三八二年 実の二日
長いです。
今回ばかりは仕方ないと…。
宿と店の前、宿の食堂から持ち出したテーブルと椅子を並べて。
二十年間帰る場所でいてくれたライナスの皆へのお礼にって、ジェットが言い出した宴会。
昨日宿泊のジェットたち以外のお客さんも、朝から並べられてる料理を好きに食べていいってことになった。
まぁ皆ギルド員だから、ジェットがどうして喜んでるのかは知ってるのかな。
ククルとお兄ちゃんはずっと食堂で料理とお菓子を作ってる。だからお茶くらいは宿のほうで私が淹れることにした。
ジェット、最初にお父さんとお母さんと乾杯して。
まだ朝なのに、皆も料理を持ってきてくれたり、とりあえず顔だけ出して、またあとで来るって言ってたり。
ジェットもだけど、皆もホント自由だよね。
そうこうしてるうちにお茶が少なくなったみたい。淹れてこないと。
「レム?」
宿に戻る途中でナリスに声をかけられて。お茶を淹れに行くって言ったらついてきてくれた。
宿の厨房で、お湯が沸くのを待ちながら。いつかみたいに並んで座った。
「ジェット、嬉しそうだね」
「ダンもかな」
確かに、と笑う。
ダンもジェットと一緒にずっとずっとがんばってきたんだもん、当然だよね。
ホントによかった。
そんなことを思ってたら、ナリスがまたちょっと心配そうな顔をしてて。
「…レムは、本当に大丈夫だった? 全員ここで預かってたんだよね」
あの六人のことをナリスは知らないから、宿のことまで心配してくれてたんだね。ホント、ナリスは優しいよね。
「平気。誤解が解けたら皆いい人たちだったよ。仲良くなれたし、楽しかった」
「…そう、なんだ……」
少しびっくりしたような顔をして、そう言ったっきりナリスは黙ってしまった。
心配してくれてたのに、楽しかったなんて言ったから気を悪くしたのかな。
少し目線を落として考え込むナリス。謝ったほうがいいかなと思ってるうちにお湯が沸く。
いけない、お茶淹れないと。
立ち上がろうとテーブルについた手を、ぎゅっとナリスに掴まれた。
「ナリス?」
ナリスは何も言わず、じっと私を見てる。
縋るような視線。その顔は、昨日見た、男の人の顔をしてて。
「…ナリス、お湯、沸いてるから…」
あんまりじっと見られてて、恥ずかしくて落ち着かない。でも無理に引き抜くことができなくて、やっとそれだけ言った。
私の声にはっとしたように手を放してくれたナリスが、ごめんと小さく呟いて下を向く。
とりあえずお茶を淹れて。本当は持っていこうと思ってたけど、もう一度お湯を沸かすことにして、カップに注いだ。
ナリスも、私も。もう少し落ち着いてから戻ったほうがよさそうだから。
前にカップを置くと顔を上げて、ありがとう、と少し笑ってくれた。
また隣に座って、私もお茶を飲む。
「…落ち着いた?」
しばらくしてからそう聞くと、ごめんともう一度謝られる。
「思ったより動揺してて…。自分でも驚いた…」
私を見て、少しだけ仕方なさそうに笑って。
「…もう、認めるしかないかな」
そう呟いたナリスの手が、そっと私の頬に触れた。
「レム」
何、と思うひまもなく。
優しい声で、名前を呼ばれる。
「前にここで話したこと、覚えてる?」
「…ジェットのこと?」
「そう。俺がいないとって言ってもらえて。俺がふたりのことわかってるって、だから甘えて話さないんだって、そう、言われて」
ちょっと苦笑するように、ナリスの金色の瞳が細められる。
「あのとき、ジェットが何も話してくれないって落ち込んでたあとだったんだ」
触れられてる頬が、どんどん熱くなってきてるのに。
視線が逸らせないまま、ただナリスを見返してた。
「俺は話してもらえないってことに怒るだけだったのに、レムはそうやって、どうしてかってところまで見てて。すごいと思うのと同時に、俺のことまで見てもらえてたことが嬉しかった。多分そこから、レムのことを意識し始めたんだと思う」
頬から離れた手が、髪を梳くように頭を撫でる。
告げられた言葉からも、その手の優しさからも、私を見る瞳からも。
ナリスが何を伝えようとしてるのか、もう、疑いようもなくて。
驚きすぎて動けない私に、困ってると思ったのかもしれない。少しだけナリスの表情が曇る。
「最初は自分でもちょっと戸惑って。レムのことは小さい頃から知ってるし、年だって離れてるしね。妹みたいな意味でじゃないのかって、考えたんだけど…」
うん、私もずっと優しいお兄さんだと思ってたんだよ。
今のナリスも優しいけど。私を撫でる手は、お兄さんのそれじゃない。
「レムが俺のことを知ってくれてたみたいに、俺もレムのことをよく知ってたみたいで。考えれば考える程、そうとしか思えなくなって」
撫でてた手が止まった。すぅっと真顔に戻ったナリスが、ぽつりと呟く。
「そんなときにここが狙われるかもって聞いて本当に心配で。やっと来れたと思ったら仲良くなったとか楽しかったとか言われてどうしていいかわからなくなって」
「ご、ごめんなさい…」
やっぱり気にしてた。
ホントにごめんなさい。
謝る私にふっと笑って、気にしないでと言ってくれるけど。
な、何かちょっと怖かったよ?
微笑んだままのナリスの手が、もう一度頬に触れた。
斜めに向いてた身体も完全に私をのほうを向いてるから、さっきより近い。
もう、恥ずかしくって仕方ないのに。
昨日と違って目を逸らせずに、私もナリスを見返してた。
「おかげで思い知った。もう言い訳はしない」
空いてる左手で私の手を握って。
「レムが好きだ」
まっすぐ私を見て、ナリスが言った。
あれだけ前置かれたら、何を言われるかもわかってたけど。
でもいざ目の前ではっきり言われてしまうと、どうしていいかわからない。
だって、ナリスが私を好きになるなんて考えたことなかったよ?
私だって、好きか嫌いかで聞かれたら、それは間違いなく好きなんだけど。でもそれは、優しいお兄さんとしてのナリスへの気持ちで。
今の、こっちが恥ずかしくなるくらい熱っぽい眼差しを向けてくるナリスへの気持ちは、まだ、自分でもわからなくて。
固まる私に、ナリスは少し表情を和らげて手を放してくれた。
「…レムが俺のこと、そんなふうに見てないことはわかってるよ」
解放はしてくれたけど、距離の近さは変わらない。
「レム。だからお願い」
私を見る金の瞳。
「ここにいる間だけでも、傍にいさせて?」
囁くようなその声に。
私は頷くことしかできなかった。
少し話が進みましたね。
ナリス、ちょっと闇が洩れてますが。始動しました。
本編イチの暴走キャラはロイなのですが、こちらでのナリスは間違いなく、ロイ以上の暴走野郎で。
…そもそも、この予定はなかった。
この予定がなかったので、この番外編もなかった。
恐るべき恋の力。
がんばって書きます。