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すべての色をなくした世界で  作者: 氷田まりか
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「桃原、最近溜息吐かなくなったねぇ。なんか良いことあった?」

職場の先輩が安心したように笑いながら私を見つめる。

「いえ・・・これといってないです。」

それを苦笑いで受け止めて正直に答えたら同じレベルの苦笑いを返された。

「そう?でもあんた、最近雰囲気良いよ。背筋伸びてていい女。」

自分の方が遙かにいい女な先輩は、だけどそこらに蔓延る自称イケメンより遙かに男気がある。

「ありがとうございます。・・・あの、ねこが。」

「猫?」

「はい、猫が最近うちに来るようになったんです。ふらっとご飯を食べに来て、何をする訳でもないんですけど。」

「あはは、居着いちゃったんだ。いいねぇ、猫。私も実家で飼ってるよ。どんな猫なの?」

「どんな・・・黒い、真っ黒い猫です。」

彼を思い出そうとすれば必然的に『黒』が出てくる。

真夜中の黒じゃなくて、朝に近い宵闇のような、薄墨の黒。

「あら、黒猫?幸運の猫って呼ばれてるのよ、黒い猫って。」

「あれ?逆じゃないんですか?」

「日本では横切られると災いが起きるとか言われてるけど、世界的には幸運の猫のほうが有名。良かったじゃない桃原。」

その幸運をつかみなさい。

生き生きと輝く先輩の瞳に見つめられて、私は曖昧に笑った。

「桃原、悪いけど外来の指導お願いできる?」

上司が電話片手に呼びかけたことで会話は途切れたけど、残念だとは思わない。

キラキラした、この世界が心底愛おしいとでもいうような目が私を責めているようでうまく見つめ返すことが出来なかったから。

なんでこんなに卑屈になってしまったのかと自嘲しながらも外来へ向かう。

「あ、桃原先生お疲れ。この患者さんお願いします。」

受付のお姉さんにカルテを渡されて何気なくページをめくる。

「・・・この人」

「あれ、知り合い?なんか皆色めき立っちゃってさ。知り合いってバレたら紹介しろってうるさいだろうからチャチャっと指導済ませちゃいなね。」

まぁあんなイケメン来たらみんな食いつくだろうけど。

苦笑い半分、好奇的な笑みを半分浮かべたその女性は目線でその男を指した。

なんだこれ。

お腹の奥がムカムカする。

なに。

いったいどういうこと。

なんで、

なんで。

あなたがいるの。

「久しぶり、桃原ちゃん。」

そうやって変わらずに微笑んだ彼に思わず掴みかかりそうになる。

我慢するためにギリっと唇をかみしめた。

「…こんにちは、蜂須賀さん。今日はどうされたんですか?」

仕事しごと、これは仕事。

心の中で必死に唱えて醜い感情を押し殺す。

「会社の検診で引っかかっちゃってさー。・・・というのは建前で」

桃原ちゃんに会いたくて来ちゃった。

甘い声で私を惑わそうとする彼は、きっと自分が容姿に優れていることを知っていて、それを十分に利用する術も知っているのだろう。

・・・それでもうちに来る黒猫にはかなわないけど。

夏宮さんだったら十分じゃなくて十二分に知っているもの。

「あはは。ありがとうございます。それじゃあ指導室に。」

苛立ちか嫌悪かわからない感情は彼を思い出すことで少しだけ落ち着いた。

指導室まで案内して、いつも閉めるドアは少しだけ開けておいた。

「桃原ちゃん中々返事くれないんだもん。俺嫌われたかと思ってさ。」

そんなことないですよ、と返しながら内心ウソだろと悪態付く。

大体嫌われたかと思うなら来ないはずだ。

彼の言葉には『嫌われたかと思ったけどこんな素敵な俺のこと嫌いなわけないよね。』という確認と自信が隠れている。

面倒だな。

愛想笑いを張り付ければ彼は嬉々としてベラベラ話し始める。

それだけで精神疲労が半端ない。

だって、だって。

愛想笑いを見抜くわけでもなければ、心底疲れている私に気付いてくれるわけでもない。

自分の近況と仕事と最近何人もの女性に告白された話。

それでもなお私に会いに来たという押し付け。

全部ここで話すべきではない個人的な内容だ。

私仕事中なんだけどな。

ああ、疲れたな。

夏宮さんに会いたいな。

嘘くさい笑顔と女性を翻弄する低い声を取り払った、あの本物の彼に会いたい。

ご飯を食べてほんの少しだけ雰囲気を柔らかくさせる無表情の彼に会いたい。

「・・・蜂須賀さん。」

「ん?」

「検診、どの項目が引っかかったんですか?」

「え?」

「ちょっと検査結果拝見させていただきますね。あー…肝臓の数値が少し悪いみたいですね。休肝日作ってますか?お付き合いがたくさんあるのは分かりますけど毎日お酒飲んじゃだめですよ?」

「いや…」

「そうですね、最低でも週2回はお酒飲まない日を作ってください。あとは栄養ドリンクですね。あれ、飲みすぎると肝臓に負担かけるのであまり飲まないようにしてくださいね。今までハイオクで運転していた車に軽油ぶっこんで無理やり動かしてるようなものなんで。」

自分でも不思議だった。

私ってこんなに口回るんだ。

呆けたように見つける彼に、私はダメ押しとばかりに微笑んだ。

「ちゃんと栄養とって早寝早起きして適度に運動して過ごせばすぐに検査値は正常になると思います。・・風邪と怪我に気を付けてくださいね。では、お大事にしてください。」

退席を促しながら私自身も立ち上がる。

それでも口の中でもごもごと何かを言っている彼は中々立ち上がろうとしない。

「桃原先生、次の患者さんお待ちですよー。」

ナイスタイミングで受け付けのお姉さんが顔を出す。

「あ、蜂須賀さん指導終わりました?お忙しいと伺っていたので急いで会計しますね。こちらへどうぞ。」

有無を言わせず彼を部屋から出すその女性はサムズアップを残していなくなった。

電子カルテに打ち込みながら細く深く息を吐く。

疲れた。

そんな感情でいっぱいなのに指は高速で動くのがなんだかおもしろかった。

それから普段通りに仕事をこなして。

いつもどおりに笑って。

笑って、笑って、笑って。

…心の擦り切れる音が聴こえた気がした。


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