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ひみつのサヨちゃん

 丁度、篠ノ井の記事の校閲が終わったらしい三柿野さんが、ツカツカと部長へ歩み寄り、


「どうぞ。最後に一部分仕上げてから、印刷に回してください」


「こういうの、本来なら3年の仕事だってのに、すまんな、三柿野」


 三柿野さんは「いえ、お構いなく」とだけ言って踵を返し、スッと紙面を渡された部長は、それを一瞥してから、


「責了、ね」


 と呟くと、俺にも赤で書かれた「責了」の二文字を見せてきた。


「校了か責了、どちらかを三柿野から貰えたら、ようやく印刷に回せる。まあ、責了の場合は、こっちで少し手直ししてからだが」


 座っていた篠ノ井は前髪を掻き分けながら、疲労困憊の様子で、


「終わりました~?」


「『終わりました~?』じゃねぇよ! ったく呑気なヤツだ。明日朝イチで印刷するから、篠ノ井、責任とってよろしく頼むぞ」




 ――何でも、発刊日である明日の朝イチで、校内の印刷室でもって全校生徒に教職員分、千数百枚刷り、完成なのだとか。


 部長が言うに、


「広報委員会の新聞に遅れをとるなんて、あってはならない」


 とのこと。本当なら、余裕を持って完成させたいが、事件(と部長は言っていた)にこちらの都合は関係ない、とギリギリまで待たざるを得ないらしい。


 広報委員発行の「霧笛」は、新聞部発行の「咲高新聞」と同じ隔週水曜刊。ライバルなら、何も同じ日付で出すことないだろうにと思うのだが、そこはプライドがあるのだろう。




 学校前の道を突き当たりまで行くと通りに出るから、桜木町駅方面へ左折する。車のヘッドライトが眩しい。


 ご令嬢とくれば、お迎えの一つくらいあるのかと思ったが、そうでもないのか――。


「大浦くん」


 不意に呼び掛けられ無視しそうになったが、視線を感じ、


「ん?」


「あのね、私のお兄さ……」


 ああ、さっきの話の続きか。


 それなら。


「『お兄さま』でいいぞ。無理に言い直さなくていい」


 虚を衝かれたような様子だったが、もし俺が警戒しないようにわざと直そうとしているなら、逆に気になってしまう。


「あー……。うん、私のお兄様は長男だから、既に京浜重工業次期社長に指名されているわ。うち、同族経営だから」


 話がどこに行き着くのかは分からないが、これが「必要な情報」なら、相づちくらいはして、あとは黙って聞くべきだろう。


「でね、私はと言うと……」


 口ごもりながら、駅前までショートカットする地下道に入るすんでのところで、足を止めたかと思うと、

 

「許婚がいるの」


 おもむろに、そして端的だった。


「おぉ……。まあそうだよな。別にあり得ない話じゃないもんな。うん」


 俺には全く縁のない世界の話で、聞いてもイマイチ、ピンと来ないから、あやふやな返答しかできないが――。


 ただ、篠ノ井にとって、俺に伝えておくべき必要な情報がこれだということは、言われなくても分かる。


 篠ノ井は何かを振り切るように、地下道への階段を軽やかに駆け下り、


「でも私、そんなのイヤ……」


 鼻をすすり、こちらを振り向きながらそう言った。


 俺は篠ノ井の横に並び、


「で、彼氏がいるとか言って、その婚約を破棄してもらおうと」


 まあ、なかなか安直な案と言えなくもないが、ご令嬢の身としては、精一杯だったのかもしれない。


 何より、高校生で許婚、結婚云々なんて、全く馴染みのない話である。高校生の色恋沙汰など、とうに過ぎている。


「うん……」


 俯きながら小さくうなずくと、


「昨日、偶然知っていた人――大浦くんが丁度いいところにいたから、勢い余ってというか、何と言うか……」


「ん? でもそうすると、許婚の相手というのはもしや」


 キスを見せつけた相手というのが、それに該当するよな? むしろ、それしかいないよな?


