ナリス・アサレイ/気付かずに
本当は百話目ありがとうで入れようと思っていた話なのですが、流れ的にやはりここだろうと思いまして。
突然ですみません。
あと、長いです。
「レム」
受付の中の彼女の名を呼んで、俺は手を差し出す。
出てきてくれた彼女は、迷いもせず俺の手を取ってくれた。
ずっと気付かなかった自分の望みにようやく気付いたあの夜に。
全部否定的にしか見れなかった俺に、そうじゃないんだと教えてくれた彼女。
本当に、一瞬のことだった。
まだ小さなこどもの頃から知ってるから、自分の気持ちに戸惑って。
でも彼女への心配とほかの男への嫉妬に、もう、認めるしかなくて。
気付いてからの俺は、自分でも笑うしかない程必死だった。
そんな俺の想いに彼女が応えてくれたときは、本当に嬉しかった。
でもそのとき、俺はまだ気付いてなかった。
彼女がまだ成人してないことも、俺を疑わないこともわかってて、止められない自分がいることに。
自分の想いに応えてもらう前からほかの男に嫉妬して。
想いに応えてもらってからは、逃げられないように閉じ込めたくて。
そんな思いが自分の中にあることに。
初めは本当に、気付いてなかった。
訓練中、何度も嫉妬にかられて彼女に強引に迫って。最後には、襲ったと言われても仕方ないくらい乱暴なことをして。
でもその度に、怒ってないよと微笑んで受け入れてくれる彼女が、本当に愛しくて。
大事にしたいと思うのに、好きになればなる程彼女を自分のものにしておきたくて。
矛盾する自分の感情に折り合いをつけられないまま、迎えた年始。
蝕む不安はすぐに彼女に気付かれた。
昔と今は違うし、あの子と彼女も違うんだと。頭ではわかっていても、感情が認めない。
不安定なまま彼女を求め、自分のものだと思いたいが為に強引にキスをして。
でも彼女はそんな俺すら受け入れて、許して、ほしかった言葉をくれた。
当たり前のように待ってると言ってくれた彼女。
あの言葉を、俺がどれだけ望んでいたのかを。きっと彼女は、知らないままなんだろうけど。
それでもう大丈夫だと思ってた。
セレスティアから戻る二日間。
彼女とほかの街にいることが嬉しくて。一緒に歩くだけで楽しいと言ってくれる彼女がいじらしくて。
その反面、度々出る名に嫉妬していた。
ライナスで、自然なふたりの様子にますます嫉妬して。
抱き合っていると思ったあのとき、やっと忘れられたはずの過去にまた囚われた。
あのときのあの子のように、彼女が俺から離れていかないように。ほかの男のものにされる前に。
間違いなく自分のものだと思えるように。
俺のことを受け入れてくれる彼女ならと。俺はあのとき、自分の平穏のために、彼女を自分のものにしようとしていた。
そんな俺の心を見透かすように、彼女は初めて俺を拒んで。こっちの意識を持っていかれそうなくらいのキスをして。好きだと告げて、出ていった。
彼女らしくない言動すべて、俺が追い詰めた結果なんだと。
目の前で閉まった扉に、自分がやったこととやろうとしたことを自覚して。
扉を開けることができなかった。
俺自身の手で彼女を傷付けてしまったのに。それでも好きだと、彼女がどんな気持ちで言ってくれたのか。
感受性豊かで嬉しくても悲しくてもすぐ泣いてしまう彼女が、一粒の涙も見せずに淡々と説明して。俺が好きだと。どうすれば信じてくれるんだと。どんな気持ちで訴えたのか。
今までの不安なんて比べものにならない程の絶望感。
彼女の気持ちを疑ってなんかいない。
ただ俺が、彼女とあの子は違うんだと確かめたかっただけなんだと。
そう気付いて、あまりの自分勝手さに呆然とした。
このまま見限られ、本当に彼女を失ってしまったら。
俺は、どうすればいい?
