでもあったみたい……)
その後同じようにして数件の家を確認するも状況にさしたる変化はなかった。
「全部の家を調べたとしても結果はおそらく同じだろうな」
ツヴァイは訳知り顔で両腕を組み、
「もしかして脱村したのかも。食べるのに困ってとかで」
村ごとに課せられた税金が払えず村人総出で他国に移ることを脱村という。飢饉が長引くと珍しくもない事例だが、カイルはツヴァイの考えをあっさり退けた。
「この一帯を治めている領主は温厚な人柄で知られるレムハイド子爵だ。村が窮乏に陥っているなら必ず何かしらの手を差し伸べる。そもそも好景気が依然として続いている状況でこの村だけが例外だとは無理があるな」
ムッとしたツヴァイが口を開くよりも先に、風に乗って細長い紙片がどこからともなく飛んでくる。
飛び上がったツヴァイが二本の指でなんなく掴み取ると、そのまま紙片に目を落として首を傾げた。
「なんだろう、これ……?」
ツヴァイは手にした紙片を摘んで目の前に掲げてみせる。書かれている独特な文字の羅列にユアは見覚えがあった。
「これって多分疫病を追い払うための護符だよ。見たところ結構新しいものみたい……」
三人の視線は自然と護符が飛んできた方向──村の中でも一番大きな建物に吸い寄せられていった。