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調理部部長のリボン  作者: 大和麻也
Episode 4 -- 帰宅部一年の見解
37/58

4-3

 問題の中心にいる「誰か」――桜木先輩の行動からして、異性装を求めている人物という可能性を頭の中に留めつつ、可能ならば、その人物を特定したい。

 しかし、学校で噂になっている異性装といえば、桜木先輩本人の噂しか聞こえてこない。異性装を実践する人物が校内で彼しかいないということは、「誰か」はすでに何らかの理由で学校にいないか、自身は現在のところ校則通りの服装をしている、ということだろう。

 きょうも場所は図書室。何かと都合がいい。

「誰か」が現在学校にいようといまいと、桜木先輩にそうさせるだけのことをしていたはずだ。異性装をしていたとか、同じ校則変更を求めていたとか。その痕跡を見つけることはできないだろうか。

 先生たちに訊いたほうが早いのは当然だけれど、学校側の認識を聞かされたところで仕方がない。そこで頼るのが、図書室に保存されている卒業生向けの広報、『天保学報』である。

 広報もまた学校が作るものであるから、学校にとって「良い歴史」しか書かれていないことには違ない。それでも、卒業生には出資者となった人々も多く含まれている。天保ほどの名門にはいわゆる成功者も多く、そういった人々が母校に愛着を持ってくれているほうが学校にとっては有利。ゆえに、広報は先生の口から語られる歴史よりは客観性が高いはずだ。何より説明する責任を負っている。

『天保学報』のコーナーから、とりあえず五年分のログを取りだす。桜木先輩は中等部から天保学園に通っているというから、五年分を見ることにする。季刊ゆえ、今年の冬号を除くと五年分では一九冊だ。一冊一冊は薄い冊子でも、まとめて抱えるとずっしり重たい。

 古いものから見ていくことにする。

 図書室に置いていても誰も読まないのだろう、五年前の冊子でも保存状態は良好、明日にでも自宅ポストに新刊として投函されそうなほどだ。五年前、二〇一四年の四月の春号は、前年の冬から卒業式ごろまでの学校の様子が記されていた。

 広報は在校生にも届けられるものの、まともに読んだことはなかった。

 ぱらぱらとめくっているだけでも、思ったより多様な記事がある。行事の様子を伝えていたり、留学生の出入りを報せていたり。ボランティアの報告なども多い。先生方のインタビュー記事や短い論文まで。後半には、後援会の情報が載せられている。

 在校生が読んでも退屈だが、学校の様子を知りたい人にとっては豊富な情報量だ。いまのわたしは、天保の過去を知るべく調査しているから、出資を考える卒業生と同じような視点を持っているのかもしれない。

 意外と、面白い。

 試験前だから、図書室を使う生徒は多い。教科書や参考書を抱えた生徒がわたしのそばを通ると、不思議そうな顔をする。確かに、奇怪なことをしている。

 試験勉強をも横に置いて読み進めるも、目当ての情報にはなかなか辿りつかない。

 性的少数者とか、ジェンダーとか、そういった文言を含む記事があまり見つからないのだ。わたしが遡っているのはたったの五年、そのころには世間一般によく論じられる問題だったにも拘わらず。当事者にあたる生徒だって――声を上げたかはわからないが――存在していただろうに。

 二年ほど読み進めたところで、独り言が漏れる。

「あ、槇原先生だ」

 自分の担任の古文教師を見つける。着任の挨拶である。


『今年度から常勤になります。小学校から大学、教育実習まで育ててくれた天保に恩返しすべく頑張りたいと思います。まずは生徒の悩みに寄り添える先生を目指します』


 緊張しきっている文面に、くすりと笑ってしまう。

 彼女はまだ教員四年目、非常勤を含めても六年目。年齢こそアラサーだが、まだまだヘマの多い若手で、わたしのクラスも初めて持った担任である。

 興味が湧いてしまって、ほかに槇原先生や知っている先生の記事までも探しながらページを繰ってしまう。秋号に見つけた駒場先生の論文は、数学の教育法に関するものだったが、専門用語が多すぎて読めたものではなかった。翌年の学報には、産休に入った先生に代わって鮎川先生が非常勤で着任したという記事も見つけた。彼も、小学校から高校まで天保で過ごしていたという。

