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調理部部長のリボン  作者: 大和麻也
Episode 4 -- 帰宅部一年の見解
43/58

4-9

 江森とは通学に使う路線が同じだった。

 窪寺駅までは僕のほうが三駅近くて、江森はいつも先に乗っていた。互いの駅の階段の位置が近いのか、同じ車両に居合わせることも多かった。

 クラスメイトとして同じ車両に乗っていることくらいは認識していた。でも、特別に親しいわけではなかったよ。帰りに同じ電車を待っていたら、二、三言葉を交わすことがあったくらいだ。宿題やテストの話題でね。

 江森がどういう為人だったか……その話は町田が充分話しただろうね。ただ、服装のことについては強調しないとね。

 江森は、天保で最初に制服をカスタマイズした生徒だ。

 町田は話していなかったか? やはり、町田も忘れていたか。男子制服の騒動以降が話題になるから、それ以前、女子制服を着ているときのことは印象に残っていない生徒が多い。

 でも、本当はよく目立っていた。新しい紺色のブレザーとスカートを着る数少ない生徒だったからね。リボンだけは以前からの大きなリボンを好んでいたが。高校から天保に入学したから、新しい制服に抵抗がなかったらしい。

 だから、江森が天保を志望するほど気に入っていたのは、紺色のブレザーのほうだ。ああ、後々着ることになる男子制服はグレーだよ。でもそれは、男子制服のうえに紺色では目立ちすぎると親や先生から説得されて、渋々着ていたのさ。屈辱だったに違いない。

 言うなれば、江森は天保の制服が選択制になったから天保に入学した生徒だ。

 朝の時間帯によく見つけたのも、グレーの制服の中に紺色が紛れていたからかもしれない。


 さて、前置きはこれくらいにしよう。

 四月の末だったかな。その日は車内で見かけず、自分より先を歩いて階段を上っているところを見かけた。それで偶然、江森が普段と違う仕草をしていたのを見た。


 スカートの裾を押さえていたんだ。


 天保高校も歴史ある私立だ、スカートを短くしないよう指導している。江森もファッションに興味があったようだが、軽薄に見られる恰好を好んでいたわけではないと思う。スカートの長さで注意されているところを、僕は見たことがない。それなのにスカートの裾を警戒するのは、あまり普通のことではないように思えた。

 いや、そうする習慣を持っている人は少なくないだろうね。覗き見とか、盗撮とか、警戒せざるをえないことが、通勤時間帯にはしょっちゅう起こっている。「制服姿の女子高校生」とは、残念ながら一部の人間にとっては性的アイコンだ。

 僕にとっては衝撃的だったよ。制服を着ているだけで背後を気にしなければならないなんて、ひどい話だ。ルールだから着ているものなのに。仕方なく朝の混雑する時間に歩いているだけなのに。そんな心労を強いる連中がいることを、僕はそれまで知ってこそいたけれど、意識していなかったのだろうね。

 僕の違和感は一瞬のものに過ぎなかったけれど、杞憂でもなかった。江森は日に日に落ちこむようになって、遅刻や欠席が増えた。そのころには、僕や町田以外も異変に気付いていただろうし、担任もそれなりに対応しようとしていたと思う。

 でも、根本的な原因を最初に知ったのは僕だった。

 ある日、何本か電車に乗り遅れてしまった。たまたま寝坊してしまってね。駅から全力疾走でもしない限り遅刻するような時間だった。遅刻しても仕方がないと割り切れず、僕はそのつもりで緊張しながら、満員電車に耐えていた。

 窪寺駅に着いて、混雑する階段をイライラしながらゆっくり上っていると、天保の制服が目に入った。こういうとき、毎日目にする服装は目に付きやすい。改札とは反対側の壁際だったから、妙だと感じた。

 壁に寄り掛かった江森だった。

 明らかに気分が悪そうで、放っておけなかった。忙しい通勤の時間帯だ、誰にも気にかけてもらえなかったらしい。うずくまるとか、壁に手を突くとか、そういうアクションをしていれば、誰かに体調不良が伝わったのかもしれないけれど。

「大丈夫か?」

 と声をかけた。

 江森は無言で頷くと、ちらっと腕時計を見て、

「大丈夫?」

 と返してきた。

 僕が学校に遅刻するのを心配したらしい。明らかに自分のほうがピンチだというのにね。

 自分に向かって使う言葉ではないが、僕は賢しらだった。駅員に相談するとか、学校の保健室に行かせるとか、そういう妥当な選択肢を選ばなかった。江森がそうしなかったのだから、僕が勧めるべきではないと考えていたよ。

 そのうえで、江森の意図を推測しようとしてしまったのだから性質が悪い。気分が悪いにも拘わらず、誰にも助けを求めない。つまり簡単には人に話せないことなのだろう。以前にはスカートの裾を押さえるところも見た。朝の通勤時間帯、満員電車。思いつくところは、そう難しい結論ではない。

 もちろん、そうやって考えることが気遣いにつながることもある。でも、誰にも言えないことは僕にも言えるはずがない、とまで考えが及んでいなかった。相手が黙っている何かを言い当てることがどういう意味か、想像できない性格なのかな。

「嫌なことがあったのか?」

 と訊いてしまった。

 言葉を誤魔化すくらいには気を遣えた自分が恨めしい。

 はじめ江森は言葉を詰まらせた。当然だろうね。とはいえ、僕の問い方から、僕が薄々感づいていると直感したらしい。隠すのを諦めたように言った。


 ――痴漢に遭った、と。




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