三八三年 雨の十七日 ②
長いです…。
ナリスがばっと私を引き剥がして顔を見る。
初めは嬉しいと信じられないが混ざったようなそんな顔だったけど、だんだん嬉しさが勝ってきて。
「レム…!」
間違いなく喜んだ声で名前を呼んで、ナリスが私を抱きしめた。
「……ありがとう…」
私も抱きしめ返して。しばらくふたりで抱き合ってたら、じわじわと嬉しさが込み上げてきた。
『ここにいる私』を好きになってくれたナリス。
『ここにいる私』のところに帰りたいって言ってくれたナリス。
私は私のままでいいんだって認めてもらえた気がして。
大好きな人にこのままの私を全部受け入れてもらえて。
心にあった不安が流れていくように、自然に涙が溢れてくる。
少し緩んだ腕に顔を上げたら、優しく涙を拭われて、キスされた。
ありがとう、ナリス。
大好きだよ。
ちょっと落ち着こうっていうことになって。お茶を淹れて持ってきた。
ふたりで向かい合って座ってお茶を飲んで。こんなにのんびりしてていいのかな。
「どうしたの?」
そわそわしてるのに気付かれて、ナリスに声をかけられた。
「うん…。…仕事、戻らなくていいのかなって…」
ジェットとダンに任せて来ちゃったから。大丈夫かな。
レムらしいねって笑ってから、ナリスは大丈夫だって言ってくれた。
「昨日話したときに、アレックさんにいいって言われてるよ」
そういえば許可を取ったって言ってたよね。
「昔のことを話すのも、結婚を申し込むのも。ちゃんとアレックさんに許可をもらった」
許可って仕事を抜けることだけじゃなかったの??
「こんな日に言うなって、呆れられたけどね」
昨日って…そうだよね。
苦笑するナリスは、でも、と続ける。
「さっきも言ったけど、あのままだと本当にすれ違う気がして」
ナリスの不安に、私は頷く。
私だって初めはちょっと思っただけだった。
無理させてないかな、我慢させてないかなって思ったら止まらなくなって。
私はここから離れられないけど、それじゃナリスに負担だよねって。
そのうち私じゃ何もできないからって、思っちゃって。
本当にあっという間にふくらんだ。
ナリスが気付いて聞いてくれなかったら、どうなっちゃってたんだろう。
そんなことを考えてたら、ナリスがじっと私を見てるのに気付いた。
私を見るナリス。
何だか表情が。何ていうのか…。
「…怒ってる?」
そう聞くと、ナリスはにっこり笑った。
「怒ってはないよ。ただちょっと思い出して」
いい笑顔のナリス。…この顔のときって、あれだよね。
「……俺の気持ちは、そんなに伝わってなかったのかって」
かたんとナリスが立ち上がる。
やっぱり、そうだよね???
わざわざ私の隣に来て。手を取って立ち上がらせて。
髪を撫でながら、顔を寄せる。
「…俺がどれだけレムが好きで。会いたくて仕方なくて」
軽く、唇が触れる。
「どれだけ、傍にいたいのか」
もう一度、少し長く。
「……わかって、ないよね?」
私を見るナリスの眼差しが強くなったと思ったら。
うしろにさがるくらいの勢いで唇を塞がれて。すぐに背中に着いた壁に、握られたままの手を押し止められる。
反対の手で頭を押さえられて、もう身動きも取れなくて、ただひたすらナリスのキスを受け止める。
私の不安に気付いてくれて。
私の為にお父さんにも許可を取って時間をもらって。
安心させる為に、結婚まで申し込んでくれて。
こんなにしてもらっていいのかなってくらい、大事にされてるのがわかるから。
ナリスの気持ちも不安も全部受け止めたいって思うんだけど。
優しくないわけじゃないけど、私にわかってほしいって叫ぶみたいな激しいキス。
嬉しいのは間違いないんだけど、息も続かないし、恥ずかしいし。なんだかもう、足に力が入らない。
ごめんね、ナリス。
もう、限界……。
足の力が抜けてきて、壁に背中をつけたままへたり込む私に、握ってた手を放したナリスはキスをしたままついてきて。
乗っかるように床に膝をついて、容赦なくキスし続ける。
「…も……やめ…」
「まだ」
合間にそう訴えるけど、ナリスは短く返して私の頬に手を添える。
「レムが俺の気持ちをちゃんと理解するまで、やめないから」
重くはないけど触れる身体の温かさと、さっきまでより優しいけど甘さの増したキスに、既に限界の私が抗えるはずもなくて。
されるがままにあちこちキスされて。
もう…。恥ずかしいんだってば……。
どのくらい経ったかはもう私にはわからないけど。やっと解放してもらえたときには、すぐに立ち上がる力もなくて。
目の前のナリス。不安そうな顔はしてないから、もう大丈夫、かな。
ナリスは座り込んだままの私を覗き込むようにじっと見つめて。
「…レム」
優しい声で名前を呼んで、ぼんやり見上げる私に微笑んだ。
「…ごめん。嬉しくて、つい」
最初と目的違ってるよね??
