三八三年 雨の十七日 ①
一話にまとめるのは諦めました。
それでも長いです…。
朝食を終えたら出るからと、朝からギャレットさんが挨拶しに来てくれた。
「また訓練で迷惑を掛けるかもしれないが…」
「迷惑だなんて! 毎回楽しみにしてるんです」
そう言うと、ギャレットさんは嬉しそうに笑って、ありがとうって言ってくれた。
一緒に見送ってたナリスにも、またギルドでって声をかけて。ギャレットさんは宿を出た。
事務長だから忙しいだろうけど。また来てくれたら嬉しいな。
今日出発の人たちを送り出して。部屋の片付けを始めようかなって思ってたら、ジェットとダンが来てくれた。
「あとはやっとく」
ジェットがナリスにそう言ったら、ナリスが頷いてエプロンを外した。
ジェットたちが手伝ってくれてるの?
ナリス、どこかに行くのかな?
そんなことを考えてると、私の前にナリスは来て。
ものすごく真剣な顔をしてて。何だか緊張してるみたい。
「話があるんだ」
そう言われて、ナリスが来た日に言われてたことを思い出す。
話したいことがあるって言われてたよね。
「アレックさんたちには許可を取ってる。一緒に来て」
「お父さんに許可って?」
「仕事、抜けていいって」
ナリスは私の手を取って、ずんずん歩いていって裏口を出る。
厨房じゃないのって思ってたら、そのまま家に入っていって。一階のテーブルの部屋で、私の手を放した。
「…ナリス?」
私を見つめるナリスは本当に緊張してて。何かに怯えるみたいに自分の手を握りしめてる。
「……レムに、話せてないことがあるんだ」
ぽつりとナリスが呟いた。
「本当ならもっと早く言わないといけなかったんだけど、成人もしてないレムにこんな話をするのはどうかと思って。成人してからって、思ってたんだけど…」
私を見るナリスの瞳は、真剣だけど、やっぱりどこか怖がってて。
じわりと不安が広がっていく。
「話を聞いて、レムが俺のことを嫌だと思うなら、正直に言ってほしい」
「待ってナリス? 何の話?」
「いいから聞いて」
私の言葉には答えてくれずに、ナリスは少し強く言い切って。
覚悟を決めるみたいに息を吐いて、私を見つめた。
「前に付き合ってた子と別れたときの話、したよね」
頷く私に、あのあとのこと、とナリスは言って。
「結構自暴自棄になって。夜の街で声をかけられるままに、行きずりの女の人と朝まで過ごしたりっていうのを、何回かした」
………朝までって……そういうこと…だよね…。
驚いて声の出ない私に、ナリスは苦笑したまま続ける。
「それだけじゃなくて。…ゴードンから一緒に帰ったあの日、俺、ソージュにレムを取られるって思って…」
言葉を切るナリス。諦めたみたいな笑顔で息をついて。
「…自分のものだと思いたくて。レムが拒まなかったら、手を出す気でいた」
手を出すって、さっきと同じ意味だよね?
あのとき、そんなこと考えてたの??
ナリスはじっと私を見て。ごめんって小さく呟いて。
「俺は、女の人を苛立ちの捌け口にして。自分の平穏の為にレムを傷付けようとしてたんだ」
そう言って、うなだれたけど。
ちょっと待ってナリス?
もちろん私だってどうしていいかわからないくらいびっくりしてるよ? してるんだけど。
ナリス、自分のことを何だか滅茶苦茶ひどい言い方してるよね??
…それだけ、自分を責めてたってことだよね?
ナリスが緊張してたのも。怖がってるのも。
私にこの話をして、どう思われるかわからないからだよね?
私の目の前。うなだれるナリス。
私がナリスに無理や我慢をさせてるって思ったり、私でいいのかとか、来てもらえなくなるかもって心配になったみたいに。
ナリスにだって不安なこと、あったんだね。
こないだのナリスの気持ちがちょっとわかったよ。
あのときナリスがもういいよって言って。そんなこと考えてたのって、呆れもしないで言ってくれたみたいに。
私だってナリスに言うよ?
大丈夫だって!
