3.5-3
槇原先生には煙に巻かれてしまったが、それなら別の人に訊くまでだ。
桜木先輩が特別扱いされているという、ほかでもない天保高校の教師からの発言も得た。リボンをしていること、リボンを咎められないこと、調理部で唯一の部員であること――彼にまつわる疑問は多いけれど、教員との関係は特に重要なカギになるはずだ。
この際だ、大本命の鮎川先生を訪ねてしまおう。彼の研究日は月曜日だから、昼休みの時間を過ぎたいまなら、土曜日でも会うことができるはずだ。
と、思ったのだけれど。
「鮎川先生なら、手芸部だと思うよ」
職員室に不在だったので尋ねてみた家庭科準備室。家庭科教師のデスクがこの部屋にもあるのだが、そこに目的の先生の姿はなかった。
「伝言があるなら伝えておこうか?」
「いえ、平気です。失礼しました」
自分が教わっている家庭科の先生に礼を言って、わたしは教室を出た。
土曜日にも部活の指導をしていたとは誤算だった。授業の質問をするのでもなく、そもそもわたしの教科担任でもない彼を、活動中に訪ねるのはハードルが高い。伝言を頼むにも、内容が込み入っていし、直接聞くからこそ意味がある。来週の火曜日を待つことにしよう。
帰ってゲームでもしようと諦めて、窓際の空気がひんやりする渡り廊下を歩く。
渡り廊下が教室棟と交わる場所は、ちょっとした広場のようになっている。階下のラウンジや食堂が近いのもあって、休み時間には天保のスクランブル交差点と化す。その隅っこにある机に置かれた真っ赤な木製の箱に、否が応でも視線を奪われる。
生徒会が設置した「目安箱」――生徒会役員への要望を投書できる箱だ。
存在は知っていても利用することはなかったそこに、長い黒髪の生徒を見つける。
「あ」
漏れかけた声を引っ込める。
女子生徒――生徒会長の町田美雨は、わたしの気配を感じてこちらを目の端で一瞥するも、気に留めない。代わりに手元を注視して、ポストの脇の錠のダイヤルを回している。生徒会役員である彼女は、当然、目安箱を利用する側ではなく管理する側である。
わたしは町田先輩のことを憶えているし、忘れるはずがない。他方、彼女はわたしのことを記憶していないようだ。それも仕方がない。一度間近で顔を合わせたとき、わたしは桜木先輩のオマケだった。普段なら天保で最も目立つ生徒会長と、平凡ないち生徒。彼女はわたしに見られているが、わたしは彼女から見えていない。
まあ、そんなものだ。
彼女の背後を過ぎて二、三歩。何となく気になって振り返ると、ちょうど一枚の投書を開いたところだった。
そのとき、ろくに読んでいないそれをくしゃりと丸め、ブレザーのポケットに突っ込んだ!
生徒会長が踵を返したので、さらに身を縮めて柱の陰でやり過ごす。
彼女も彼女で、周囲に視線がないか気にしているような仕草があった。イタズラの投書を握りつぶすなら、そのような心配は必要ないはずなのに。そもそも、見るからにイタズラだとしても判断が早すぎる。
まるで、内容を既に知っていて、筆跡さえ確認できればいいかのように。
調べてみる価値はあると踏んで、週明けの月曜日。
生徒の大半が下校してから、生徒会室に足を運ぶ。部屋の前に来て、ノックをするわけではない。調べたいものはその扉の脇にある。きょうは活動日ではないらしく、室内に人の気配はないから好都合だ。
目当ては、掲示板。
ここには、目安箱の投書への応答が掲示される。要望のやり取りはいわば文通のような形で行われ、B5サイズの用紙は、上半分が要望を書く枠で、下半分が生徒会の記入スペースになっている。要望と応答のやり取りが一枚の紙面上でなされると、記名欄を切り取られたうえで、掲示板に貼りつけられる。
「……ない」
予想通りの結果に、独り言が漏れる。
ひと目見ただけで、おととい生徒会長がぐしゃぐしゃにした紙がないとわかる。
件の一枚はイタズラだったのかもしれない。しかし、掲示板を見るに、イタズラ紛いの冷やかしたような要望にも、生徒会は面白おかしく返答している。投書を用いた大喜利が展開されているのだ。
だとしたら町田会長の行動は、やはりおかしい。イタズラの投書でも、一度生徒会室に持ち帰り、ユーモラスに「やり返す」方法を役員たちで考える習慣があったはずだ。よほど卑猥なことでも書いてあれば別だろうが、そういう様子ではなかった。
目安箱に繰り返し入れられる投書があるに違いない。
生徒会がまともに取り合わない、面倒な内容のもの。
階段を上がり、目安箱と対面する。
ベニヤ板で作られた箱は、そう重たいものではない。周囲に誰もいないことを確認して、ひょいと持ち上げてみる。何度か上下に揺すってみると、中でかさかさと音がする。
期待した投書が入っているかもしれない。
わたしはポストを上下逆さまに持ち、底面から落ちてくる紙を、投函口に突っこんだ人差し指と中指で挟めないか試みる。やってみると、幅はギリギリだ。紙は箱の中で動いてくれるのだが、指先をかすめてしまい、うまく掴めない。
そう簡単にできるとは思っていない。諦めずに目安箱を何度もひっくり返す。ブレザーがホコリを被っても根負けせず、回数を重ねればいつか成功すると信じて。
「……届いた!」
ついに、指に用紙が引っかかる感触を得たときだった。
「何をやっているの?」