新天地~女神の心⑦
セイレーヌとアーロンが私と彼方から離れた瞬間に、カトリーナが体当たりしてきた。
「ぐえっ……!?」
突然もたらされた予想外の衝撃で、潰されたカエルの様な自分の声に驚きつつ、ぐらりと身体のバランスが崩れた。
それをどうにかこうにか踏ん張って耐えると……私の腕の中にカトリーナが収まっていた。
カトリーナはただ単に勢いよく抱き付いてきただけだったらしい。
その勢いが良すぎた為に反応が遅れたのだ。
ひとまず、無残にもカトリーナと一緒に床に転がらなかったことに安堵する。
流石は十代のシャルロッテの身体。
咄嗟の事でバランスを崩しはしたものの、耐える事が出来た。
これがアラサーの和泉の身体だったなら……そのまま床とお友達になっていただけでなく、筋肉痛等の不調が残っていた可能性が高い。
アラサーだってまだ十分に若いのだが、彼方の様なピチピチ(死語)な十代の子とは…………違うのだよ……悲しい事に。
「……っ!」
カトリーナの声に我に返る。
おっと、いけない、いけない。
余計な事を考えていたせいで、カトリーナが言った事を全然聞いていなかった。
「……ええと?」
これは、もう一度聞いても良い流れですか……?
ポリッと頬を掻きながら彼方の方を見ると、彼方はなんとも言えない顔で私を見ている。金糸雀やサイ達も呆れた様な顔で静かに首を横に振った。
……デスヨネー。
私のワンピースの胸元を片手で掴んでいるカトリーナは号泣していた。
……話を聞いていなかったと言える空気ではない。
これでも一応空気は読むよ!?
恐らく……多分……何もしていないはずだろうに……罪悪感がどっと押し寄せてくる。カトリーナの中身年齢は私よりも遙かに上なのは分かっているが、見た目が幼女なので罪悪感が半端ない。
『いーけないんだ、いけないんだ!せーんせいにいってやろー!』
そう脳内で誰かに囃し立てられている様な気分です……って、どうしてこうなった!?
だ、誰か助けて下さーい……!
泣いているカトリーナを抱き締めるべきか、迷う私の所在のない両手が空中でわちゃわちゃと動き始めた時。
「……あ……りが……と……う」
嗚咽と共に辿々しいカトリーナの声が聞こえた。
聞き間違えでなければ『ありがとう』と言われたはずだ。
「……カトリーナ?」
首を傾げながらカトリーナの顔を覗き込むと、ボロボロと大粒の涙を溢している綺麗な青緑色の瞳と目が合った。
私と目が合ったカトリーナは、両手でゴシゴシと目元の涙を拭ってから、私の背中に腕を回した。
「……ありがとう。愛し子シャルロッテ」
涙を堪え、笑みを浮かべたカトリーナは、私が口を開くよりも先にスッと腕の中から離れて行った。
そして――――。
「ぐえっ……!」
先ほど私にしたのと同じ様に、今度は彼方に向かって勢いよく抱き付いたのだ。
カトリーナに抱き付かれた彼方は、先ほどの私と同じく潰されたカエルの様な声を上げた。
カトリーナの抱き付きは勢いが強すぎて『きゃあ』なんて可愛い悲鳴は出ない。
現に私も彼方もそんな可愛らしい声は出なかった。
……決して女子力の問題なんかじゃないんだからね!?
悲鳴こそ私と同じ残念な声だったが、彼方は身体のバランスを崩すことなくカトリーナの衝撃を受けきった。
流石はピチピチの十代である。
く、悔しくなんか……ないんだからっ!?