「………もう……」
怒る気はないけど。ホントに恥ずかしい。
ナリスは私をひょいっと抱き上げて、あわあわしてるうちに椅子に降ろしてくれた。
「落ち着いたら、アレックさんに話しにいかないと」
私の頭を撫でながら、隣に座ったナリスが言う。
「レムの返事がどっちでも、報告に来いって言われてるんだ」
ちょっと遅くなったけどって。ナリスがあんなにまでしなかったら、もっと早く行けたよ??
私の視線の意味に気付いたみたい、ごめんねって笑ってる。
お茶はもう冷めてたけど、ふたりでそれを飲んで。
片付けたらお父さんのところに行こうって、部屋を出ようとしたときに。
「レム」
また名前を呼ばれてナリスを見ると、立ち止まって私を見てた。
まっすぐ見据える、真摯な瞳。
「受けてくれてありがとう。レムの幸せの為に、俺にできることは何だってするから」
金の瞳が嬉しそうに細められる。
「ずっと、傍で笑ってて」
向けられる眼差しからも声からも、本当に、私のことを大事に思ってくれてるんだって伝わってきて。
もうホントに嬉しくて幸せで。
だから駄目だよナリス。今そんなこと言われたら。
また泣きそうだよ。
結局それからもう少ししてから、ふたりでお父さんに報告に行った。
お父さん、多分私が頷くこともわかってたんだろうな。少し寂しそうな顔をしてたけど、よかったなって言ってくれた。
私が成人するまであと二年、どんなに早くても結婚するのはそれ以降になるから。
今から決定してしまうんじゃなくて、そのつもりという程度にしておけって言われた。
気持ちが変わらない保証はないし、仕事のこともあるから、互いの逃げ道を残しておくようにって。
「どうするかは、レムが成人してからゆっくりふたりで決めるといい」
お父さんは私とナリスにそう言って、嬉しそうにも寂しそうにも見える、そんな笑顔で私たちを見た。
「俺から口を出すことはしない。ふたりでよく話して、すれ違わんようにな」
「わかりました」
頷いたナリスにお父さんも頷き返してから、私を見て。頭を撫でて、何か言いたそうにしてたけど、結局お父さんは何も言わなかった。
もうお昼も過ぎちゃってて。宿にはお兄ちゃんも手伝いに来てくれてた。
「ごめんね、お兄ちゃん」
「いいから。厨房に昼メシおいてあるから、先ふたりで食べて」
お兄ちゃんの声、怒ってる。
そうだよね、こないだから何度も急に仕事を抜けて。その度にお兄ちゃんに迷惑かけてるんだもんね。
「…ごめんね」
もう一度謝った私に、お兄ちゃん、はっとして。
すぐに落ち込んだ顔になって、ごめんって言った。
「俺自身のことで。レムに怒ってるんじゃないんだ」
そう言って、頭を撫でてくれる。
「ごめんな」
ホントに申し訳なさそうに言われたけど。
私のせいで怒ってるんじゃなかったとしても、怒ってたのは間違いないよね。
それはそれで心配だよ。
「何かあったの?」
だからそう聞いたけど、お兄ちゃん、ちょっと笑って首を振って。教えてくれなかった。
ナリスとふたり厨房に行って。
急いで食べて、お兄ちゃんたちと代わらないとね。
お兄ちゃんの様子は心配だけど、とにかく私にできることをしないと。
慌てる私をナリスが微笑んで見つめてるのに気付いて、手を止めてナリスを見つめ返す。
私の為に、私の知らないうちにいっぱい考えて行動してくれて。
気付いてもらえて。甘やかされて。優しくされて。
ちょっと恥ずかしくて照れくさい思いもするけど、それも嬉しい。
何、と首を傾げるナリスに、そっと唇を寄せて。
ありがとうと大好きだよ。伝わったかな。
長かったです。お疲れ様でした!
書き始めに考えていたよりも早く落ち着くことになったふたり。
書き進めるうちに、私が考えていた以上にレムがナリスを好きになって。ナリスは行動的になりました。
その結果のちょっと早めの一段落。幸せそうで何よりです。
『丘の上』の番外編という観点からも、話はもう少し続きますので! よろしくお願いします!