 鮎川先生の着任と同じ号に、槇原先生の論考が掲載されていた。


『多様な生徒の指導に耐えるだけの、教員の多様性もまた不可欠である』


 締めくくりの一文には、インパクトがあった。

 ごく短い内容のそれは、生徒の指導について彼女の考えを記したものであった。要するに、世の中いろいろなバックグラウンドを持った生徒がいる、それを迎える学校はどうか、という文章であった。

 想定されているのは外国籍の生徒のようだ。でも、性的少数者をも含めて論じているという解釈も当然可能である。制服のルールが変わった年度に書かれた論稿であるから、彼女が天保の教員に加わったことも併せて、天保の変化の兆しだったのかもしれない。奇しくも、珍しい男性の家庭科教師である鮎川先生を採用した年度でもある。

 その二号先、一昨年の冬号に、次年度からの制服の変更に関する特集記事があった。従来のグレーのものと並んで、新しく選択できるようになった紺色のブレザーやスカートが比較できるように掲載されている。新デザインのコンセプトが注記されるさまはまるでファッション誌――わたしは読まない――を思わせるが、そこは学校である。ページの上部に、伝統ある制服に変化をもたらすことの意義を挙げている。

 変更の目的は三つ。


『一、百年を超える天保の伝統を継承しつつ、新時代に活き活きと続く学校のシンボルをつくる。

 二、制服を自らの意思と責任で選択することから、生徒の自律の精神を育む。

 三、愛され、選ばれる天保学園を目指し、新たな魅力を発信する』


 はあ、と嘆息が漏れる。

 生徒会長が以前言っていた。制服が選択制になったからといって、これ以上の変化をすぐには望めない、と。指摘はまったく正しかった。長い歴史は変更を嫌う。

 槇原先生の論説や鮎川先生の採用は、まったく以て制服の変更に影響を与えていないようだ。

 性的少数者や異性装を望む生徒への配慮は見当たらない。見開きのページの左右で男女の制服が別々に紹介されている時点で、認識の進歩があまりに小さな一歩だったのだとわかる。それどころか、この制服の変更そのものが「生徒不在」である。

 第一の目的は、卒業生や天保大学、在校生の保護者に向けたのもの。天保の理想を裏切る行為ではない、と説明しているに過ぎない。

 第二の目的は、在職の教師に向けたのもの。生徒の成長を望むように書きながら、誰よりも教師が戸惑わないよう、指導上の目的を示しているのだ。

 第三の目的は、これから天保に入学しようとする子どもや保護者に向けたもの。制服が選べる学校生活をアピールしている。

 この中のどこに、天保の在校生の視点があるのだろうか。

 わたしの見解が学校に対して過度に反抗的だったとしても、少なくとも、生徒の要求に応えた背景が存在しないことは明らかだ。生徒総会が開かれたとか、異性装の生徒への配慮から決定されたとか、そういう記述は見当たらない。

 在校生には、「選べるようにしてやったぞ。どうだ、嬉しいだろう?」というわけか。

 確かに、入試による新規の入学者くらいしか紺色の制服を着なかったように、新制服は在校生のあいだでまったく盛り上がらなかった。わたしとて例外ではなく、進級を機に制服を買い替えたにも拘わらず、もとのグレーを着用することにした。

 紺色の制服が売れ残る中でグレーの制服を選んだ日のことは、いまもよく憶えている。

 そう、あの日には――


「あ」


 再び、声が漏れる。

 手元には、最新号。今年度の秋号だ。夏の記事に見つけた写真に、わたしは目を奪われる。短い記事だったが、見出しには欲しかった情報が載せられている。


『高等部の生徒が交換留学生としてアメリカへ出発』




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