ひと晩そんなことを考え続けて。
部屋には来てくれないかもしれないから、かなり早くからロビーで待ってた。
彼女を前に、俺が何を言わなければならないのか。いくら考えてもまとまらなかったけど。
彼女もいつもより早く来てくれたから、話をしようと思ってくれてるのかと少しほっとした。
何て言おうか考えてるうちに手を取られて。かけられた声も全然怒ってなくて、本当に驚いて。
あんなことをしたのに、まだ俺に優しくしてくれるのかと。
手を引かれて厨房に向かう間に、彼女の手の温かさに少しずつ落ち着いてきて。
浮かぶ思いは、ただ、彼女が好きだというだけで。
もう手放したくなくて、彼女の手に縋りついて謝る俺に、怒ってないと言ってくれた。
嬉しいのに、安心したのに。どこか落ち着いた彼女の態度に、かつてのあの子が頭をよぎる。
彼女にとっての俺は、怒るにも値しない、どうでもいい存在になったんじゃないかって。
彼女の言葉からはそんな様子は窺えない。でもすぐには不安を拭えなくて。
情けなさすぎる自分自身にうろたえるうちに、彼女は俺を好きだと言って、キスしてくれた。
また彼女の気持ちを信じられてなかったのだと、本当に、落ち込んで。
多分そんな俺に、彼女も不安になったんだろう。俺の気持ちを教えてほしいと、涙を零した。
彼女にこんな顔をさせたのは、俺なんだと。
もう頭が真っ白になって。
必死に謝って、言い訳して、彼女が好きで仕方ないんだと伝えようと思ったのに。彼女はますます泣き出して、謝らないで、わかってない、と怒って。
やっとお互いの勘違いに気付いて。少し冷静になって。
もつれた糸を解くように。お互いの気持ちを確認した。
彼女は俺が思っていたよりも、もっとずっと大人で。俺の不安も過去もひっくるめて包み込んでくれた。
むしろ昔のことに振り回されてる俺のほうがこどもみたいだと笑うしかなく。
こんな情けない俺でもいいのかと。
ただそれだけを聞いたつもりだったのに。
彼女は聞かなくてもわかると、あっさりと昔の俺まで全部肯定してくれた。
そのとき生まれた気持ちを、俺は上手く言葉にできないけど。
ただもう俺の腕の中の彼女が愛しくて仕方なくて。
彼女が俺の腕の中にいてくれるのが嬉しくて仕方なくて。
どんな言葉でも全然足りない。どんなに抱きしめてキスしても全然伝えきれない。
この想いを、ただ彼女にわかってほしくて。
愛してるなんて言葉が自分の口からすんなり出ることに妙な納得をしながら、自分でも持て余す程の想いを唇に込めた。
そして次の訓練までの間に、俺は覚悟を決めてきた。
昔あったことを彼女に話すこと。
彼女の両親に交際を認めてもらうこと。
ゴードンで三人で泊まったときに、ジェットから言われていた。彼女はまだ成人してないのだから、安心させる為にもちゃんと話を通しておけ、と。
あのときはそれどころじゃなかったから。訓練が終わったら、今度こそ話さないと。
そう決めて向かった訓練。変わらない笑顔で迎えてくれた彼女にほっとする。
昔あったことを話しても、彼女は変わらず俺は悪くないと言ってくれて。酷いことをしたと謝っても、そんなことはないと首を振ってくれるけど。
ただ、あとひとつ。今の彼女にはまだ話せないことが、俺にはあって。
それを聞いた彼女が俺のことをどう思うのか。それを考えるのは、少し怖い。
彼女からも、ほかの男に話を聞いてほしいと言われていることを話してくれた。
自分でも驚くぐらい、前のようなどうしようもない嫉妬心を抱かずに済むのは、彼女が俺を受け入れてくれたからなんだろう。
彼女はやっぱり優しくて、相手への感謝と申し訳なさで泣いてしまっていたけれど。