 篠ノ井の顔を覗いても、間違ってはいないだろう。


「誰が該当するかくらいの検討は俺にもつく。が、正体は? 俺もどこか見覚えがあるような気がするんだが、どうにも思い出せないんだよ」


 かなり踏み込んだことを聞いているのは、重々承知しているが、正体を明らかにするためには仕方がない。


 これは明らかにしなければならないことであろう。


 結局、地下道から地上へ続く階段を上りきるまで、黙りこくったままだったが、


「……筑前さん。筑前貞光さん」


 筑前貞光――


 すまん、篠ノ井。人の名前を覚えるのが苦手で、ピンとこない。


 篠ノ井も察したのか、返事がないことに耐えかねたのか、


「生徒会長なんだけど……」


「あ」


 頭の中で全てが繋がった気がした。その瞬間、あの時後ろに立っていた男子の姿形が、初めて、ようやくハッキリと浮かび上がった。


 そうだ。全校集会だとかで、ことあるごとに出てくるから、見覚えがあったのだ。だからって、注視するなんてことは今までになかったから、思い出せなかった。


「筑前さんのお父様、大学病院の准教授なの。そのうち教授にでもなると思うんだけど。ちなみに、お祖父様は院長よ」


 一度言ってしまって、どこか吹っ切れたのだろうか。篠ノ井自ら、ポツポツと語りだした。


 しかし、聞くと疑問がある。


「篠ノ井家が経営しているのは、重工だろ? 大学病院とどんな繋がりが?」


「私と筑前さんのお父様、小学校から同級生らしいのよ。大学も学部が違うだけ。だから昔から筑前家とは、家族ぐるみの付き合いがあってね」


「それで……許婚に?」


「もちろんこれも理由だけど、私はもっと大きな理由があると思う」


 丁度、電車が轟音を立てながら、出発していった。


 停まって静かになるのを待ってから、


「重工の傘下に『京浜化学』っていうのがあってね、薬とか諸々の化学製品を作ってるの。もっとも、製造部門はその子会社の『京浜製薬』だけど」


 と、とにかく、規模が巨大であることだけは分かった。


 篠ノ井は一息つき、


「医者ってそういう会社との付き合いも重要らしいの。私が言うのもあれだけど、大学病院の医者ともなれば、製薬企業から、いくばくかの研究費とか寄付金とか……拠出してもらうようにしてもらわなきゃだろうし」


 「うちだけじゃないけど」と付け加えた。


 俺は理解するのに精一杯で、ただ、相づちしかできなかった。


「うちとしても、大病院との繋がりを強くしておくのは、取引先を確保して、引いては販路を広げることに繋がる。商売としてね」


「そうすると、会長の家、特に父さんは病院内での影響力アップってところか」


 あまり黙っているのもどうかと思って、返事代わりに言ってみたら、どうやらその通りらしく、篠ノ井はゆっくりうなずいた。


 篠ノ井と生徒会長が許婚になるということは、すなわち篠ノ井家の「京浜化学」、特に「京浜製薬」と、筑前家出身者がいる「大学病院」内部が繋がるということ。


 筑前家は、病院内での影響力アップする。特に、現准教授である生徒会長の父と、院長の祖父は勢力増を狙える。


 対して「京浜製薬」側は、販路が広がり、取引先を確保することができる。


 所詮は俺の解釈だが、家族ぐるみの人間関係と、巨大な組織内での勢力争い、そしてカネが、篠ノ井と生徒会長を許婚にさせた、ということだろう。


「はぁ。なんだか想像もつかないが、俺で大丈夫なんだろうか」


「どういうこと?」


 俺はため息をつき、視線を上に向けた。


「偽装とは言え、誰からもカップルと見せなけりゃならない。それがこんな俺で、篠ノ井に釣り合うのかってことだよ」


「もしかして、出身地とか気にしてるの? 少なくとも、うちに出身地で差別するような人はいないけど」


 少し、と言うかかなりズレている。


 ――って、え? その言い方だと、いつか家の人にも会わなきゃいけないのか? 


 あり得る。むしろ、そうならなければ許婚解除など無理だと思うと、いよいよとんでもないことを引き受けたものだ。


「聞いておきたいんだが」


 と言い視線を戻すと、篠ノ井はカバンの中を探っていた。


「ゴメン。電話かかってきてるみたいで。珍しいなぁ」


 メールとかならまだしも、電話は否応なしに無視しにくい。


「後が面倒だから、早く出た方がいいぞ」


「大浦くんが言うなら、お言葉に甘えて。……えーと、誰からだ?」


 画面を見た瞬間、態度が一変した。


「もしもしお母様!? どうしたの、電話なんて――え? もう駅よ。直に帰宅するから。ええ、10分ちょっとで着くわよ。待っててね」


 俺はあくまで電話に興味がないことを示すべく、そっぽを向いていた……無意識のうちに耳を澄ませてしまうのはどうしてでしょう。


 こちらから「どうした?」なんて聞かない。


「お父様が帰ってるから、早く一緒に夕食とろうって」


 篠ノ井はあやふやな微笑みを浮かべた。


「いつもは一緒に食べられないのか?」


 仕事から帰ってくるのは夜だから、別に一緒でなくとも不自然ではないが。


「あちこち飛び回ってるからね。あんまり帰ってこないのよ。今日は珍しく早く帰ってきたから、私を待って晩ごはん食べようってさ」


 ここから10分なんて随分と近いところだな、とこれはどうでもよいことだ。


「社長だもんな。って、『10分ちょっと』なんて言ったんだから、早く帰った方がいいよな。すまん」


 篠ノ井は顔を小刻みに、横に振り、


「こんなところで足止めさせちゃってごめんなさい。私、大船方面なんだけど、大浦くんは東京方面? 大船方面?」


 ここまで来ておいてなんだが、と視線を泳がせた。ばつが悪い。


「俺ん()、ここから歩いてすぐだから」


「もしかして、遠回りさせちゃったんじゃない?」


 変なところ、気を遣ってくるなぁ。


「こんなの散歩だ、散歩。いいから早く帰れ。また催促が来るぞ」


 と言うと今度こそ、人並みに消えていった。


 さっき出発していった電車からの降車客が、改札から溢れ出てきて、あっという間にその後ろ姿は見えなくなった。




 ――今なら、昨日の俺に忠告の一つくらいしているだろう。


 こうなったら、仕方がない。内申点、搾り取られるだけ搾り取ってやる!


 そんなことを思いながら、高架線沿いの歩道を、歩き出した。

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