「ぐはっ!?」
突然、頭に激痛が走った。
……激痛の原因は言わずもがなの……金糸雀だ。
こう、嘴でブスッと頭頂部を刺された。
「金糸雀……痛い」
頭を押さえながら涙目で訴えたが、ジト目の金糸雀にふいっと視線を逸らされた。
私がまたしても余計な事を考えていたから、お仕置きをしに来たのだろう。
無事に(?)お仕置きを終えた金糸雀は、溜め息を吐きながら私の肩の上に留まった。
……監視?……成る程、そうですか。
こんな風に私がお仕置きされている間にもカトリーナと彼方の会話は続いていた。
……ごめんなさい。
「……ありがとう。聖女彼方」
カトリーナからの感謝の言葉を受けた彼方は困った様な顔で笑った。
「いえ、私は自分の為にしただけです」
「私の眷属に手を出したアイツの事は……本来ならば私が自分でけじめをつけなければならなかったわ……」
首を横に振ったカトリーナは、眉間にシワを寄せて俯いた。
「……なのに、私は何も知らなかった。知ろうとしなかった。カーミラの死があまりにも……辛くて、悲しくて……。私は自分の事しか考えていなかったのよ」
彼方の服を掴むカトリーナの手が震えている。
「私の意を最大限に汲んでくれるはずのあの子に裏切られたと思ったら……どうしようもない程に憎くらしくなって……呪いを掛けてしまった」
カトリーナの心の内を知った私は、自分がカトリーナだったならどうしただろうか?――と、ふと考えた。
家族を失った傷が癒えない内に大切な親友を殺されて……復讐をしようと決意すれば、それを当然手伝ってくれると思っていた相手が自分ではない人を優先した。
悔しくて、憎らしくなって、呪いを掛けたが……実はその相手方には病むに病まれない事情があった。
……私もカトリーナと同じ様に呪いを掛けたかもしれない。
全てに絶望して、もっと最悪な事をしでかしたかもしれない。
「あなたはあの女神とは違うわよ」
金糸雀はぷニッと嘴で私の頬を突いた。
先ほどとは違い、痛みはない。
「馬鹿が付くほど真っ直ぐなあなたは、そもそも自分一人でもどうにかしようとするわ。だから、女神とは違う選択をしたはずよ」
「金糸雀……」
私は金糸雀のモフモフな頭をそっと撫でた。
「……こんな私をあの子は許してくれるかしら……」
カトリーナの瞳には後悔が色濃く浮かんでいた。
心から反省し、後悔しているその色が。
「分かりません」
……彼方!?
ズバリと言い切った彼方に、私の方が動揺してしまう。
普通ならば慰めるであろう場面で彼方はそれをしなかった。
案の定、カトリーナは瞳を大きく開けたまま固まってしまっている。
「私はラーゴさんじゃない。カトリーナ様やラーゴさん達の苦悩を推し量る事は出来ても、その本心を知る由がないから」
しかし、言葉はキツめでも、彼方の口調は穏やかだった。
「ラーゴさんが許してくれるかなんて私には分からないです。だから……まずは謝ってみませんか?許すも許さないも、ラーゴさんの気持ち次第ですよね」
彼方はにこやかに笑いながらカトリーナに向かって手を差し出した。
「でも……」
反射的に彼方の手を掴もうと手を伸ばしたカトリーナの手が途中で止まった。
拒絶されるかもしれない相手に許しを乞うのはとても不安だろう。
――しかし、カトリーナの手は止まったままで引かなかった。
今の関係をどうにかしたいと思っているからだろう。
『謝りたいけど怖い』、『拒絶されたらどうすればいい?』
カトリーナの表情がそう告げている。
「大丈夫だ。そなたもあの竜もすれ違っただけ。それを正してやるで良いのだ」
カトリーナにサイが言った。
「そうだ。生きていれば何でも出来る」
「そうよ。何度だって頑張れば良いの。私達も手伝うわ」
サイの言葉に続く様にアーロンとセイレーヌも後押しをする。
もう一声……。
「女は度胸!当たって砕けろだよ!」
「砕けたらまずいでしょう!!」
私も後押し……!と、思ったのだが、金糸雀からすぐにツッコミが入った。
「ぐっ!?」
失敗、失敗……。
「ふふふっ」
愛想笑いで誤魔化す私を見てカトリーナが笑う。
そんなカトリーナを見ていた彼方が意を決した様に頭を下げた。
「……さっきは叩いたりしてすみませんでした」
「まだ気にしていたの?別に良いわ。……お陰で色々と目が覚めたから」
「でも……」
「私が良いって言ってるんだから良いの。……それよりも、決心が鈍らない内にあの子に会いたいわ」
カトリーナは差し出されたままだった彼方の手を掴むと、それをしっかりと握った。
カトリーナは自分の手で彼方の手を取った。
……それならば!ココにはもう用事はない!
「みんなでラーゴさん達の元に行きましょう!」
私は彼方とカトリーナの手に自分の手を重ねた。