それでも断ってくれたのは俺のことが好きだからなんだと思うと、正直少し嬉しかった。
そんな彼女に応える為に。今の俺ができる精一杯で、彼女に喜んでもらえるように。
不安に思わずにいられるように。
既に覚悟は決めてきた。
差し出した手を取ってくれたレムと一緒に、アレックさんの前に立ってから。
思っていたよりすんなりと話は進んで、アレックさんに反対しないと言われて喜んだのも束の間。
刺すような笑顔のアレックさんに、ふたりで話そうと言われた。
その場に残され、アレックさんと向かい合う。
じっと俺を見るアレックさん。沈黙が重い。
「…ナリスのことはジェットの弟子になったときから知っているし、それなりにどんな奴かもわかってるつもりだ」
俺を見据えたまま、アレックさんが口を開く。
「何より、レムが信じた男だ。俺もお前の言葉を疑うようなことはしない」
「アレックさん…」
いきなりの肯定に驚いて、俺はアレックさんを見返した。
「どこまで正直に話すかは、お前の誠意に任せる」
続けられた言葉に、俺は気付いた。
アレックさんは、知ってるんだと。
俺の顔色が変わったことに気付いたんだろう。アレックさんは俺を見たまま息を吐く。
「詳しいことまでは聞いてない。だが以前ジェットから、お前の素行について悩んでると言われたことがある。塞いでいるのは知ってるが、さすがに止めるべきなのか、とな」
…ジェットに知られてるのはわかってた。それなら、アレックさんも知ってて当たり前か。
「…全部話します」
俺にできるのは、それだけだから。
年始に会いに行った俺を見て、ほかの男といたあの子は悪びれず笑って、何で来たのと言い捨てた。
もうとっくに恋人だとは思ってない。来る度に貢いでくれるからそのままにしてただけだと言われて。
なかなか会えないのが申し訳なくて。少しでも喜んでもらいたくて。確かに毎回何かを贈っていたけれど。
そんなふうに思われていたのかと、愕然とした。
それから色々どうでもよくなって。旅の途中に訪れる街々で夜までうろついて、声をかけてくる女とひと晩限りの関係を持ったりもした。
そんなことをしても満たされることなんてなくて、数度でやめたけれど。
それでも俺がそういうことをしていたという事実は変わらず。
本当はレムにも話すべきだとわかっているけど、今のレムに、こんな話はできなくて。
「…彼女が成人してから、ちゃんと話そうと思っています」
俺がそういう愚行をしてたことも。
何も話さないまま、嫉妬にかられて彼女に手を出そうとしたことも。
すべて話して。
話を聞いたレムが俺を遠ざけるなら、そのときはおとなしく身を引こうと思っている。
俺の話を黙って聞いてくれたアレックさんは、ちょっと困ったように溜息をついた。
「お前、レムに…」
「…すみません……」
「俺にまで話すな、困るから…」
「すみません…」
話すのが筋だと思ったんだけど、本気で困られた。
アレックさんはもう一度大きな溜息をついて俺を見て。
「本当に。その性格で道を踏み外すなんて、相当参っていたんだろうがな」
向けられた視線には、もちろん呆れは混ざっていたけど。
こどもを心配するような、見守るような、そんな温かさがあって。
俺はレムにまで手を出そうとしたのに、どうしてこんな眼差しを向けてくれるんだろうと不思議で仕方なかった。
「ナリス。レムは俺の大事な娘なんだ」
頷く俺に、アレックさんの眼光が鋭くなる。
「悲しませるようなことはしないでくれ」
まっすぐ俺を見るアレックさんは、本当に真剣で。
あんな話をしたのに。俺のことを許してくれるのか…?