一歩ナリスに近付いて、両手を取って。
少し顔を上げたナリスに、そのままキスする。
「…声をかけてきた人で、無理矢理じゃないんでしょ?」
そう聞いたら、ちょっとびくりと身体を引いたけど。
うつむいたまま、頷いてくれた。
「ひどいことしてないなら。昔のことだし、気にしないよ」
言った途端に上がったナリスの顔が、何だか泣きそうで。
本当に気にしてたんだって。よくわかった。
「それにね、私はナリスに傷付けられたりしてないよ?」
手を放して、頬に触れて。
「それでナリスが安心できるなら、いいって言うよ?」
引き寄せて、キスをした直後に。
また肩を持って引き剥がされた。
「〜〜〜〜〜っっ!!!」
ナリス、もう真っ赤で。何か言おうとしてるんだろうけど、全然話せてないよ?
何だろうと思って見返す私を、ナリスはしばらくホントに困ったように見てたけど。
「わかって言ってる??」
やっとそう聞かれたから。
ちゃんとわかってるって。そう答えたのに。
ナリス、滅茶苦茶大きな溜息をついて。がっくり肩を落として。
「…ホントにもう……」
絞り出すようにそう呟いてから、困ったように私を見て。
「我慢できなくなるから…もう言わないでね……」
そのまま肩を引き寄せて、キスしてくれた。
ふたりで見つめ合って。お互い笑って。
これでもう大丈夫かな。
そう思ってたら、ナリスが私に向ける眼差しが、また真剣になった。
「…全部話して、それでもレムが俺を受け入れてくれたら。もうひとつ言おうと思ってたんだ」
まだ何かあるの??
息を呑んでナリスの言葉を待つ。
ナリスは私の両手を自分の両手で包み込んで。ちょっと顔を赤くして、まっすぐ私を見た。
「レム」
本当に、真剣そのものの声で。
「結婚しよう」
ナリスに言われた言葉の意味を、私はすぐに理解できなかった。
ただ見返すだけの私に、ナリスは顔を赤らめたまま微笑んで。
「もちろん今すぐ無理なのはわかってる。ただ、俺はそれぐらいの気持ちでいるってことを、レムにわかってほしいんだ」
そう続けるナリスの声は、やっぱり真剣なままだった。
「…ナリス……?」
今、結婚しようって言われたんだよね?
返事もできずに見返す私を、ナリスは優しい瞳で見つめ返す。
「レムの不安を聞いて。あのままここを離れたら、取り返しがつかなくなるような気がしたんだ」
手を放して、ナリスは私の頭を撫でた。
「俺はずっとここにいられたらって思うくらい、レムの傍にいたいのに。伝わってなかったんだなって思って」
「だってナリス…旅が好きでしょ?」
色々なとこに行くの、好きなんだよね?
だからここにばっかり来てもらうのは、我慢させてるんじゃないかって、そう思ったんだよ。
続く言葉は察してくれたみたいで、ナリスはちょっとだけ驚いてから、優しく笑った。
「好きだけど、違うんだ」
「違う?」
「実家が嫌いなわけじゃないけど、あそこは俺にとって、帰りたい場所じゃなかったんだ。だから旅は性に合った」
髪を梳く手も、見つめる瞳も。どこまでも優しくて。
「もちろん今だって旅は好きだし、ギルドの仕事も好きだけど。それでもここに…レムの傍に帰りたいって、思うんだ」
「ここに…?」
「レムのところに」
軽く、キスをして。
「それくらい俺はレムことが大切で、傍にいたい」
もう一度、抱きしめられて。
「俺の帰る場所になってほしいんだ」
耳元で、ナリスがそう囁いた。
いいのかな?
中央からも遠くて、時間を割いて来てもらわないと会えなくて。
来ても私はずっと仕事してて。手伝わせてばっかりなのに。
本当に私でいいのかな?
「…私はここから離れられないし、ナリスに何もしてあげられない」
ナリスの腕の中。そう呟くと、抱きしめる力が強くなった。
「ここにいてくれたらいいし、レムにはたくさんしてもらってる」
耳元の声が、少しだけ焦ったように早口になって。
「俺がどんなにレムに救われてきたか、わかってなかったの?」
私が応えないから不安にさせてるんだって、わかったから。
私もナリスを抱きしめる。
「私もナリスが大好きだよ」
全然何もしてあげられない、こんな私でいいのなら。
「私でいいなら。喜んで」
帰る場所にだって、何にだって、なるよ。
とうとう一日一幕で書ききれませんでした…。
レムとナリスにとっては節目の回。もう少しお付き合いくださいね。
本編はテオの不在中に入り込むロイと、それに気付いて妬くテオ。
兄同然のダンは嫉妬の対象にはなりません。