「…俺、いいんですか?」
「どうするか決めるのはレムだからな。俺から願うのは、レムの幸せだけだ」
そう言って、アレックさんはもう一度俺に問う。
「悲しませるなよ」
「はい」
迷うことなんてないから。俺はしっかりと頷いた。
「お前がどこまで考えてるのかは聞かないが、絶対に手は出すなよ」
「わかっています」
もうあんなことをする気はない。
即答した俺に、アレックさんは頷いて。
「ちゃんと節度を持ってだな、あまりベタベタ触れたりせずに…」
積み重なる禁止事項。全部守ると付き合うどころか近寄れない。
それはあんまりだと、そう思って。
「…アレックさん…。キスまでは許してもらえませんか…?」
ここまで恥を晒したんだし。醜態ついでに本気で頼むと。
アレックさんは、どこか驚いたように俺を見て、もう何度目かわからない溜息をついた。
「だから、そういうことを俺に言うな……」
どうやら頷いておいて、隠れてやればよかったらしい。
「…本当に。何でお前があんなことをしたのか不思議でならんな……」
「すみません…」
苦笑するアレックさんに、俺には謝ることしかできなかった。
昼食のあともう一度四人で話し、今度はレムとふたり、その場に残された。
レムは誕生日プレゼントだと言ってシャツを贈ってくれた上に、俺にもお土産を買いたかったんだと言ってエプロンまで作ってくれていた。
手作りのシャツを贈られた時点で嬉しくて仕方なくて、レムに怒られるまでキスをして。
それなのに、エプロンまで渡されて。
セレスティアに行ってから、そんなに日数は経ってないのに。忙しい中、俺の為にと手間も時間もかけて作ってくれたのだと思うとどうしようもなくて。
さっきの勢いでキスすると、アレックさんとの約束を破りそうなくらいに。
本当に、レムが愛しくて。
レムの成人までまだ二年。
あの話をするのは怖いけど。
今は我慢するほうが、ちょっと大変。
その日はもう帰れる時間じゃなかったから、もう一泊することになって。夕食は食堂で、アレックさんとフィーナさんと、向かい合って飲むことになった。
アレックさんもフィーナさんも、間違いなく俺より酒に強いから。つられないように気を付けないと。
グラスを空けると次々注いでくるアレックさん。
ときどき無茶を言われるけど、即座に隣のフィーナさんがぴしりと言って。
ジェットとククルみたいで、何度も吹き出しそうになった。
隣のレムを見ると、本当に嬉しそうで。
その笑顔に、アレックさんたちにちゃんと話してよかったと心底思った。
飲まされはしたけど、潰れる前におひらきになって。
ひとりで大丈夫とは言ったけど、フィーナさんがレムに俺を宿に連れていくよう言ってくれた。
「お水持ってくるからここで待ってて」
俺に長椅子に座るよう言って、レムが厨房に水を取りに行ってくれている間。
結構な量の酒も入って。ふわふわする思考で考える。
俺の隣。嬉しそうなレムがいて。
誰の前でも堂々と彼女の隣にいられて。
ホント、幸せだな。
「ナリス! ここで寝ないでね」
少しひやりとしたものが頬に触れる。いつの間にか目を閉じてたみたいだ。
「気持ちいい」
「手、冷たいからかな?」
長椅子に水の瓶を置いて、両手で頬を挟んでくれる。
「ちょっと目、覚めた?」
俺の目の前、くすりと笑うレム。
あぁもう、かわいくて仕方ない。
「ほら、部屋送るから立って」
引っ張り起こされて、手をつないだまま部屋に向かう。
鍵を開けて。水を渡されて。
「寝込んじゃう前にちゃんとお水飲んでね。宿はナリスひとりだから、用事があったらうちに来て」
「ん…」
「入っちゃ駄目って言われてるから、ここでごめんね」
「レム」
名前を呼ぶと、俺を見上げる緑色の瞳。
キスしたいけど。酒、飲んだからな…。
迷ってたら、レムのほうからキスしてくれた。
「お水飲んで、ちゃんとベッドで寝てね」
少し赤くなった顔で、そう言って。
「おやすみ」
一歩下がって、微笑むレムを。
引っ張り込みたい衝動には、勝つことができた。
「うん、おやすみ。気を付けて帰って」
すぐそこだよ、と笑いながら、レムは手を振ってくれた。
扉が閉まり、足音が遠ざかって。
部屋でひとり。
俺は、幸せを噛みしめた。
前書き通り、百話目ありがとう! レム視点のみのつもりだったけど、書きたかったから書いちゃいました!
というつもりで考えていた話なのですが。やっぱりこれはここに入れるしかないよね、と思いまして。フライングさせていただきました。
ナリス一人称。セレスティアから戻ったあとの騒動と、前に後書きで書いた『不誠実』の詳細と、レムの知らないアレックとのやりとりがメインです。
親としては寄るな触るなと言いたいアレックですが、ナリスの気持ちもよくわかるので、ある程度は黙認するつもりでした。ナリスのバカ正直さにびっくりです。